「感動ポルノ」騒動でナンシー関を思い出した。
うちにはテレビがないからわからないのだが、一昨日あたりからか、ツイッターで「感動ポルノ」だのが騒がれていた。
どうやら、毎日新聞のWEBによると、このことらしい。
「NHKのEテレの情報バラエティー番組「バリバラ」で28日夜、「検証!『障害者×感動』の方程式」と題した生放送があった。「清く正しい障害者」が頑張る姿を感動の対象にすることを「感動ポルノ」と表現し、「感動は差別だ」との障害者の声を伝えた。同時間帯は日本テレビ系で障害者の姿を伝えるチャリティー番組「24時間テレビ」が放送中だった。」
http://mainichi.jp/articles/20160829/k00/00m/040/091000c
毎日新聞2016年8月28日 22時03分(最終更新 8月29日 00時30分)
こういうことをめぐって、ああでもないこうでもないが、ま、たいがいはネタの消費として展開されているのだが、なんでも歴史というものがある、それをぬきにしてしまうと、どうしてもああでもないこうでもないを投げつけあう恰好になる。そして、人びとは、ハイエナがエサに群がるように消費しつくすと、あらたなネタへと関心を向けていく。そういう世間が、ツイッターでは早送りのコマのように見える。
感動は共感と反感をよびながら、どんどんネタを消費し、どんどん拡散し、やがて別のネタへ変態していく。その様が、なかなかすごい。ポケモンGO、シン・ゴジラ…なども、その類のようだが、これらは「感動ポルノ」とは呼ばれない。でも、ツイッターを眺めていると、かなりの感動モノのようだし、同じような何かをはらんでいるようだ。人間は感情や情緒の動物だし、とくに日本人は情緒的といわれたりするしなあ。
それはともかく、この「感動ポルノ」騒動で、おれはナンシー関が以前書いていたことを思い出した。幸い、その本は、書棚にとってあった。
『夜間通用口』(文春文庫、2001年)で、ナンシー関は、「24時間テレビにおけるチャリティの困難」というのを書いているのだ。
「24時間テレビは、チャリティ番組である。何だかんだ言っても毎年10億円近くの募金を集める機能をはたしているのだから、それでいいのではないかというのもアリだ。10億集める機能って(表立ったところでは)他に無いだろう」としながら、その「困難」についてふれている。
「思い起こしてみれば、24時間テレビもいろいろ変遷を遂げてきているわけだが、ここ5年ぐらいのそれは「感動」の喚起機能としてのあくなき改良ととることもできる」
つまり、それは、ある時期「アフリカ・アジアの子供を救え」というフレーズに象徴されていたといえるのだが、それを「とんと耳にしなくなった」。
「「感動喚起」のツールとしては(ここでこういう言葉を使うのはためらうところだが)おいしくないということではないのか」なぜかというと、「オチがつかないから」だと。
ようするに、「アフリカ・アジアの子供を救え」は、あまりに困難が大きすぎて、「お金や物でそれを支援するということはいいのであるが、根本的な解決にはなり得ないことも同時に感じてしまう」
「そこで障害者なのである」
「ここ数年の24時間テレビは、感動喚起最強のものとして「障害に負けず○○に挑戦」という物語を見せている」
だけど、障害者の問題だってオチがないのではないか。ちがうのだ、「とくに障害を持っている人の人生にオチなんてない」のだけど、視聴者には、「成功・失敗にかかわらず「すばらしいチャレンジをした」ことで感動というオチが」つく。
「根本的な問題は何も解決していないが、きれいなオチを目のあたりにしたら言いっこなし、というか、感動が思考を止めるのかもしれない」
などなどと、ナンシー関は、コワイ指摘をするのだ。
「感動が思考を止めるのかもしれない」…よく見る光景だ。だけど、たいがいツイッターなどでああだこうだいっている本人は、思考停止しているとは思っていない。だって、ああだこうだいっているから思考は働いている、と思っているかのようだ。
ナンシー関は、「政治とかの問題」にもふれながら、「難しいなあ、チャリティ」と結ぶのだが、24時間テレビが、なぜいつごろから感動喚起機能へ傾斜していったかについても、述べている。
それは「FAX」の導入と重なる。「応援FAX」で、「感動をありがとう」が一躍キーワードになり、ほんらいの「募金」という形での反響以上のものが、「感動」に期待されるようなっていった。
この文章の初出は、週刊文春98年9月3日だ。ナンシー関の早すぎる死が惜しい。
いまでは、FAXどころか、テレビ見ながらツイッターで「感動」や「反感」を煽りあうことができるし、よく思考しないでそれらをいじりまわすような言葉を投げつけたり敵/味方認定したりを、簡単にやっている。
まあ、とにかく、「感動」「共感」「反感」だらけで、何も解決しないけど、にぎやかなのは確かだ。
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