『dancyu』11月号で駒場東大前「菱田屋」の焼売。
去る6日に発売の『dancyu』11月号のメイン特集は「居酒屋が呼んでいる」だけど、サブ特集が「焼売」で、おれは駒場東大前の菱田屋さんを取材して書いている。
菱田屋は現在の場所で100年の大衆食堂。正確には、その前から、当時の正式の名称は「東大」ではなかったと思うけど、校内でどんなカタチかわからないが営業していた。
大衆食堂というと、「昭和」や「すがれた風情」が、得体の知れない興味本位と共に語られがちだが、実際は、ゆっくりながらも時代と共に生きているのであり、なかには、この菱田屋のように代替わりしながら、建物やメニューや料理をリニューアルあんどリファインし、新しい時代を創造するように生き続けているところもある。
その生き残り方や生き続け方は、やはり、場所や経営者によって、じつに様々だ。
よく「進化」という言葉が使われたりして、菱田屋についても、そのようにいわれたりするが、大衆食堂における「進化」は一様でなく、「進化とは」を考える好対象のような気がしている。
菱田屋、野方食堂、巣鴨のときわ食堂、浅草のときわ食堂、町屋のときわ食堂、歌舞伎町のつるかめ食堂、もり川食堂、動坂食堂……そして、チェーン展開の大戸屋など、それから、大宮いづみやも一見変わらないようでもゆるやかに進化している。それぞれ、進化の方向性やスピードなどが違うのだ。それは立地も関係するようだ。
とにかく、菱田屋の場合、14年前に建替え、おれより2歳若い1945年生まれの4代目と5代目が一緒に厨房に立つ。
店舗からメニュー、料理やサービスについての考え方まで、未来と変化を感じさせる。
5代目は、焼売についても、シンプルで明快な「料理論」を持っているのだが、それは飲食店だから出来るというものではなく、家庭でも可能であり、家で焼売を作ってみたくなった。
というぐあいに、5代目の「料理論」に興味を持ったのだが、そのあたりのことは、文章ではふれられなかった。
それから5代目は、最初は寿司を志し、途中でやめ、「文琳」で5年間勤めている。そのあたりの「事情」も、日本料理の体質がからむ興味深いことだったが、テーマとは直接関係ないので、書いてない。
考えてみると、いつも料理的にカンジンなことより、ダンチュー的にカンジンなことに沿うように書くのが「フリーライター」の役目なので、そうなるのだな。これは、雑誌や読者の「進化」の方向性のモンダイでもあるだろう。
「焼売」「シュウマイ」「シウマイ」についての「談議」も載っている。
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