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2016/10/31

なぜTPPは国民的な議論にならないのだろうなあ。

昨日書いた、「タイアップ」が話題になった飲みでは、TPPも話題になった。考えたら、まいどいろいろ飲んで、たいがい飲食のことは話題になるわけだけど、近頃TPPが話題になったことはなかったなあと気がついた。

一緒に飲んでいたのは、べつに食に関係する仕事をしているわけじゃないし、普通の会社員も、気にしているひとは気にしているんだよね。

これだけ、食う飲むのことが話題になっていながら、そして、これでまあ日本が滅びるとかではないだろうけど、かなり「食」への影響は大きいはずなのだが、どうしてこうも話題にならないのだろう。

だいたい、食う飲むについて書いているひとでも、ほとんどふれてないんだけど、何かしら考えがあるんだろうか。と、あらためてフシギに思うのだった。

食う飲むについて書いたり仕事をしているひとが近くにいたら、ぜひTPPについて聞いてみてくださいよ。これは、結論は難しいけど、議論しもみあうことそのものに、意味があると思う。農業のこともあるけど、自分たちの食うことなんだけどなあ。

そうそう、自分たちの食うことといえば、こちらもよろしく。予約が必要です。
2016/10/27
11月2日の「常磐線中心主義ナイトIII」は面白い楽しみな顔合わせだ。

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2016/10/30

タイアップ。

飲み会で「タイアップ」が話題になった。「○○さんはタイアップが上手だね」とか。「○○さん」は、ある「作家」だったり、「会社」だったりするのだが。

とくに悪い意味でのことではないが、良い意味でのことでもない。

近年は「タイアップ」というより「コラボレーション」ということが多いようだ。もしかすると「タイアップ」には、あまりよいイメージがないのかもしれない。なんとなく「広告くさい」というか。広告は割りと嫌われものなのに、広告くさくない広告つまりタイアップは、けっこう盛んだ。

いまや、制作だの編集だのといった分野では、タイアップが幅広く行われている。タイアップは費用対効果が良いから、長い「不景気」のあいだに蔓延したようだ。新聞やテレビ業界は昔から、出版業界もタイアップが花盛り。

少し前だが、ある大手の編集者と飲んだら、いまは「飲む」「食う」「散歩と旅」に「タイアップ」がつけば、売れるから企画が通りやすいといっていた。

「ジャーナリスト」を名乗る人たちの大半は、特定業界や特定企業や特定商品や特定思想や特定団体などの「PRライター」であることが多い。だけど「PRライター」の肩書は、ほとんど見ることがない。その肩書では、タイアップの「客観性」が担保できないからだろう。

雑誌などで、記事のようでありながら欄外に「広告」「PR」とあった場合は、「有料のタイアップ」でスポンサーが金を出しているし、見る人はそのつもりで、マユにツバしながら見る。

だけど、普通タイアップというと無料無償であり、「広告」「PR」といった表示はない。それなのに、「広告」「PR」以上に、広告・PRになっていることが多い。

本一冊丸ごとそういうものであったとしても、本の表紙に、「これは広告・PRです」という表示はない。そして、広告などのように、デザインがよい、写真がよい、イラストが可愛い、内容が面白い、などと話題になれば、しめたものなのだ。

モンダイは、事業者側はPR活動の一環として認識して制作や編集に協力していても、制作や編集側にタイアップの認識がないことが、けっこう多くなっていることだろう。ま、それぐらい、この手法は蔓延している。

だってさ、人気の商品やいい商品を生みだす事業者を取材してメディアで紹介することは、いいことでしょ、どこが悪いの。って、いやいや、「いい/わるい」を問題にしたいんじゃないけどね。

「客観性」を、どう担保するかの考え方と方法のことなのだ。

だけど、タイアップの認識がないタイアップでは、そこが問題になることはない。

事業者や広報・広告サイドからすれば、これはどう見てもタイアップだよねと判断したり協力したりがあっても、制作や編集あるいは「作家」のほうには、そういう認識がないことが少なくない。たいがい「取材先」ぐらいにしか思っていない。それでいて、取材に協力するのは宣伝になるんだから当然だろという姿勢だったり。

でも事業者や広報・広告サイドのひとは、「○○さんはタイアップが上手だね」と見ている。そういうことがけっこうあるということを、制作や編集のサイドの人たちは知らない、ということもある。

そこを気づかれないようにしかけることをショーバイにしている人たちもいる。おれがかつて付き合っていた、そういうショーバイ人の男の手帳を見せてもらったことがある。大新聞社や大出版社その周辺の作家たちの一人ひとりの性癖などが書いてあって、ところどころに数字が書き込んであった。その数字は「謝礼」を意味するが現金で渡すことはない。

彼らは、「ジャーナリスト」だ「記者」だの「作家」だのを、上手におだてたりするが、自分の手持ちの「PRライター」ぐらいにしか見てない。そして、出版などのメディア業界で成功を急ぐ、たくさんの人たちは、タイアップを意識しないでタイアップにはまりやすい。自分に価値ある「名店」や「名人」の「PRライター」を積極的に買って出て名声の地歩を築く。「ジャーナリスト」や「作家」や「エッセイスト」などの肩書で。

ま、この世は、もちつもたれつだからな。それにPRライターだって立派な職業だ。PRライターだって自覚していれば。

タイアップなのにタイアップを認識していないものが増えた。そのていどの認識力しか持てないものが作るものを読んでいて大丈夫なのか。どこかオカシイわけだ。

おれもそろそろ旅券をとっておこうかしら。

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2016/10/29

六日町中学校同期会。

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今月初めに発売になった、四月と十月文庫7『理解フノー』の最後の項「坂戸山」の書き出しは、こうだ。

「二〇〇一年十一月某日、ついでがあって故郷の六日町を訪れた。町の東側にそびえる坂戸山は昔と変らない、真っ赤な紅葉だった」

去る10月16日、六日町中学校昭和34年卒業の同期会があって、六日町へ行った。坂戸山の紅葉には、まだ早かった。

会場のホテルで、16時半から記念写真撮影、17時から宴会になった。参加者は約60名。二次会、三次会と飲んで、もう途中からよく覚えていない。

おれたちは中卒者が「金の卵」といわれた世代だ。高校進学率は40%ぐらい。

幹事の報告によると、同期の卒業生265名(5クラスだから1クラス50名以上)。うち物故者39名。39名のうち7名が、3年前の70歳のときの同期会以後に亡くなった。ひさしぶりに同期会で会って、また話したいと思っていたひとが、何人か亡くなっている。

物故者39名の名簿もあった。卒業後、最初に亡くなったひとのことは、よく覚えている。卒業した年の初夏に自殺したのだ。3年生のとき、同じ学級で、彼女は級長で、おれは副級長だった。彼女は成績がよかったけど、家庭の事情で定時制高校に通いながら昼は県立病院に勤めていた。

卒業前、働きながら勉強して看護婦になるんだ、それが一番いいんだ、というようなことをいって、フッと笑った。彼女が、にぎやかにほがらかに笑うところを見たことがない。いつもうつむき加減にしていたが、そのまま、かすかに風が吹いたようにフッと顔をほころばせるのだ。たぶん笑ったのだろうと感じるのだが、笑いだったのかどうかはっきりしないような。

あの彼女が死んだ夏のお盆休み、彼女と親しかった5名で、死後初めて彼女の家を訪ねた。そのときのことも、よく覚えている。

彼女が首をつった朝のことを、彼女の母親に聞きながら、おれたちはワンワン泣いた。いや、おれは泣かなかった。その母親に殴りかかりたくなる衝動をこらえていた。

その朝、彼女は二階の自分の部屋から降りて来て、朝の膳の前に座ったが、うつむいたままだったそうだ。なかなかめしを食べないので、母親は「ほら早く食べて行きな」というようなことをいったらしい。彼女は、「うん」といい、そのまま食べずに二階にあがった。そして二度と降りて来なかったのだ。

彼女の家からは、街中とは少しカタチのちがう坂戸山が見えた。彼女の家は、街のはずれから田畑のなかを突っ切る17号を10分ほど歩いたところにあった。農家で、彼女の下には弟や妹が何人かいた。

当時は、拡張されたが舗装されていなかった17号の広いジャリ道を、おれたちは行きも帰りもトボトボ歩いた。強い日差しの下で、一直線のジャリ道は真っ白に見えた。

同期会では、死んだひとのこともいろいろ話題になるが、彼女の話をするのは、なんとなくタブーだ。あの日、彼女の家を訪ねたのは、女3人と男2人だった。男は、おれともう1人で、彼のことは覚えているのだが、女3人が誰だったか思い出せない。話を切り出して聞ける「空気」でもない。ま、それでよいのだろう。

同期会には、『理解フノー』の「坂戸山」に出てくる、「マサオくん」も来ていた。岩登りで転落したが木の枝で命拾いした「ケンイチくん」も来ていた。

同期会に参加したのは、「クスリ自慢」のひともいるが、比較的元気のよいひとたちだ。元気がよくて、遠方に旅していて参加できなかったクボシュンのようなひともいるが、どこかしら身体のぐあいが悪く参加できないひとも少なくない。

「老老介護」も体験したり体験中のひともいる。誰もが、死をシッカリ見ているようだった。3年前より、その気配は、確実に濃くなっていた。

死だけは、すべてのひとに平等に、けっこう残酷にやってくる。そういう感慨を、酒漬かりの身体に抱いて帰って来た。

今年は、しっかり冷え込まずにグズグズ暑い日が続いたので、紅葉のぐあいがよくない、紅葉する前に枯葉色になってしまうと地元のひとがいっていた。そういえば坂戸山も、うっすら枯れた色が見えた。

つぎの同期会まで生きて参加できるだろうか。こんどは、いつ坂戸山を見るのだろう。

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2016/10/27

11月2日の「常磐線中心主義ナイトIII」は面白い楽しみな顔合わせだ。

司会の五十嵐泰正さんは、ツイッターで「消費者と生産者が繋がる。付加価値の高い持続可能な生産と消費。その答えは本当にブランド化しかないのか」と問いかける。
13:13 - 2016年10月17日
https://twitter.com/yas_igarashi/status/787869172692688896

これはとても大事なことだと思う。「ありふれたものをおいしく」や「近代日本食のスタンダード」を問う主張してきたおれとしては、こういう問いかけのトークが開催されることは、すごくうれしい。

「コモディティ」「ありふれたもの」「スタンダード」はいけないのか。そんなはずはない。生産や食文化の継続という点では、これらを抜きに語ることはできない。過去も多くを担っきたし、これからも多くを担うにちがいないのだ。

だけど「過剰品質」が指摘された1980年代から、「差別化」「セグメンテーション」「多品種少量生産」「高品質高付加価値化」そして最終的に「ブランド化」といった競争がもてはやされ、それと照応するように消費者の「高感度」「高感性」といったことがもてはやされ、そういうことばかりに傾斜してきた。

これは高度経済成長期の考え方を、そのままひきずったもので、現在でも飲食ばかりでなく、いたるところに見られる。一方で、コモディティやありふれたものを、ちゃんと評価できない風潮が蔓延してきた。その結果はどうだろう。

という話はおいといて。

このブログでも紹介したが、五十嵐さんは、久松達央さんとの対談で、「ブランディングすることでの日本の食の未来を考えた」とすれば、「今回はブランディングしないこと、安いコモディティは安いコモディティのままで食の未来を創ることはありうるのか、より困難な道を考えます」ということなのだ。

そう、困難な道だけど、考えないわけにはいかない事態になっている。

世間では、とくに、いまのメディアでは「食う」と「飲む」と「旅や散歩」なら売れると、まるで「抜ける商品」や「感動ポルノ」をつくるように、「いい話」ばかりへ向かっていて、こういう困難なことは考えない風潮が支配的だけど、そこにいったいどういう全体像や未来像があるのだろうか。

消費者は、生産者やメーカーに向かってワガママをいい、それに応えてくれる生産者やメーカーだけをチヤホヤしていればよいのか。そんなことが、イチオウ「過剰品質」が指摘された1980年代から続いてはいるけど、これは過去の高度経済成長期の考え方の延長で、ここ30年ばかりのことにすぎない。実態は、もう息切れ状態になっている。わかりやすくいえば、労働と経済効率の壁にぶちあたっているのだ。

困難でも、よりよい消費者と生産者の自立的な関係を築かなくてはならない。

「ありふれたものをおいしく」は、「ありふれたもの」をつくる生産者と「おいしく」食べようとする消費者の自立的な関係をめざすものだ。

消費者は、生産者やメーカーの物語と、それを「美しい物語」に仕立てふりまくメディアなどに受動的に生きるのではなく、自らの生活の物語を持って、より望ましい関係を模索すべきだろう。どう生き、どう食べるべきか。そこに、必要な品質やサービスとは何か。いい店やいい商品の情報より、もっと考えることがあるはずだ。

なーんて、思わず、力が入ってしまった。この動き、大事にしたいからね。

今回は、ゲストも、コモディティを語るにふさわしい素晴らしいゲストが2人。

常磐線の「先」の「コモディティの港町・小名浜」から小松理虔さん、常磐線の「元」の上野から、このブログでも何度か紹介している「安売りのガード下・アメ横」から「呑める酒屋・魚草」の大将、大橋摩周さん。

2人とも、その経歴からして面白いのだが。

詳しい案内と予約は、こちらから。
http://boutreview.shop-pro.jp/?pid=108474068

先週の土曜日22日、上野で取材(される)があって、そのあと野暮酒場へ行く前に、魚草をのぞいたら、あいかわらず大繁盛だった。魚草は、高架下にあって、高架の耐震工事のため5月ごろから休業し、一か月ほど前に再開した。写真は、休業に入る前。いまでは、グッときれいになったけど、猥雑安売り感はあいかわらず。大将も「トークに来てね~、うまい魚を持っていくから」といっていた。そう、魚も食えるのだ、もちろん有料だけど。

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2016/10/26

『理解フノー』にいただいた、お声。

今月初めから書店に並び始めた、港の人発行の四月と十月文庫7『理解フノー』は、おれとしては初めての食以外のジャンルの出版というかノン・ジャンルの出版で、どういう反応になるのか見当もつかない。

おれは名前だけで売れるようなライターではないし、絵を描いている田口さんも無名に近い。いったい、どんなぐあいになるのかなあと思っていたのだが、いまのところ、これまでと違って、書店さんからのコメントつきのツイートが多い。なんだか、心強い。

知り合いの書店の方もいれば、まったく存じ上げない方もいる。

お忙しいなか、書影まで撮影してのツイートがほとんど、どうもありがとうございます。

ということで、ここにまとめておきたい。書影とタイトルだけのツイートは省かせてもらいました。

なにしろ、各誌紙の書評欄などに紹介される可能性などゼロの本だから、みなさまどうかよろしくお願い致します。

◆荻窪の、Title(タイトル)‏@Title_booksさま。

生活するために、書く。そして食べる。その文章は地べたの視線から貫かれて、こうして読むと、とても品がよく感じた。文とは直接関係のない田口順二さんとの絵の交歓も何だか良い感じ。田口順二・絵 遠藤哲夫・著『理解フノー』(港の人/四月と十月文庫)

13:23 - 2016年10月25日
https://twitter.com/Title_books/status/790770744976224256

◆つくばの、中村友貴‏@c5yuukiさま。

港の人からエンテツさんの新刊『理解フノー』が到着。間に挟まれる田口順二さんの絵も味わい深い。

めしや食堂を語る“いつもの”エンテツ節は健在ながら、家族のことや自身の人生、仕事や老いについての文章を寄せた大衆食堂の詩人 遠藤哲夫のアナザーサイドとも言える一冊です。

10:41 - 2016年10月25日
https://twitter.com/c5yuuki/status/790729980539990016

◆渋谷・大盛堂書店 ‏@taiseidoの山本さまにはPOPまで作っていただいたので、その写真ツイート丸ごとここに埋め込みます。

◆北九州の、緑々あおあお‏@midoriaoaoさん。

『四月と10月文庫7 理解フノー』が入荷しています。
文はエンテツさん、絵は田口さん、いろんな意味で最強コンビ!(◎_◎;)

12:02 - 2016年10月16日
https://twitter.com/midoriaoao/status/787488951065903104

◆沖縄の、古書の店 言事堂‏@cotocotomikiさま。

「エンテツ」こと遠藤哲夫さんのエッセイ集『理解フノー』(四月と十月文庫)が入荷しました。 絵は田口順二さん。 「かわいいコワイ」を読んでいて、最後にふっと笑ってしまいました。 どこに行ったのでしょうね、形容詞。 四月と十月最新号の35号もまもなく入荷です。

17:01 - 2016年10月10日
https://twitter.com/cotocotomiki/status/785389823599050753

◆悪漢と密偵‏@BaddieBeagleさま。

"白黒つけない物の見方に納得、くすっと笑わせ、ときにほろり。美術同人誌「四月と十月」で2008年より連載の「理解フノー」に加筆、書き下ろしその他を収録":遠藤哲夫/田口順二『理解フノー』

"絵は「四月と十月」創刊以来の同人、田口順二。中学校の美術教師をつとめながら創作活動を続ける…カバー、表紙、カラー口絵含め30点を収録。様々な画材で画風も変化に富み、自身による言葉とともに、さながら小作品集の趣"

17:09 - 2016年10月5日
https://twitter.com/BaddieBeagle/status/783579832021942272

◆谷根千の古書ほうろう‏@legrandsnesさま。

定休日の昨日は、庭園美術館のボルタンスキー展と、gggでのノザイナー展へ。移動中の読書は遠藤哲夫さんの新刊『理解フノー』だったのですが、津波に飲み込まれた釜石の呑兵衛横丁の話が、ボルタンスキーが語る被災地の姿、ノザイナーの牡鹿半島での復興支援アクセサリーへと繋がっていきました。

というわけで、遠藤哲夫/田口順二『理解フノー』(四月と十月文庫)を読了。本日、店にもにも入荷しました! 敬愛するエンテツさんが語るその半生は、知れば知るほど底知れなさが増すばかり。「つまり十年ごとに、それまでの人生を「捨てる」のだ」という一節が、とくにズシンと響きました。

四月と十月文庫『理解フノー』は、30点ほど収録された田口順二さんの絵もとても好み。「楽器の練習2」という作品がなかでもとくに。以前小倉でご一緒したことがあるのですが、こういう絵を描かれる人だと知っていたら、また違った話もできたのかな。

23:26 - 2016年10月6日
https://twitter.com/legrandsnes/status/784037147875487744

◆池袋のポポタム‏@popotame_shopさま。

【新入荷】エンテツさんこと遠藤哲夫さん@entetsu_yabo の新刊『理解フノー』届きましたーイイコト書いててもエラそうじゃないなーエンテツさんのは良い、じゃなくて好いだな

22:34 - 2016年10月6日
https://twitter.com/popotame_shop/status/784024127908646912

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2016/10/16

ホッピー文化研究会編『ホッピー文化論』ハーベスト社の帯文を書いた。

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8月30日に発行になった本書の帯文を書いた。

書いたのだが、出来上がりを見たら、原稿と句読点の位置が変わっていて、ヘンなぐあいになっていた。読んでわからなくはないのだが、やっぱりヘンだ。元は、こう。

「おれが初めてホッピーを飲んだのは1962年だった。そのころ実質的な酒だったホッピーは、「ブーム」を経て東京の都市伝説と化したのか。ホッピー好きの6人の研究者がホッピーを「いじる」とこうなる。ホッピーはいじるネタとして面白い!?」

短い文章だから間違うことはないだろうと思い、校正はいつになるのと催促もしなかったのだが、やはり、文章の長短にかかわらず、著者校はちゃんとやらなくてはならないというキョークン。

専門分野も所属もちがう6人の酒好きの若手の研究者が、それぞれの視点とテーマで書いている。

不満や疑問が残る点は少なくないが、それだけ思考が広がるということでもある。

ある種のサブカル的な楽しさでホッピーを「いじる」面白さがある。

学者・研究者というのは、こういう見方をするのかという面白さもある。

情報社会・消費社会では、ハヤル大衆商品は、ネタとしていじられやすくいじりやすいという特徴を持っている、その意味では、こういう本が出る現代を考えるネタにもなる。

何かを見つけようと思って読めば、とてもおもしろい。

ようするに、読み方しだいで、いろいろな楽しみがある。これを読んで、さらにホッピーをいじってみるのが、いちばん正しい読み方かもしれない。

関西方面などホッピーが馴染みでないところでは、東京って、おかしなものがハヤルところだなあという発見にもなるかも知れない。

きのうふれた、闇市研究成果報告会の発表をした研究会メンバーも、最後のまとめで橋本健二さんが、「このメンバーに共通しているのは、ただ一点で、闇市あとの盛り場で酒を飲むのが好きということで、そこからこの研究会がスタートしている」といったのだが、本書も似ているようだ。

一人の人間が一つの価値観でまとめたものとはちがう面白さがある、こういう単純な動機によるコラボあんどシャッフルは、長く続く閉塞の囲みから垣根を越える動きとして、さらに活発になるような気がする。

『理解フノー』も、おれと田口さんと編集のコラボあんどシャッフルといえる。

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2016/10/15

大事なのは、今晩やるかやらないかっ!

先月末からなんだかいろいろあって、出たばかりの四月と十月文庫7『理解フノー』の「営業」もあるし、出かけることが多く、ブログを書くのもメンドウで、たまってしまった。もう書くのも追いつかないが、これは画期的という、チョイと面白い動きが始まった。

とにかく、主なことをメモ。

9月25日(日)は、東大本郷キャンパスの工学部一号館の会議室で開かれた、研究成果報告会「都市としての闇市 都市研究のフロンティア」に出席した。思っていたより多数の参加者。

司会=橋本健二(早稲田大学)、趣旨説明=初田香成(東京大学)で、発表は「全国の闇市の成立と展開(初田香成)」「占領軍と闇市(村上しほり・神戸大学)」「社寺境内の闇市(中島和也・日本設計)」、コメントと休憩をはさみ、後半発表「テキヤと闇市(初田香成)」「実測(図)からみるマーケット(石博督和・明治大学)」「闇市からの出発(橋本健二)」「闇市とレイシズム(逆井聡人・成蹊大学)」「闇市横丁の再生(井上健一郎・井上商会)」のちコメント、全体質疑、まとめ(橋本健二)というぐあいに進行した。コメンテーターは、青井哲人(明治大学)、小林信也(東京都公文書館)、吉見俊哉(東京大学)。

13時から18時ごろまで、休憩15分だけで、けっこう密度が濃かった。所属も専門もキャリアもちがう人たちが、同じテーマで研究したことを同時に聞けるのは、ま、内容的には大いに不満があっても、なかなか面白い。学術的な評価としてはどうか知らないが、おれとしてはけっこう勉強になる点が多かった。

あと、こういう機会に「学術業界」をのぞいて失望してみたりといった面白さがあるし、学術的立場とフリーライターの立場の違いなどを考えるキッカケにもなり、退屈しなかった。いろいろ視野が広がった気になる。ほんとうに視野が広がったのかどうかはともかく、参加費タダで貴重な資料がもらえたし、かなり得した気分。

出席者にも有名な専門家やマスコミ関係者が多かった。とにかく、こういうジャンルを超えた人たちのコラボは、いろいろな可能性を開くのは確かだろう。

今月3日(月)は18時に中野駅。まりりんとA井さんK山さんと、過ぎた夏に無くなったN氏の追悼飲みというか彼が書き残した「マージャ」をネタに飲む会というか、このメンバーが一堂に会するのは初めて。大いに飲んで、途中から記憶がない。

翌日メールを開いたらまりりんからのメールがあった。「大事なのは、今晩やるかやらないかっ!そして遠藤さんは出家の道へ、とA井さんの希望です」と、なんじゃこりゃ。まりりんに問い合わせると、話している最中に「絶対に忘れてるからメールしておいて、と頼まれました」と。

しかし、これを見ても、何も思いだせない、わからない。

だが、「大事なのは、今晩やるかやらないかっ!」ぐらいのタイミングはあるものだ。ちょうど、ドンピシャのタイミングで条件がそろう、めったにない大きなチャンス。

それが、きのうの午後3時からの二者の巨頭会談だった。

これがうまくいけば、どんなレベルで企画が実現しようが、画期的な動きになる、というもの。それが、予想以上に、トントンといった。トントンといきすぎて、もっと具体案を用意しておいたほうがよかったかなと思ったぐらい。

考えてみれば、うまいタイミングで二巨頭の会合になったものだ。片方が興味を持たなかったら成り立たない、まさに5分と5分だったわけで。脂がのっている二巨頭の会話は、じつに頼もしかった。いいめぐりあいだった。

ながい低迷と閉塞を破るような動き、といっても大げさではなく、来年が楽しみになってきた。もう新しい地平が開けたかのような気分になっている。ま、そうは甘くなく、全体の状況は、ますます悪化するのだけど。だから、それにのまれない動きとして。というおおげさな話はともかく、面白いコラボなのだ。

どんどんおれの妄想は広がる。

そういえば、3日も、「泥舟と一緒に沈むのはイヤだね」という話をしていたな。

『理解フノー』の「フリーライター」のところで、「出版業界なるものに付き合ってみてわかったことは、一見知的な、この業界は、これまで付き合ったなかでも、最も理解フノーな前近代的な体質の世界ということだった。「好き」や「憧れ」でやっている人たちが多いせいだろうか」と書いている。

イノベーションが生まれにくいしダイナミズムが機能しにくい体質を抱えたまま、その当然の結果として「売れ筋」に集中し、しかも、それを新たなチャレンジと錯覚する。そうしながら縮んでいく。すでに、いろいろな業界のあちこちで経験していることだけど、それを繰り返す。

だが、「五十年目のタワゴト」に書いたように、「旅人にとっては、国境は越えるために存在する。ジャンルや好みの垣根も含め、あらゆる「境界」は、囲われるためではなく、越えるためにあるのだ」

旅人は面白い。囲われない。

一気にストレートフラッシュの手にならなくても、ワンペア、ツーペア、スリーカード…と手をよくしていけばよい。

しかし、「大事なのは、今晩やるかやらないかっ!」なんて、いう相手とタイミングを間違えるとセクハラになりかねないな。気をつけよう。

でも、「大事なのは、いま、やるかやらないかっ!」というタイミングになっているってことだ。

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2016/10/13

ぴあMOOK『東京大衆食堂100』で巻頭インタビューと「進化」。

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10月初め、きのう書いた『dancyu』11月号が出たころ、ぴあムック『東京大衆食堂100』が発売になった。これ、いま奥付を確かめたら、発行日は今月30日になっている。このへんの仕組みは、出版業界に疎いおれには、よくわからない。

とにかく、『東京大衆食堂100』の巻頭インタビューに登場している(巻頭インタビューに応じただけで、企画編集取材には関係してない)。

013001発行は「ぴあ」だけど、編集は「下請け」といわれる編集プロダクションで、その会社から連絡があって、登場することになった。社長さんやら担当の編集さんやらから、いろいろメールがあり、どれもしっかりしたやりとりにならず、なんだかドタバタな様子で、大丈夫かな~と思いながら、ま、そのへんが「編プロ」のおもしろさだろうと思いながら付き合っていた。

しかし、インタビューの場には、それまでメールでやりとりがあった人たちとはちがう女性があらわれて、この人がインタビューをまとめたのだけど、インタビューの最中から食いついてくるところが、おれ的にはツボで、これは期待できそうという感じだった。

インタビューと撮影は、三鷹のいしはら食堂で行われた。そこからの帰りの電車で、彼女は錦糸町生まれ育ちと知った。それでちょっと納得のいく点があった。

実際の仕上がりは、おれも途中で原稿チェックはしているけど、文章は少々あらっぽいながらも、基本的にはうれしいセンでまとまった。

扉の見出しにある「大衆食堂に批判はご法度」の文言が、ちょっとキツイなあと思い考えたが、おれは編集さんがつけた見出しには口をはさまない主義でもあり、けっきょくそのままにした。そこに、彼女の「熱」を感じたからだ。

それは、本文中の見出し「大衆食堂は”おもしろい”の宝庫」「味の傾向を知る基準になる料理を見つけておくと便利」の内容につながるところなのだが、このあたりの話はかなりカットされて、「ぴあ的」に都合のよい消費的な興味の対象になるところがチョイスされるのをカクゴしていたのだが、違っていた。先入観は、いかんね。

って書いても、読んでない人には、わかりませんね。

ところで、ここから、昨日の話と関連する。

このムックには、昨日の菱田屋も登場しているのだが、その見出しには、こうある。

伝統を守りつつ
新たな風が吹き込まれ
進化し続ける

このように「進化」という言葉が使われている。こういう例は、けっこう多いと思うのだが、たぶん「伝統」に対して「新しい」が継続している状態をあらわしているのだろう。

おれはインタビューで「テッパン大衆食堂の見つけ方」を話しながら、オススメの食堂を3店あげて欲しいといわれ、そのようにしている。

編集全体としては、売り上げが大事だから都心のターミナル駅などを中心にした店のセレクトになるので、おれは都心からはずれた場所で選んだ。

そのうちの一店が、野方の野方食堂だ。

そこでおれは「野方食堂は古い食堂なんだけど、代替わりして建物も新しくなった。でも実に見事に歴史を継ぎながら、新しくなっているんですよ。家族経営の雰囲気も残しているけど、昔のままでもなく、かといって個性のないチェーン店でもない。新しいスタイルの食堂の可能性を感じさせる」と話している。

これも、「歴史」に対して「新しい」であり、「進化」といえる。

だけど、この2店は、方向性が違う。それは、内装にも表れているのだけど、場所や経営や人の条件など「歴史」の継続は負荷でもあるから、人間がシステムを動かしているようでいながら、システムに従いながら変化しているのと同じ状況があらわれる。

ようするに、あるのは「変化する環境への適応」であり、それを「進化」と見るかどうかは、「見方」のことなのだ。だけど、とかく、とくに科学や技術や技能のことになると、「進化」は客観的に存在し「善」であるかのようなことになりやすい。その反対は、もちろん、「退化」だ。

だけど、ほんとうに、そうなのか。それは、「進化」の現代病と思われなくもない。

と思っていたら、ちょうどきのう、ツイッターで、こういうのを見つけた。とてもおもしろい。

「退化」は進化の一環、新たな力を得た動物たち
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/101100383/?n_cid=nbpnng_twed

「進化」って、なんだ。一義的には、「新しい」かどうか「進化」かどうかではなく、環境への適応じゃないのか。「退化」は、必ずしも「悪」ではない。

「新しい」「進化」だと評価され注目されながら、消えていったものは、いくらでもあるような気がする。消えれば、忘れられる。ようするに昨今の「人間社会」では、市場性や売り上げしだいで「進化」が評価されるということか。

と、退化する野暮は考えているのだった。

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上、野方食堂。下、菱田屋。

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2016/10/12

『dancyu』11月号で駒場東大前「菱田屋」の焼売。

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去る6日に発売の『dancyu』11月号のメイン特集は「居酒屋が呼んでいる」だけど、サブ特集が「焼売」で、おれは駒場東大前の菱田屋さんを取材して書いている。

菱田屋は現在の場所で100年の大衆食堂。正確には、その前から、当時の正式の名称は「東大」ではなかったと思うけど、校内でどんなカタチかわからないが営業していた。

大衆食堂というと、「昭和」や「すがれた風情」が、得体の知れない興味本位と共に語られがちだが、実際は、ゆっくりながらも時代と共に生きているのであり、なかには、この菱田屋のように代替わりしながら、建物やメニューや料理をリニューアルあんどリファインし、新しい時代を創造するように生き続けているところもある。

その生き残り方や生き続け方は、やはり、場所や経営者によって、じつに様々だ。

よく「進化」という言葉が使われたりして、菱田屋についても、そのようにいわれたりするが、大衆食堂における「進化」は一様でなく、「進化とは」を考える好対象のような気がしている。

菱田屋、野方食堂、巣鴨のときわ食堂、浅草のときわ食堂、町屋のときわ食堂、歌舞伎町のつるかめ食堂、もり川食堂、動坂食堂……そして、チェーン展開の大戸屋など、それから、大宮いづみやも一見変わらないようでもゆるやかに進化している。それぞれ、進化の方向性やスピードなどが違うのだ。それは立地も関係するようだ。

とにかく、菱田屋の場合、14年前に建替え、おれより2歳若い1945年生まれの4代目と5代目が一緒に厨房に立つ。

店舗からメニュー、料理やサービスについての考え方まで、未来と変化を感じさせる。

5代目は、焼売についても、シンプルで明快な「料理論」を持っているのだが、それは飲食店だから出来るというものではなく、家庭でも可能であり、家で焼売を作ってみたくなった。

というぐあいに、5代目の「料理論」に興味を持ったのだが、そのあたりのことは、文章ではふれられなかった。

それから5代目は、最初は寿司を志し、途中でやめ、「文琳」で5年間勤めている。そのあたりの「事情」も、日本料理の体質がからむ興味深いことだったが、テーマとは直接関係ないので、書いてない。

考えてみると、いつも料理的にカンジンなことより、ダンチュー的にカンジンなことに沿うように書くのが「フリーライター」の役目なので、そうなるのだな。これは、雑誌や読者の「進化」の方向性のモンダイでもあるだろう。

「焼売」「シュウマイ」「シウマイ」についての「談議」も載っている。

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2016/10/05

美術系同人誌『四月と十月』35号、連載「理解フノー」は17回目。

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『四月と十月』35号が届いた。あいかわらず面白い、刺激的だ。何かをしている、何かをしようとしている、何かを見つけている人たちが描いて書く。うっとうしい自信や自負や高等遊民的な「批評精神」とは無縁だ。何かが生まれようとしている創造の鼓動を感じる。

おれの連載「理解フノー」は17回目で「海外移住を考えよう」のタイトル。脱ウチ弁慶、海外移住を考えることで見えてくること。

表紙の作品は、画家の好宮佐知子さん。

四月と十月のサイトは、こちら。
http://4-10.sub.jp/

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2016/10/01

四月と十月文庫『理解フノー』が出来上がった。

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一昨日29日木曜日、『理解フノー』の見本が出来上がるので、17時に高円寺の一徳に集まって待つことになった。

飲みながら待っていると、まもなく版元である港の人の上野さんが、出来たてホヤホヤを持って勢いよく登場した。拍手。包装されたまま、受け取った。拍手。封を開けると、インキのにおいがした。

それからは祝宴。もう一軒、もう一軒で、泥酔帰宅。

今日明日あたりから書店に並ぶという。

この本は、ちょっと変わった試みをしている。本書の扉から引用しよう。……

 本書は、二〇〇八年十月より美術同人誌『四月と十月』で連載した遠藤哲夫の「理解フノー」を加筆修正してまとめたものです。
 また文中の絵とキャプションは同誌の同人の画家・田口順二によるものですが、本文の内容とは無関係にアトリエで描かれていた作品から選び出したものです。したがって、絵と文はそれぞれ独立しており、この本のなかで同居を試みました。

……引用おわり。

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この扉を開くと、『「理解フノー」の始まり』という見出しがあり、その書き出しは、こうなっている。

010『「理解フノー」という自分でも理解フノーなタイトルは、二〇〇七年七月二十五日の夜、岩手県釜石の呑ん兵衛横丁の通りから始まった。』

呑ん兵衛横丁の写真を、ここに載せておく。この前で「理解フノー」を叫んだのが始まりなのだが、そのときはもちろん、これが連載のタイトルになったり本のタイトルになるとは思っていなかった。ただ酔っていたのと、それから、この呑ん兵衛長屋の中ほどの店から酔っぱらって肩組んであらわれた2人の若者と出っくわさなかったら、「理解フノー」は生まれなかったかもしれない。まっこと、人間社会は理解フノーだ。

この呑ん兵衛横丁は、海に近い低地にあり、2011年3月11日の大地震の津波によって根こそぎ失われた。この夜に呑ん兵衛横丁のあとに入った店も無くなった。

呑ん兵衛横丁のあとに入った店で、おれは「手のひらを太陽に」の「ぼくらはみんないきている…」のメロディにのせて、「ぼくらはみんな理解フノー、生きているから理解フノー」とうたっていて、それがしばらくクセになった。

どうか口ずさんでみてください。ますます「理解フノー」な感じになるでしょ。

本書の詳細は、港の人のサイトをご覧ください。
http://www.minatonohito.jp/products/191_01.html

もくじは、このようなアンバイになっています。エロあり政治ありです。

「理解フノー」の始まり/ウマソ~/健康と酒と妄想と/右と左/何もしなくていいじゃないか/かわいいコワイ/あとをひく「つるかめ」の感傷/わが「断捨離」歴/五十年目のタワゴト/十年後/「文芸的」問題/『四月と十月』からエロへ転がり/クサイ話/七十二と七十/ダンゴムシ論/フリーライター/気取るな! 力強くめしを食え!/坂戸山/  僕の遠藤哲夫  田口順二

よろしくね。

本書を読んで、「ぼくらはみんな理解フノー、生きているから理解フノー」を、うたいましょう。

当ブログ関連
2016/09/02
四月と十月文庫『理解フノー』(港の人)の再校が終わった。

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