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2016/08/01

「トワイライト・カテゴリー」と食。

008昨日のエントリーで「トワイライト」という言葉が出てきたが、かつてインテリ業界のようなところで「トワイライト・カテゴリー」なるものが流行った。それは流行りで終わらず、時代の変化をとらえる中心的な動きへとなっていくのだが。

いま調べたら、林知己夫さんや坂本賢三さんたちの『あいまいさを科学する トワイライト・カテゴリーへの招待』(ブルーバックス)が1984年だから、そのころの流行りだったか。

おれの記憶では、もうちょっと前から、デカルト主義が「要素還元主義」として批判あるいは検討されたり、いわゆる西洋的な近代合理主義の原理に対して批判的な言説が増え、インドや東洋的な哲学や思想らしきことがヨガや東洋医学といったことで流行りになったり、そういうあれやこれやが、この本で一つの山場を迎えた、という感じの記憶が残っている。

この「トワイライト・カテゴリー」ってのは、昨日のエントリーに書いた、こちら側と向こう側の「橋」とも考えられる。橋は、どちら側でもないし、どちら側でもある、あいまいな存在だ。

当時、おれのすぐ近くというか、一時は経営管理下にあった『談』という雑誌が、このへんのテーマをトコトン扱っていたから、おれは「耳学問」的にあれこれ知ることができた。

『談』は、このあいだ100記念先週号を出したが、[TASC](たばこ総合研究センター)から現在も発行されていて、当時から編集に関わっていたアルシーヴ社の佐藤真さんが編集長をしている。最初は[TASC]の会員向けだったが、インテリ業界の一部で注目され、書店売りがされるようになった。

当時は、「1/fゆらぎ」だの「複雑系」だの、それから「ダブルバインド」など、いろいろな言葉が躍った。おれが一時はまってヤバかった「ホリスティック」だの、ハヤリというのは、ミソもクソも一緒にしながら大きな流れになっていくのだが。

その中で、一つの大きな分野として「からだ、こころ、いのち」がある。この分野は、まだまだアイマイのことが多いし、わからないことのほうが多いのだが、これは、背中あわせに「農」や「食」あるいは「味覚」と深い関係がある。それから、2002年の健康増進法前後から、ますますにぎやかになっている「健康」は、ストレートに関係がある。

『談」では「からだ、こころ、いのち」に関するテーマをたくさん扱っていたが、これが1997年に三冊にまとめられ河出書房新社から発行になった。『談』に掲載の論考から選択され三分冊にまとまっているのだが、一冊目は『パラドックスとしての身体 免疫・病い・健康』、二冊目『複雑性としての身体 脳・快楽・五感』、三冊目『〈構造〉としての身体 進化・生理・セックス』となっている。四冊目に、これらを解読するための『からだブックナビゲーション 身体を知るための5000冊』がある。

「シリーズ身体の発見」とあるが、ウソではない。味覚についてあれやこれやオシャベリしているわりには、その味覚を感じる身体の発見は、新しいことなのだ。そういう興味津々の言説が、いま読んでも極めて新鮮で、あれこれのコンニチ的現象、つまり複雑な動きへの対応は、このあたりから考える必要がありそうだと思う。

ほんのわずかな例をあげれば、『パラドックスとしての身体 免疫・病い・健康』には、波平恵美子さんの「豊かさとしての病」がある。これは、健康増進法がはらむ「優生思想」や、最近起きた津久井の障害者施設の惨殺事件の底流にあることの根本を考えさせるし、警告していたように読める。

からだと私を、どう相対化できるか、どう相対化するのか。あるものを食べて「うまい」と感じた「私」は、どういう「からだ」の人間なのか。ものを食べて、ものや店や、それを作るひとだけを評価するのがアタリマエになっているけど、味覚は相手側と自分側を映し出しているはずなのだ。

というところで用が出来てしまった。この続きは、またそのうち。

当ブログ関連
2014/11/14
『談 100号記念選集』

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