状態と言葉。
少し前だが、ある人と「業態」と「名称」の話になった。
「大衆食堂」を定義するのは難しい。おれは定義をしないで、原型を「大衆食堂」という言葉が生まれた時代の大衆食堂において、その前と後の流れを見ることで、大衆食堂という業態を把握しようとしてきた。
何度か書いているように「食堂」という言葉は明治からであり、「大衆」という言葉は、大正期後半から昭和の初めにかけて生まれ流行した。これは割りとはっきりしている。
「食堂」も「大衆」も、もとは仏教業界の言葉だったが、そこでは、食堂は「じきどう」であり、大衆は「だいしゅ」と読んでいた。
食堂は、「じきどう」から「しょくどう」になっても根本は変わっていないといえるだろう。だけど、「大衆」は、「だいしゅ」と「たいしゅう」では、根本からちがう。
だからか、尾崎秀樹は、「大衆(たいしゅう)」は造語だといっている。その尾崎の書によると、白井喬二が「大衆(たいしゅう)」という言葉を使い始めたテナことを白井自身がいっているとのことだが、尾崎は白井のいうことをそのまま信用していない。だけど、白井が使い始めたといっている頃から「大衆」という言葉が広がり始めたと考えている。いま、その尾崎の書を貸してあるので、記憶になるが、それはたしか大正10年頃からだったと思う。
そして昭和の初めに「大衆」という言葉が流行語になる頃、その大衆が利用していたさまざまな業態の食堂や飲食店が、「進化」というのか「変態」というのか、状態を変えながら「大衆食堂」になっていった。
ま、そんな話をしながら、「市民酒場」の「市民」や、「国民と大衆」などについて、あれこれ突っ込んだ話をして面白かった。
「ファミリーレストラン」という言葉が一般化する前の「コーヒーショップ」やら、日本には江戸期からある「屋台そば」や「屋台すし」などに対する「ファストフードショップ」に該当する言葉がなく、後づけで「江戸のファストフード」と呼んだりするのは、なぜなのかなど、なかなか面白いことが含まれている。
業態というのは状態をさす。日本語は、状態にヨワイようだ。それは、日本人は状態に対して関心が低かったり興味が低いあらわれかもしれない。とかく私的体験が先走り、状態が欠落しやすい様々にもあらわれているようだ。
これ、『理解フノー』に書いた、金銭出納帳的思考と複式簿記的思考も関係しているように思う。
そのように、グワーっと妄想が拡散するのであった。
そして思いついてツイートしておいたことからメモ。
カオスやゴミを引き受けるところがあるから、こぎれいに気取っていられるところがあるのよ。
15:04 - 2016年11月8日
「差別」ってのは、何を貶めるかだけではなく、何を称賛するかによっても存在する。そのことに思いを馳せられるかどうか。
13:49 - 2016年11月11日
もともと日本は人格と職能がまぜこぜに語られることが多かったのだけど、近年は職能だけで人間を評価する傾向が強いように思う。職能が第一で、職能が優れていれば人間としても優れているかのような。そこには新自由主義の影響もあるような気がする。
1:01 - 2016年11月13日
みな状態と言葉が関係する。
話は変わるが11月の何日かに、アメリカ大統領の選挙があった。なんだか日本の国政選挙並の騒ぎだった。とくにトランプが当選したことで、さらに「トランプ・ショック」ともいえる現象が続いている。トランプの当選で「民主主義は終わった」なーんてことをいうひとも少なくなく、おれは次のようにツイートしておいた。
けっこう「トランプ・ショック」があるようなので驚いた。トランプぐらいで終わったりする民主主義なら終わってもよいんじゃない。とか、思った。
17:43 - 2016年11月10日
おれが驚いたのは、ニューヨークタイムズなどが、出口調査にもとづきクリントン圧勝かという感じの予測を出し、大外れだったことだ。「私」と「状態」の隔たりを認識し、状態を読むことについては比較的長けているし、調査分析法も進んでいるはずなのに、これは面白い現象だった。
もっとも、予測の大外れは、これまでも何度かあったようで、そのたびに調査分析法を修正してきているらしいから、さらに精密な技法を開発するのだろう。だけど、外れがなくなっていくのはツマラナイな。予測されざる埒外の人間どもの奮起が必要か。
『理解フノー』の歌、最初の出だしだけだったが、牧野さんから全部を完成させよといわれ、作った。それは先月末のことだけど。
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