『栄養と料理』10月号の特集に初寄稿。
告知が遅れてしまったが、先週は6日から発売中の『dancyu』10月号の「ウマい町」で栃木県佐野のいもフライをルポしているのだけど、9日発売の『栄養と料理』10月号にも寄稿している。
『栄養と料理』には初登場なのだが、いきなり、「お酒好きのための健康術」という特集の冒頭で、「酒がうまければそれでよし!?」ってことで「酒と私と健康と…」を書いている。おれが飲んでいる写真もデカデカと。
これまでは、栄養だの健康だのハナクソクラエって感じだったのに、こんなことになってしまったのは、某氏の(単に酒を楽しく飲むという)仕掛によるもので、マジかよ冗談だろっと思っているうちに、ほんとうにこんなことを書くことになり、書いてしまった。
『dancyu』と『栄養と料理』は、方向性が逆というか、異なる点が多い。
だいたい『dancyu』は、いわゆるグルメ系で、「反健康」とまではいかなくても、とにかくウマイモノ一途だ。今回の佐野のいもフライだって、栄養学的には、あまり健康的のモノとはいえないだろう。
一方、『栄養と料理』は、清く正しく健全で健康な食生活(こうやって書いてみると、おれにはまったく縁がないことがわかるのだが)をモデルにしている。
今回のように一度に両方の仕事に関わって見ると、なかなか面白いことが見えてくる。けっきょく、「食」というのは「健康」と「不健康」を両方食べるようになっているのだ。
そもそも生存というのが、生きるために食べながら死に向かっているのだからね。この世はパラドキシカルな構造で動いているのだ。
だから、『dancyu』と『栄養と料理』は、じつは、背中合わせで一つの食の姿になる。それでも「食」の全体像からは遠いと思うが。ところが、割りとどちらからしか見てないことが多い。
たとえば、「食」というと「味」と「技術」や「職人」や「雰囲気」といったことになりやすく、さまざまな数値や身体・生理などは無視して「文化」のほうへ傾斜しやすい。一方、栄養や料理というと、教条的に数値や知識を追い「正しい生活」に傾斜しやすい。
だけど、人間は、そんなに都合のよい存在ではない。ま、つまり、どちらも「人間の生存」ということに深く関わりながら、そこのところには踏み込んでないわけだ。といったことなどが、今回シミジミ感じた。
とにかく、『栄養と料理』は、雑誌業界では『dancyu』などと比べると地味な存在だけど、本来の意味での編集力つまり表現以前の力量が問われる雑誌だ。
女子栄養大学出版部の発行で、いろいろ制約が多いのに、なかなか巧みで攻めな編集をしていると思う。だからまあ、おれのようなものが書くことにもなったのだろう。
ちなみに、女子栄養大学は、いまではごく普通に使われている料理の計量カップ・スプーンを考案した香川綾さんとご主人が設立の学校です。ご夫妻で日本の栄養学の基礎を立ち上げた。栄養学は、功罪いろいろだけど、この功績は大きい。『暮しの手帖』の功績より注目されてよいと思うんだが、そのへんは、ま、なんですね、『栄養と料理』より『dancyu』や『暮しの手帖』の方が洗練されていてカッコイイと思う、薄っぺらな困った文化の根深さ、といえるか。
おれの文章は「健康術」にはなっていないけど、「反面教師」ぐらいにはなるかも知れない。
そうそう、おれはこの原稿を書くために、20年ぶりに健康診断ってやつを受けた。肝機能関係の数値は、20年前と比べてどうだったか、それは本誌を見ればわかります。
どうか書店で手に取って見てください。
扉の写真は、歌舞伎町のつるかめ食堂。撮影は、島﨑信一さん。
当ブログ関連
2016/06/15
『栄養と料理』がおもしろい。
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