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2016/06/06

「二極化」と「二者択一」のあいだ。

最近、たぶんネットで読んだのだと思うけど、「社会はわかりやすい二極化を求めている」というような話があって、それはオウム事件がきっかけかなんかでそういう傾向になった、てなことだった。

おれの実感としては、オウムよりもっと前、バブルの最中ぐらいから、そういう傾向が顕著になってきて、「AかBか」「シロかクロか」「敵か味方か」「私にとって心地よいかわるいか」などの、二元論的なわかりやすさを求める社会の結果、オウムに至ったという感じだったのだが、それはまあいいや。

とにかく、何かにつけ「二極化」がいわれてきた。このあいだ中野の飲み~ティングでも、宿泊サービス業界のそういう話が出た。いまに始まったことではないのだが、近頃は、その現象が極端になっていることで、いろいろよくない弊害も起きている。

おれたちは、現状は二極化していても、どちらかの極を選ぶということではなく、安宿路線だけど価格競争ではない独自の方向でやってきて、これからも変わらないよね、という話をしていた。

「二極化」というと、二極化しているから、どちらかを選ばなくてはならないかのような話がついてまわる。これはレトリックといってよい。状況は二極化していても、選択肢は、たくさんあるのだ。

だけど、わりと簡単に、二極化しているから、どちらか正しいほうを選ばなくては未来がないような話が多く、それにハマりやすい。わかりやすさを求めるアタマは、同時に単純化しているからだろうか。

現実は、そうはキッパリ二極にはなっていない。南極と北極はあっても、まあるい地球は、南極でも北極でもないところのほうが、はるかに広いように、自分や自分たちの居場所は、その広いところにつくっていける。二極化のなかで二者択一やってツンツンデレデレする必要もない。人間社会は、もっと、想像以上に、ぐじゃぐじゃとした可能性をひめているのだ。

ってことで、中野の宿泊サービス業は、ごくつぶしにも居場所があるんだとやってきた。

ところで、最近のニュースに、「君が代不起立、都の敗訴確定=停職取り消しと賠償命令-最高裁」というのがあった。この詳しいことは知らないし、判決文も読んでないのだが、「JIJI.COM」の報道に、判決内容からの引用だろう、「自らの思想信条か教職員の身分かの二者択一を迫るもので、憲法が保障する思想・良心の自由の侵害につながる」という文言があって、ほほお~とおもった。

その文言を含む記事は、こんなアンバイなのだが。

http://www.jiji.com/jc/article?k=2016060100709&g=soc
 卒業式での君が代斉唱時に起立しなかったことを理由に停職処分を受けた東京都の公立学校の元教員2人が、都に処分取り消しなどを求めた訴訟で、2人の処分を取り消し、都に計20万円を支払うよう命じた二審東京高裁判決が確定した。最高裁第3小法廷(大橋正春裁判長)が、5月31日付で都側の上告を退ける決定をした。

 二審は、不起立を繰り返した教員に対し、処分を機械的に重くする都教育委員会の運用は「自らの思想信条か教職員の身分かの二者択一を迫るもので、憲法が保障する思想・良心の自由の侵害につながる」と批判。

…………

おれは、「二者択一を迫るもので」それが「憲法が保障する思想・良心の自由の侵害につながる」というところが、なるほどね~、だった。

なにごとによらず、二者択一を迫られるのは窮屈なことだ。それは自由が侵害されるから窮屈に感じるのだろう。権力を使ってそれをやられたら、たまったものではない。

でも、権力を使うまでもなく、わかりやすい二元論は、とくに言論などを通じて、日常的にふりまかれている。

だいたい、二極化しているから、二極のうちのどちらかを選ばないと未来はない、未来は暗いぞ、てな迫りかたをするものは、その考え方そのものが窮屈にできている。もっと世界は広いのに。ほかの可能性は考えられないの。

そんなことを考えているときに、ある雑誌が届いて、パラパラ見ていたら、尊敬すべき実績を残しながら、そこに拘泥せず、自分の新しい書店を持って新しい道を歩み出していることで本好き業界の注目を浴びている方の文章が目にとまった。

そこには「サプリメントではなくコーヒーのような本(商品編その1)」というタイトルがついている。

著者は、手元にある、同じ質量の文庫本なのに、片方は464円で片方は1620円という価格差から、説きおこしている。そして、「1500円もする文庫本の価値を理解し、迷いなくレジに運ぶ愛書家たちを大切に商売をしたい。独立して自分の手の届く範囲の小さな店を作ったのにはそんな理由もあった」と結ぶ。

ここで述べられていることは、まさに「二極」のことであり、わりとわかりやすく、どこの業界にもある話なのだ。「高級化高品質化」と、その対極は表現がいろいろなのだが、ま、ようするにこの文章では「顔の見えない不特定多数が読む本」であり「サプリメント」になるのだが、価格訴求の廉価の商品やサービスということになるか。

この著者が、その実績からして、こういう考えを持つのは理解できるし、大いに支持するのだけど、ほかにも道があるのはもちろんだ。

そのほかの道が、どれだけ考えられるか。そこを考えながら読まないと、二極化している、どちらかを選ばなくてはならない、というレトリックにハマって、とても窮屈な考え方や選択になる。

そういうことが、あちこちで、もっと多くなるのだろうなあ、と、「サプリメントではなくコーヒーのような本」で実感したのだった。

本好き業界についていえば、二極化なんぞ関係なく、ひとは多くても愛書家などはいそうにない地域で、「嫌書家」たちを相手に「こらっ、おまえらもっと本を読め!」と闘争するチャレンジが生まれるとおもしろいのになあとおもう。それこそ「ロマン」というものか。

ホッピーなんてサプリメントみたいなものだけど、けっこう生活に潤いを醸したりするんだよねえ。中野あたりのバックパッカーのための安宿なんて、立地としては条件が悪いけど、世界中からリピーターを集めたりしている。それにコーヒーな人たちもサプリメントな人たちもいて世の中だし。「わかりやすさ」とはちがう選択があるはずだ。

「二極化」論と「二者択一」論には、気をつけよう。

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