東京新聞「大衆食堂ランチ」45回目、ときわ台・キッチン ときわ。
梅雨が明けて暑さが厳しいけど、梅雨の最中も何度か暑い日があった。ときわ台の「キッチン ときわ」へ行ったのは、7月6日、暑い日だった。
ときわ台は、ひさしぶりだった。かれこれ20年前ぐらいになるか、知人がときわ台駅北口から10分ほどのところにあるマンションに住んでいて、そこにおれの荷物を預かってもらっていたから、ときどき訪ねることがあった。
なので、この食堂や、SB通り(昔からカレーのSBの工場があったので、こう呼ばれているらしい)にあった大衆食堂(すでにない)のことは、入ったことはなかったが、存在は知っていた。
ときわ台は、庶民のイメージの板橋にありながら、「北の田園調布」といわれたりするらしい。北口の改札を出ると、木の茂る植え込みがあるロータリーから、放射状に道路がのびているからだろうか。
ただ、田園調布の駅は高台の底のほうにあり、放射状の道路は高台へ向かって登っているが、こちらは駅が高台にあり、駅近くの「キッチン ときわ」の前の道路は、しだいにSB通りへ向かって下り坂になっている。
この地形が、「キッチン ときわ」やSB通りの大衆食堂の、かつての繁盛と大いに関係があったと見ることができる。つまり、ときわ台駅がある台地から下ったほうには工場がたくさんあり、そこの労働者が、出前を含め、多く利用していたからだ。
高台はお屋敷街で低い方は工場の街という東京の台地側の構造だったのだけど、ご多分にもれず、宅地化が進み工場はマンションになり、ときわ台は、落ち着いた住宅街の雰囲気になった。
キッチンときわは、1962年に、当時新築のこの建物で始まった。1962年は、おれが上京した年だ。店主夫妻は、新婚でここを始めたのだから、もちろんおれより年上になる。
笹塚の常盤食堂は、たしか1964年に建て替えだけど、ここの建物と外観の仕上げが似通っている。当時、流行りだったらしい。その比較は、そのうち写真でやってみたい。常盤食堂は和風を基本にしているが、こちらは、「洋食・中華・喫茶」の店という違いが、建物にもある。
サンプルショーウインドーまわりなどは、なにもかも手仕事だった時代の、あのころの特徴を、切ないぐらいよく残している。しかも、よく手入れして、使い込んでいる。店内の天井は高いし、とても落ち着くのだ。
当時のこういう食堂では、喫茶メニューのコーヒー(インスタントが普通だった)やコカコーラが、ハイカラ気分を盛り上げていた。この店でも、たぶんそうだったのではないかと想像した。
それはともかく、この日は、暑かったこともあり、また外のサインボードに書かれた「当店人気自家製スープ 冷し中華ソバ」が、その文字のシッカリぐあいからして気になったので、これを注文した。
7月15日の掲載だったので、すでに東京新聞のサイトに本文が載っている。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2016071502000154.html
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