2016/04/30「唯一人の長い付き合いの親友が亡くなった。」に書いた、亡くなった友人が書き残した「マージャー」だが、近日中に関係者に貸すことになっているから、あらためてじっくり読んだ。
400字換算で620枚ぐらいに相当する、長編だ。
「マージャー」は、「M & A」の「M」、「Merger」のことだ。「M & A」は「企業の合併・買収」を意味し、「Merger」は「合併」を意味する。だけど、ここに書かれているのは、単なる「合併」ではなく、「合併・買収」であり、ようするに「M & A」なのだ。
会社を売った当事者である彼は、これを三人称で書いている。いかにも彼らしい。前に書いたように、彼は、これを、大変な苦痛のなかで、それに耐えるために書いたようなものだけど、ちゃんと自分を相対化しているのだ。
彼の本名はNだが、「マージャー」では「鳥越」になっているから、以下、「鳥越」でいこう。「とりごい」でも「とりこし」でも一発変換できないのだが、せっかちな彼が、なんで入力が面倒なこの名前にしたのか、とりこし苦労をするやつでもなかったのに。
会社の売買契約が締結したのは2002年1月8日だった。「マージャー」がおれに送られてきたのは、それから約半年後の7月。
彼は、これを書く作業に集中することで、「切れず」にすんだのだが、記憶から吐きだすように一気に書いたのだろう、それなりに構成されているが、かなり飛ばし気味に書いている。登場人物の名前も、仮名の苗字だけ、ほかの団体名などもテキトウだ。数字も一部、記憶ちがいと思われるものもある。ま、そういうことはよいのである。
まず、各章とタイトルは、こうだ。
1、序章
2、チェーンの本質
3、不動産ビジネス
4、アメリカのM&A
5、競合のM&A
6、面談
7、葬儀
8、創業
9、チェーンの文化
10、冷酷
11、分岐
12、ルーツ
13、役員会
14、デューデリジェンス
15、シンガポール
16、社員総会
17、新年公表
18、終章
19、エピローグ
鳥越の会社は、不動産のフランチャイズチェーンの本部会社だった。正確には、アメリカに本社があって世界的に不動産のフランチャイズチェーンを展開している「FBE」の、日本におけるエリア・フランチャイザーなのだ。
この会社は、1981年の設立で、その前年からオーナーの「武居」が中心になって準備していたのだが、設立準備のメンバーには、鳥越は入っていない。武居に見こまれて、設立時から参加し、すぐ社長に就任した。鳥越は、おれより1歳上だから、1942年生まれ、このとき39歳。
武居は、シベリア帰りで、一般的には知られてないが、不動産業界では有名人だ。しかも不動産業を、まっとうなビジネスにするために長年努力し、硬骨と反骨をもって知られていた。
当初は、社員役員含めて、10名に満たなかった。ここには書かれてないが、新宿3丁目のはずれの小さな雑居ビルに事務所があって、おれはたびたびそこを訪ねた。「8、創業」にあるが、立ち上げの苦労から、鳥越の人相は変わっていた。
それから20年近くがすぎ、会社のM&Aの交渉が始まる2001年には、フランチャイズチェーンの加盟店は500、新宿西口の高層ビルの一つに、ワンフロアーを占めていた。
「1、序章」は、鳥越や鳥越の会社の話ではなく、鳥越の会社を買った側のホールディングス(持株会社)と仲介の金融機関の担当者、それから経済新聞の記者の話から始まる。そして、「2、チェーンの本質」「3、不動産ビジネス」「4、アメリカのM&A」「5、競合のM&A」と展開する。全体構造を押さえながら、話をすすめる。それは、彼の確認と検証の作業でもあたっだろう。
さまざまな人物が登場する。彼らの口からも、いろいろなことが語られる。その人物が、その時代、その地域、その業界、その会社などで、どんなふうだったか。アメリカ(人)と日本(人)のギャップも含め、これがなかなかおもしろい。
経済があり文化があり人間があり、それらが構造やシステムを持ってつながりながら、それらをまた動かしているなかに、ビジネスが存在する。
矛盾はなくすものでもなく、なくなるものでもなく、変わるものであり、そこに人間が介在し変えうるもので、ビジネスや利益はそこに成り立つ。だから、「変えうる」ことができなくなったら、ジリ貧であり、先は見えている。死ぬか殺すか、しかない。それをするぐらいなら、「変えうる」ものの手に、会社の可能性をゆだねる。ま、そういうことなのだ。
日本は、70年前後に過剰生産あるいは過剰供給時代になる。土地や建物を扱う、不動産ビジネスも例外ではない。これが日本のジリ貧の根本にあり、何度か変えうるチャンスはあったのだが、ことごとく潰れてきた。
でも、「日本」はそうであっても、業界や会社によっては、自ら「革新」をめざし可能性を求めた。日本の不動産業は、きわめて遅れた体質で、うさんくさい目で見られ、およそまっとうなビジネスとしては評価されていなかった。
だいたい70年前後まで、中小零細の不動産屋が、その後進性にのっかって、おいしい汁を吸っていた。ジリ貧になっていた大会社が、そこに目をつけ参入した。しだいに、中小零細の不動産屋は圧迫を受け、危機感を持つ経営者もいた。これからは、大会社に拮抗しうる力と、多くの人びとに信頼されるビジネス文化を持たなくてはならない。とはいえ、中小零細に、どんな道があるのか。チェーン化が最良だろうという流れ。
後進性の一つは、情報化だった。不動産フランチャイズビジネスは、コンビニとちがい、モノは扱わないから、情報システムがものをいう。しかし、システム開発は、金がかかる。できあがった新しいシステムを加盟店で実践運用をしているうちに、もうそのシステムを否定するような新システムの開発に着手しなくてはならない。金は、いくらあっても足りない。
変われなかった日本は、80年代を通して、投機経済に傾斜していく。土地や家屋は、「住む」「使用する」需要とは無関係の、投機の対象になったのだ。ますます、情報システムの新旧の差がものをいうようになった。鳥越の会社の、システム開発への投資は膨らむ一方だったが、加盟店も増加する一方のうちはよかった。
1991年のソ連邦崩壊で、金の動きが大きく変わった。軍事をはじめ、対共産圏政策に絡んでいた巨額の金と優秀な人材が、行き場を求めて動く。行き着いた先が、ITと投機市場。
IT技術は飛躍的に進化し(あるいは過剰に進化し)、行き場を失った金を吸いこんで、新たに情報システムを基軸とした投機市場を生む。デリバティブ。
M&Aも、昔からあるとはいえ、行き場も求めて動く金が流れ着くところになった。以前のように、当事者である経営者同士の付き合いとは関係なく、金融機関などが積極的に仲介する動きが加速する。「会社」の売買が、ビジネスの商品アイテムになったのだ。
こういう動きが、人の動きとして、彼ら自身の話として、鳥越のところで交差する。加盟店は500になったが、新規加入は鈍化している。システム開発への投資が巨額になり、独立系資本では、まかないきれない。しかし、これをやらなかったら、チェーンは存続できない。加盟店500人の経営者と従業員とその家族の将来が、重くのしかかる。
会社は借入金ゼロだった。いまのうちなら、買いたたかれることなく、チェーンの将来に望ましい、いい相手に売れるだろう。一年後では、わからない。鳥越は、動いた。
いくつかの交渉相手が浮上し、消去法で消され、「6、面談」では、最終的に契約を結ぶ相手と会う。仲介の金融機関が推薦の相手だ。質問に応え意見交換。
もう引き下がれない。だが、この段階では、武居会長以外は、役員でもM&Aのことは知らされてない。
面談は11月12日だった。鳥越が動き出してから、3カ月ぐらい。このスピードが大事だった。その後も、役員会、デューデリジェンス(監査法人による売買のための監査)、アメリカとシンガポールのFBEとの複雑な交渉、社員総会、たたみかけるように進み、あとは正式契約と金銭の授受を残すだけになった合意は12月20日だった。
「(売買契約成立の正式発表のあった)1月10日の賀詞交換会から3カ月、戻ることのない変革が35名余の本部の全員を包みはじめた」と「18、終章」にある。名前まで変わった新しい会社に残った社員は、この人数だった。役員のなかでは鳥越だけが、自分の意思ではなく契約として、1年間残らなくてはならなかった。
毎日出社し、「熱愛中の女を他の男に取られて、その上彼らの結婚式に出ているような」日々を送りながら、これまでを振り返り、「いかんともし難いこととはいえ、そこに考えが及ぶと、鳥越は立ち尽くしてしまうのである」。