四月と十月文庫『理解フノー』が出来上がった。
一昨日29日木曜日、『理解フノー』の見本が出来上がるので、17時に高円寺の一徳に集まって待つことになった。
飲みながら待っていると、まもなく版元である港の人の上野さんが、出来たてホヤホヤを持って勢いよく登場した。拍手。包装されたまま、受け取った。拍手。封を開けると、インキのにおいがした。
それからは祝宴。もう一軒、もう一軒で、泥酔帰宅。
今日明日あたりから書店に並ぶという。
この本は、ちょっと変わった試みをしている。本書の扉から引用しよう。……
本書は、二〇〇八年十月より美術同人誌『四月と十月』で連載した遠藤哲夫の「理解フノー」を加筆修正してまとめたものです。
また文中の絵とキャプションは同誌の同人の画家・田口順二によるものですが、本文の内容とは無関係にアトリエで描かれていた作品から選び出したものです。したがって、絵と文はそれぞれ独立しており、この本のなかで同居を試みました。
……引用おわり。
この扉を開くと、『「理解フノー」の始まり』という見出しがあり、その書き出しは、こうなっている。
『「理解フノー」という自分でも理解フノーなタイトルは、二〇〇七年七月二十五日の夜、岩手県釜石の呑ん兵衛横丁の通りから始まった。』
呑ん兵衛横丁の写真を、ここに載せておく。この前で「理解フノー」を叫んだのが始まりなのだが、そのときはもちろん、これが連載のタイトルになったり本のタイトルになるとは思っていなかった。ただ酔っていたのと、それから、この呑ん兵衛長屋の中ほどの店から酔っぱらって肩組んであらわれた2人の若者と出っくわさなかったら、「理解フノー」は生まれなかったかもしれない。まっこと、人間社会は理解フノーだ。
この呑ん兵衛横丁は、海に近い低地にあり、2011年3月11日の大地震の津波によって根こそぎ失われた。この夜に呑ん兵衛横丁のあとに入った店も無くなった。
呑ん兵衛横丁のあとに入った店で、おれは「手のひらを太陽に」の「ぼくらはみんないきている…」のメロディにのせて、「ぼくらはみんな理解フノー、生きているから理解フノー」とうたっていて、それがしばらくクセになった。
どうか口ずさんでみてください。ますます「理解フノー」な感じになるでしょ。
本書の詳細は、港の人のサイトをご覧ください。
http://www.minatonohito.jp/products/191_01.html
もくじは、このようなアンバイになっています。エロあり政治ありです。
「理解フノー」の始まり/ウマソ~/健康と酒と妄想と/右と左/何もしなくていいじゃないか/かわいいコワイ/あとをひく「つるかめ」の感傷/わが「断捨離」歴/五十年目のタワゴト/十年後/「文芸的」問題/『四月と十月』からエロへ転がり/クサイ話/七十二と七十/ダンゴムシ論/フリーライター/気取るな! 力強くめしを食え!/坂戸山/ 僕の遠藤哲夫 田口順二
よろしくね。
本書を読んで、「ぼくらはみんな理解フノー、生きているから理解フノー」を、うたいましょう。
当ブログ関連
2016/09/02
四月と十月文庫『理解フノー』(港の人)の再校が終わった。
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