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2016/08/31

「ザ大衆食」のURLが変わりました。

「ザ大衆食」のサイト、niftyが現在のサービスを9月29日に終了するので後継サービスへの移行を、ってことなので、移行した。めったに更新してないから、どんだけ見ているひとがいるか知らないが、イチオウまだ続ける気なのだ。

新しいURLは
http://entetsu.c.ooco.jp/
です。

「ホームページ作成サービス「@homepage(アット・ホームページ)」は、2016年9月29日に終了します。後継サービスへの移行をお願いします。」という案内が何度もあって、ほっておいたんだが、移行しないとサイトは無くなるうえ、いまは無料のサービスが新規には有料になるというので、移行した。

こういう手続きは、ほんとメンドウだ。本当は、それほどメンドウなことはないのだが、マニュアルの表現がわかりにくいうえ、普段使いなれないカタカナ横文字やら新たなドメインやパスワードの文字列やらがあふれ、それだけで嫌気がさすのだ。

いまどきのIT慣れした人たちは、そんなことはないのだろう。ま、とにかく、ひとつ一つのステップをマニュルの通りに正確にやれば、間違えることなくできる。

しかし、このサイトのほかにも、放置状態のサイトがあるうえ、フェイスブックもツイッターもやり、メールのやりとりもあるから、それらを丁寧マジメにやっていたらインターネットに関わる時間はばかにならない。

おれは、もともとモノグサだし、インターネットを真剣に有益に利用しようという気はなく、野次馬根性の遊びでやっているので、気の向くままだ。

ほったらかしのことも多く、ツイッターやフェイスブックなどは、うっかりしているとあるのも忘れている。

「ザ大衆食」のサイトは、更新するのに、けっこう根気がいるから、体力勝負という感じだ。齢と共に、放置状態が長くなった。

でも、インターネットは、いい世界だと思っている。

紙メディアの世界は、歴史が古いのと日本の役人業界と学術・文学業界あたりを頂点とする文字文化(活字文化)の独特の発展もあり、権威主義と権力主義の巣窟になっている感じがある。

ちかごろは「リトルプレス」といわれたりする個人発行のメディアも増えているようだけど、「誰でも自由に発信」ということではハードルが高い。そのハードルに囲われて、編集者もライターも成り立っている。そのうえ「流通」のこともあるが、それは置いておこう。ようするに、イチオウ、メディアとしての「公平」を装っているが、相対的なものでニンゲンによりけり、業界体質は中世みたいなものだ。

その世界の人たちをツイッターあたりでよく見かけるが、衣の下のヨロイのような野心があらわになっていることがけっこうある(もちろん野心があってのことだが)、「公平」の欺瞞もあらわになる。つまり、その世界での生態を、そのままツイッターなどに持ち込むからだが、それはそれで面白い。

インターネットは、システムとして、人間をフラットにおく。すると、リアルにはフラットな関係ではない人間模様が、表出する効果があるらしい。インターネットは、いろいろなことを可視化するのだな。

ちかごろ面白いのは、ツイッターとフェイスブックの関係だ。おれは両方、テキトーにやっているのだが、ツイッターをやっているひとで、あからさまにフェイスブックへの嫌悪を示す人たちがいる。そして、フェイスブックへの嫌悪が、フェイスブックをやっている人たちへの嫌悪になっていることも、少なくない。この逆の現象は、おれは見たことがない。

ツイッターもフェイスブックも、たかだかツールにすぎないのだから使いようなのに。クリエイティブ精神より何か感情的な好き嫌いが先に立っているようだ。

ひとは、自分のワガママを、「正しさ」や「真理」などに普遍化して押し通したがる。ってことか。

インターネットの世界も、「パワーブロガー」という人たちがあらわれたりで、それほど権威や権力と無縁というわけではないんだが。その生態は、紙メディアより割りとあらわであるから、なかなか面白い。

と書いていると、URL変更の告知がデレデレ長くなるからやめよう。

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2016/08/30

「感動ポルノ」騒動でナンシー関を思い出した。

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うちにはテレビがないからわからないのだが、一昨日あたりからか、ツイッターで「感動ポルノ」だのが騒がれていた。

どうやら、毎日新聞のWEBによると、このことらしい。
「NHKのEテレの情報バラエティー番組「バリバラ」で28日夜、「検証!『障害者×感動』の方程式」と題した生放送があった。「清く正しい障害者」が頑張る姿を感動の対象にすることを「感動ポルノ」と表現し、「感動は差別だ」との障害者の声を伝えた。同時間帯は日本テレビ系で障害者の姿を伝えるチャリティー番組「24時間テレビ」が放送中だった。」
http://mainichi.jp/articles/20160829/k00/00m/040/091000c
毎日新聞2016年8月28日 22時03分(最終更新 8月29日 00時30分)

こういうことをめぐって、ああでもないこうでもないが、ま、たいがいはネタの消費として展開されているのだが、なんでも歴史というものがある、それをぬきにしてしまうと、どうしてもああでもないこうでもないを投げつけあう恰好になる。そして、人びとは、ハイエナがエサに群がるように消費しつくすと、あらたなネタへと関心を向けていく。そういう世間が、ツイッターでは早送りのコマのように見える。

感動は共感と反感をよびながら、どんどんネタを消費し、どんどん拡散し、やがて別のネタへ変態していく。その様が、なかなかすごい。ポケモンGO、シン・ゴジラ…なども、その類のようだが、これらは「感動ポルノ」とは呼ばれない。でも、ツイッターを眺めていると、かなりの感動モノのようだし、同じような何かをはらんでいるようだ。人間は感情や情緒の動物だし、とくに日本人は情緒的といわれたりするしなあ。

それはともかく、この「感動ポルノ」騒動で、おれはナンシー関が以前書いていたことを思い出した。幸い、その本は、書棚にとってあった。

『夜間通用口』(文春文庫、2001年)で、ナンシー関は、「24時間テレビにおけるチャリティの困難」というのを書いているのだ。

「24時間テレビは、チャリティ番組である。何だかんだ言っても毎年10億円近くの募金を集める機能をはたしているのだから、それでいいのではないかというのもアリだ。10億集める機能って(表立ったところでは)他に無いだろう」としながら、その「困難」についてふれている。

「思い起こしてみれば、24時間テレビもいろいろ変遷を遂げてきているわけだが、ここ5年ぐらいのそれは「感動」の喚起機能としてのあくなき改良ととることもできる」

つまり、それは、ある時期「アフリカ・アジアの子供を救え」というフレーズに象徴されていたといえるのだが、それを「とんと耳にしなくなった」。

「「感動喚起」のツールとしては(ここでこういう言葉を使うのはためらうところだが)おいしくないということではないのか」なぜかというと、「オチがつかないから」だと。

ようするに、「アフリカ・アジアの子供を救え」は、あまりに困難が大きすぎて、「お金や物でそれを支援するということはいいのであるが、根本的な解決にはなり得ないことも同時に感じてしまう」

「そこで障害者なのである」

「ここ数年の24時間テレビは、感動喚起最強のものとして「障害に負けず○○に挑戦」という物語を見せている」

だけど、障害者の問題だってオチがないのではないか。ちがうのだ、「とくに障害を持っている人の人生にオチなんてない」のだけど、視聴者には、「成功・失敗にかかわらず「すばらしいチャレンジをした」ことで感動というオチが」つく。

「根本的な問題は何も解決していないが、きれいなオチを目のあたりにしたら言いっこなし、というか、感動が思考を止めるのかもしれない」

などなどと、ナンシー関は、コワイ指摘をするのだ。

「感動が思考を止めるのかもしれない」…よく見る光景だ。だけど、たいがいツイッターなどでああだこうだいっている本人は、思考停止しているとは思っていない。だって、ああだこうだいっているから思考は働いている、と思っているかのようだ。

ナンシー関は、「政治とかの問題」にもふれながら、「難しいなあ、チャリティ」と結ぶのだが、24時間テレビが、なぜいつごろから感動喚起機能へ傾斜していったかについても、述べている。

それは「FAX」の導入と重なる。「応援FAX」で、「感動をありがとう」が一躍キーワードになり、ほんらいの「募金」という形での反響以上のものが、「感動」に期待されるようなっていった。

この文章の初出は、週刊文春98年9月3日だ。ナンシー関の早すぎる死が惜しい。

いまでは、FAXどころか、テレビ見ながらツイッターで「感動」や「反感」を煽りあうことができるし、よく思考しないでそれらをいじりまわすような言葉を投げつけたり敵/味方認定したりを、簡単にやっている。

まあ、とにかく、「感動」「共感」「反感」だらけで、何も解決しないけど、にぎやかなのは確かだ。

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2016/08/29

東京新聞「大衆食堂ランチ」46回目、池袋・なみき食堂。

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東京新聞に毎月第三金曜日に連載の「エンテツさんの大衆食堂ランチ」の今月は19日の掲載だった。すでに東京新聞のWebサイトでもご覧いただける。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2016081902000178.html

なみき食堂は、なかなかたのしみが多かった。

この日おれが食べたのは、チキンライスだった。ひさしぶりのチキンライスだ。これが、昔のように楕円のステンレスの皿に盛られて出てきた。しかも、ホークとスプーンが小さなバスケットに入って添えられて。これが、「懐かしい味」は「かわいい味」を連想させるきっかけになったといってもよい。

「懐かしい味」にも、いろいろある。単純には「古い懐かしい味」だろうけど、「懐かしい味」は「古い味」だけではない。そのことが前から気になっていた。

懐かしいの奥底には、「かわいい」がある。昔を知らない若者でも、昔の空間や食べ物を、「なんだか懐かしい」と言うとき、「かわいい」と言い換えられることが少なくない。ということを、ときどき考えていた。

そして今回、このチキンライスを食べて、「懐かしい味」は必ずしも「古い味」でなく、「かわいい味」なのだと思った。

「かわいい」については、いろいろな論があるので、そのうち、「懐かしい味」と「かわいい味」の関係について、もっと深く考えてみたい。

とにかく、そんな味わいのチキンライスはたのしうまかったが、JR池袋駅からなみき食堂へ行く10分ちょとの道中も、なみき食堂があるあたりも、興味深いものがあった。

池袋駅からは西口に出て、池袋郵便局前の信号をトキワ通りに入る。このあたりは、駅近くだから道路の幅もあるし、周囲の建物の様子も池袋昭和風でありながら平成化している。

ところが、トキワ通りをすすむうちに、道路は半分の幅になり、さらにその半分ぐらいの狭い一車線になるのだ。そのたびに、通りの名前は変わり、道は坂を下っていく。道の両側の様子は、新しく建て替わっているところがあるとはいえ、大きなビルはなく、昭和をどんどん遡っていく感じがする。

018そして、坂の下に着いて道が平坦になったところ、その名も「坂下通り」に、なみき食堂はあるのだ。やはり、いい食堂は台地の高台から下ったほうに残っている、という「川の東京学」的仮説が成り立ちそうだと思った。

池袋は広く奥が深い。なみき食堂もそうだが、このあたりは戦災で焼けずに残ったのだ。戦前から地続きの生活を感じさせる路地もあるし、なみき食堂は、戦災で焼け残ったが少し斜めに傾いでいた建物を修復して使っているのだった。

修復と営業開始は昭和20年代なかばのことだそうで、表の看板は、金の塗装がはがれるままになっているけど、文字は彫り物だ。

もちろん、かわいい味のチキンライスを食べさせてくれる老夫妻も、たのしい方だった。

ドライカレーもメニューにあった。

チキンライス、ドライカレー、あるいはポークライスも、ようするに「やきめし」類のものだ。ここで、こんどは、ドライカレーを食べてみたい。

前回はこちら。
2016/07/30
東京新聞「大衆食堂ランチ」45回目、ときわ台・キッチン ときわ。

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2016/08/06

歌舞伎町 つるかめ食堂60周年。

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去る3日(水)は、新宿・歌舞伎町のつるかめ食堂で撮影だった。インタビューはなく、おれがひたすら飲んでいるところを撮るという、めったにないありがたいこと。

なので、15時に食堂で待ち合わせだったが、ウォーミングアップにベルクで一杯ひっかけていった。

撮影では、おかずをアテにサッポロラガーを飲むのだが、コップに泡の確保のために、飲んでは注ぎしているうちにけっこう飲んだようだ。

さらに、撮影は一時間ちょっとで終わって、それからが本当の飲みになった。

その飲んでいる最中に、この写真を撮った。少しブレたのかピンボケなのかという感じだが、トイレのドアにあった、「寿 六十周年」の手書きポスターだ。

「創業昭和三十一年二月 一九五六年」

はあ、おれが上京したのは1962年春で、上京してから割りと早くこの前を通っていて、その暗い怪しげな佇まいは目に焼き付いている。といっても、当時は歌舞伎町の大部分が暗い怪しげなところだったのだが。

「大衆食堂 つるかめ食堂」の文字のそばには、「前田政明パパさん、雅子ママさん」という書き込みがある。とてもチャーミングなパパさんとママさんは、やはり人気なのだな。

「六十周年」の文字のそばには、「全面禁煙になりました うれしい!」の書き込みが。

昨年末12月に発売の『dancyu』1月号は、創刊25周年記念特別号で「いい店って、なんだ?」特集だったのだが、おれはこの食堂を取材させてもらって書いた。そのときはまだ一部喫煙可だった。

60周年を期に禁煙にしたということか。店舗の建替えをのぞけば、開店以来の大変革。まあ、しかし、喫煙者は客の1割ぐらいになっているのだから、仕方のない成り行き。

なにがともあれ、60周年、めでたい。

思い出横丁のつるかめ食堂も健在。

どちらも建て替わり、代も変わり、「昭和」とか「レトロ」とかではなく、「いま」を生きている。

当ブログ関連
2015/12/11
『dancyu』1月号、特集「いい店って、なんだ?」に、歌舞伎町のつるかめ食堂を書いた。

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2016/08/05

「流れなきゃ」。

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月に一度の連載「エンテツさんの大衆食堂ランチ」が載った第三金曜日の東京新聞が、掲載紙として送られてくる。

それをためておいてはたまにパラパラ見るのだが、4月15日の「私の東京物語」に能町みね子さんが書いていることがおもしろい。

「流れなきゃ」のタイトル、写真は神田川の大曲のあたり。

「自分が選んだ大学はイマイチだったけど、流れのまま上京したこと自体は楽しかった。自分で選んだ仕事もいつもイマイチだったけど……このあと、流れで社員さんにデザイナーさんを紹介され、私は楽しい仕事にありつくようになっていく」と書き出す。

そして、デザイナーになるつもりで、住んでいた大曲の近くのデザイナーさんの会社の仕事を手伝っているうちに、「「ブログ」というものを勧められ」それがキッカケで「当初自分が狙っていたデザイナーでもなんでもない今のような職業になっていく」。

能町さんの肩書は、文筆業・イラストレーター。

で、最後がおもしろい。

「東京は思った通りに事が運ばないところだけれど、流れのままにたゆっているといろんなものに偶然ぶつかって、それがだんだんおもしろくなってゆく、そんな街。狙っちゃダメなんだ、流れなきゃ」

ま、流れても、「東京は思った通りに事が運ばないところ」だから、うまくいくとはかぎらないだろうけど、この「流れなきゃ」という感覚は、いいな、と思う。

まず、たいがい、こういう感覚の人は、狙っている人より、はるかにおもしろい。能町さんの書く文章がおもしろいのも、このへんのことがあるからだろう。

これは「川の東京学」に関係あるかどうかわからないけど、「流れなきゃ」というのは、多分に「低地的」な感覚だと思う。

逆に、「台地的」な感覚というのは、わかりやすい言葉でいえば、長い間いわゆる「勝ち組」の人たちが住みついて積み上げてきた、狙っちゃう人たちの文化が背景にあるようだ。権力主義的、権威主義的な階段を狙って昇ろうとしている感じが、言葉のはしはしや文章などにも表れる。

もちろん、低地に住んでいても台地的な人もいれば、その逆もある。それは、ある種の哲学や文化の問題だからだろう。

中沢新一さんの書くものは、用心しながら読む必要があると思っているが、けっこう話題になった『アースダイバー』(講談社、2005年)には、「東京低地の哲学」というのがある。そこで彼は、こう書く。

「人生が盤石の基礎の上に打ち立てられている、などという幻想を抱くことができるのは、堅い洪積地の台地の上に町をつくった、山の手の連中だけなのではないか」

「ところが低地でははじめから、人生は不確実なものだと、みんなが知っている。なにしろそこは沖積地の上に、暮らしが営まれているのだし、人の生存がもともと不確かなものであるという真実を隠すために、人が自分の身にまとおうとする権力やお金も、低地の世界にはあんまり縁がない」

「人生が不確実であるということは、逆に柔らかく動揺をくりかえす」「下町の哲学は実存主義である」

あーん、うーん……ま、そういう面もあるかもぐらいかな。でも、ちょっと単純すぎやしないか。地理のこともあるけど、権力や権威に盤石の基礎を求める人たちがいるわけで、それらが台地側の文化の中心を担ってきたともいえるだろう。

とにかく、「下町の哲学は実存主義である」なのだが、それより、能町さんの「東京は思った通りに事が運ばないところ」だから「流れなきゃ」のほうがピッタリくる。

「流れなきゃ」は、不安定を明るく積極的に生きる哲学というわけだ。うまくいくかどうかなんて、わからない、狙っちゃう人だって、同じこと。どうせなら、ガツガツ狙って何でも自分の思った通りにしたがる人間より、「流れなきゃ」の人のほうがおもしろい。

そういや、おれは、大衆食堂のめしは実存のめしだ、なーんて、どこかに書いたことがあるような気がする。

当ブログ関連
2016/07/31
「川の東京学」メモ、川本三郎『遠い声』から。

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2016/08/04

さらば、猫たちのマスター。

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昨日、今年になって初めて猫たちへ行ったら、いつものマスターとちがう人がカウンターの中にいた。マスターは亡くなったのだそうだ。

一昨年の11月、須田泰成さんとこのバーへ行ったとき、須田さんが撮影してくれた写真がある。ずっと取材拒否の店だし、貴重な写真だ。開店早々でほかに客がいなかったこともあり、マスターとこんなに話して笑ったのは初めてだった。だいたい、女客には機嫌よく愛相がよいが、男客には無愛想なほうだった。

70年代の中ごろから通い出したおれにとって、このマスターは二代目だったが、実際は三代目。すでに前のマスターも亡くなっている。みな少々偏屈者だった。薄暗く煙草の煙にかすむジャズバーのマスターが似合っていた。

店が続いてくれているだけ、ありがたい。新宿で70年代から通っているバーは、フロイデが昨年だったか閉店したので、もうここしか残っていない。

カウンターの中にいたのは、オーナーさんだった。ウワサに聞くだけだったが、初めて会った。この店はマスターにまかせていたので、これまでこの店に立ったことはなかったという。新宿には、ほかにも経営する店がある。

かなりのレコードマニアのようで、この店の棚にズラリ並ぶジャズ盤は、このオーナーの趣味の反映なのかと納得した。

マスターは、この店では、酒と曲と両方に精通してなきゃいけないし、お客の好みも両方しっていなくてはならないから大変なんだよ、常連はうるさいやつらばかりだしね、と言っていた。

ま、とにかく、マスター、楽しかった。ありがとう。

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2016/08/02

トワイライト。

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日光中禅寺湖、ふりかえれば、男体山。

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ほろよい状態も、トワイライトといえるか。

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2016/08/01

「トワイライト・カテゴリー」と食。

008昨日のエントリーで「トワイライト」という言葉が出てきたが、かつてインテリ業界のようなところで「トワイライト・カテゴリー」なるものが流行った。それは流行りで終わらず、時代の変化をとらえる中心的な動きへとなっていくのだが。

いま調べたら、林知己夫さんや坂本賢三さんたちの『あいまいさを科学する トワイライト・カテゴリーへの招待』(ブルーバックス)が1984年だから、そのころの流行りだったか。

おれの記憶では、もうちょっと前から、デカルト主義が「要素還元主義」として批判あるいは検討されたり、いわゆる西洋的な近代合理主義の原理に対して批判的な言説が増え、インドや東洋的な哲学や思想らしきことがヨガや東洋医学といったことで流行りになったり、そういうあれやこれやが、この本で一つの山場を迎えた、という感じの記憶が残っている。

この「トワイライト・カテゴリー」ってのは、昨日のエントリーに書いた、こちら側と向こう側の「橋」とも考えられる。橋は、どちら側でもないし、どちら側でもある、あいまいな存在だ。

当時、おれのすぐ近くというか、一時は経営管理下にあった『談』という雑誌が、このへんのテーマをトコトン扱っていたから、おれは「耳学問」的にあれこれ知ることができた。

『談』は、このあいだ100記念先週号を出したが、[TASC](たばこ総合研究センター)から現在も発行されていて、当時から編集に関わっていたアルシーヴ社の佐藤真さんが編集長をしている。最初は[TASC]の会員向けだったが、インテリ業界の一部で注目され、書店売りがされるようになった。

当時は、「1/fゆらぎ」だの「複雑系」だの、それから「ダブルバインド」など、いろいろな言葉が躍った。おれが一時はまってヤバかった「ホリスティック」だの、ハヤリというのは、ミソもクソも一緒にしながら大きな流れになっていくのだが。

その中で、一つの大きな分野として「からだ、こころ、いのち」がある。この分野は、まだまだアイマイのことが多いし、わからないことのほうが多いのだが、これは、背中あわせに「農」や「食」あるいは「味覚」と深い関係がある。それから、2002年の健康増進法前後から、ますますにぎやかになっている「健康」は、ストレートに関係がある。

『談」では「からだ、こころ、いのち」に関するテーマをたくさん扱っていたが、これが1997年に三冊にまとめられ河出書房新社から発行になった。『談』に掲載の論考から選択され三分冊にまとまっているのだが、一冊目は『パラドックスとしての身体 免疫・病い・健康』、二冊目『複雑性としての身体 脳・快楽・五感』、三冊目『〈構造〉としての身体 進化・生理・セックス』となっている。四冊目に、これらを解読するための『からだブックナビゲーション 身体を知るための5000冊』がある。

「シリーズ身体の発見」とあるが、ウソではない。味覚についてあれやこれやオシャベリしているわりには、その味覚を感じる身体の発見は、新しいことなのだ。そういう興味津々の言説が、いま読んでも極めて新鮮で、あれこれのコンニチ的現象、つまり複雑な動きへの対応は、このあたりから考える必要がありそうだと思う。

ほんのわずかな例をあげれば、『パラドックスとしての身体 免疫・病い・健康』には、波平恵美子さんの「豊かさとしての病」がある。これは、健康増進法がはらむ「優生思想」や、最近起きた津久井の障害者施設の惨殺事件の底流にあることの根本を考えさせるし、警告していたように読める。

からだと私を、どう相対化できるか、どう相対化するのか。あるものを食べて「うまい」と感じた「私」は、どういう「からだ」の人間なのか。ものを食べて、ものや店や、それを作るひとだけを評価するのがアタリマエになっているけど、味覚は相手側と自分側を映し出しているはずなのだ。

というところで用が出来てしまった。この続きは、またそのうち。

当ブログ関連
2014/11/14
『談 100号記念選集』

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