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2016/11/30

今年一番の面白さ、「途中でやめる」の山下陽光さんのトークと「新しい骨董」。

今日で11月は終わり。
終わる前に、これだけは書いておこう、去る11月20日(日)のことだ。ぐいぐいとエネルギーを注入された日だった。

朝9時半ごろ牧野さんから電話があった。九州にいるといった。その夜、九州で牧野さんとトークをしてきたという人と同じ飲み会の席にいた。まったく偶然、思いがけないこと。そういうことになったのは、「みちくさ市トーク=連続講座『作品と商品』のあいだ」に出席したからだ。

トークは13時半からだった。早目に家を出て、赤羽で腹ごしらえというか一杯ひっかけて、みちくさ市古本フリマをのぞく。近頃は、ここぐらいでしか顔を合わせない塩爺を見て、まだくたばっていないかと安堵もせず(考えたら、やつはおれより一回り以上若いのだった)、最近よく古本フリマに出店しているみどりさんに挨拶のちトークの会場、雑司が谷地域文化創造館へ。

連続講座8回目のゲストは、「途中でやめる」デザイナーの山下陽光さん。この「途中でやめる」ってのが、近著『理解フノー』にも書いたように家庭や職業ほか諸々なんでも途中で投げ出してきたおれとしては気になっていた。

トークの案内によれば、「途中でやめる」は服のリメイクブランドらしい。すでに有名で、おれが知らなかっただけだが。しかも、「「途中でやめる」の服はなぜハンドメイドでありながら低価格で提供しているのか。今この時代の仕事の在り方も含めお話していただきます」というのだ。

トークの始まる前、会場にいた男の人から挨拶された。見たことがあるようなその人は、北浦和の居酒屋ちどり(かつての「クークーバード」)で会っているという。そばにいたミヤモトくんが、その人と会場のあたりをぐるっと手で指してまわして、このあたりの人たちと浦和あたりでモニョモニョという。よくわからないけど、そういうことか。

トークは、まいどのように、中野達仁さんと武田俊さんの司会で始まった。

ついでに、初回からのゲストをメモしておこう。みちくさ市サイトからの引用だ。第1回:ゲストなし/第2回:澤部渡さん(スカート)/第3回:桑島十和子さん(美術監督「下妻物語」「告白」他)/第4回:森山裕之さん(元クイックジャパン編集長)/第5回:タブレット純さん(歌手・お笑い芸人)/第6回:高橋靖子さん(スタイリスト)/第7回:真利子哲也さん(映画監督)。おれは、4回の森山さんと7回の真利子さんのときに出席している。

山下さんの話は、服にたどり着くまで、渋谷パルコでブレイクしてから、現在のやり方や考えていることなどだったが、いやあ、面白かった。面白いだけじゃなく、いまおれがやりたいことに、ずいぶん示唆的な内容だった。

服にたどりつくまでというけど、中学生の頃から縫物をしていた。それも、2歳上の兄貴のパンクの影響を受けて、パンクの人たちが着るものに改造や装飾を加えるアレだ。そして、この「パンク」が、その感覚というか思想というか、パンクなそういうものが、彼の在り方ややり方やデザインなどに深く関わっているところを見ると、お兄さんの影響は大きかったようだ。

とにかく山下さんは東京へ出たくて、東京の服装学校に入学。だけど、オシャレが大嫌い。原宿のようなオシャレが大嫌い。3年間ぐらいグレーの上下で通したとか。ファンッションデザインでありながらオシャレを嫌う、これ、カウンターカルチャーとかパンクとかに通じる必然か。

でも彼はファッションデザイナー。とにかく作る。古着の使えないところをカットして縫い合わせて新しいデザインの服にしてしまう。あれ、ポルトガルだかスペインの刑務所で受刑者が始めたブランド、なんといったか思い出せない、あれみたいだ。しかし、高円寺の素人の乱の店で作って並べるが売れない。

その売れない服を買って着た客が渋谷のパルコへ行ってウロウロ、それがパルコのバイヤーの目に止まった。そこからブレイクが始まる。「売る場所が変わったら売れた」

ブランド名など必要ないと思っていた、いらないのに作るブランドだから「途中でやめる」にした。途中でやめるかも知れないのは、本当だ。つぎは、みやげやか。

この日、みちくさ市の本部のガレージでも、「途中でやめる」の服を売っていたから、トークへ行く前にチョイとのぞいて見た。欲しくなるデザインがあった、どうせ高くて手が出ないだろうと値札を見た。3800円!想像の半値以下。トークの会場へ急ぐ必要がなかったら、買ったに違いない。

売り方は、このように固定店舗を持たない、イベント出店とインターネットの直販。イベント出店は、この日は南浦和でもやっていたが、中心から外したところでやる。もう名前が知られているから、開店前から行列とか。なにしろ、どれもこの世に一つしかないデザインだ。ほとんど在庫が残らない、回転率がいい、これもコストを低く抑えられる要因のようだ。

自分が欲しいものを自分が買いたい値段で売る。この仕組み、これ重要。安いが、単なる安売りではない。つまり、買いたい値段におさまるように、よりよく作るのだ。もちろんデザインも含めて。低価格競争とは違う。

インターネットは「平等」の可能性をもたらした。必要な人に必要なものを必要な値段でつなげる仕組み。それを活用するかしないかの違い。

故郷の長崎に住んで長崎で作っている。仕入れは、長崎の大きな古着チェーン店で、さらに売れ残った山積みから買ったりする。人気のおかげで生産量が増えているから、全部を自分で作るわけにはいかない、近所の人たちにやってもらっている。そのままでは売れないものもできてくる、手直しする。

手仕事が利益を生む仕組みだから、量産化が難しい。その仕組みのことは、自分の在り方とやり方から考える。どうやら、その「在り方」が絡むところが、山下さんらしいところのようだ。それはデザインのことでもあるだろうけど。普通は、利益だけを考え「やり方」で勝負していく。

「途中でやめる」の価格と仕組みは、いまどきのファッション業界の「在り方」と「やり方」への挑戦あるいはカウンターでもあるだろう。

だけど、カウンターの「在り方」から「やり方」がうまくいくと、さらに成功者の「在り方」と「やり方」が見えてくる。さて、どうするか、成功者のほうへ傾くか。成功者のほうへ傾かずに、途中でやめるかも知れない。このこだわらない自然体がいい、仮に成功者へ傾いても、これまでと違う「新しい成功」の姿が期待できそうだと思った。

トークは15時過ぎに終わり、おれは打ち上げに参加の人たちと、会場の「ふくろ」へ行った。そこで、トークのときにも名前が出ていた「新しい骨董」の正体がわかったのだった。山下さんも、そのメンバーで、その活動の痕跡は浦和あたりにもあり、トークが始まる前におれが挨拶された男の人やミヤモトくんのモニョモニョも関係しているのだった。

このトークの前、北浦和の居酒屋ちどりへ行ったとき、便所に「URAWA BOTTLE KEEP MAP」ってのが貼ってあった。なんだかあやしげで、なんじゃコリャと思っていたら、この人たちの仕業とわかった。地図にある店に行けば、「新しい骨董」の名でボトルキープがしてあって誰でも飲める。飲みほしたら必ず続けてボトルを入れておく。という仕組みで、ある種のコンセプチュアルアートの活動でもあるのだ。ほかにも「裏輪呑み」なることも展開している。面白い。

この「新しい骨董」のメンバーの一人である影山裕樹さんが打ち上げの会場にいた。景山さんは、11月11日に福岡で、『ローカルメディアのつくりかた』(学芸出版社)刊行記念として、「『雲のうえ』『飛騨』……ローカルメディアの最前線」牧野伊三夫×影山裕樹×内沼晋太郎」ってのをやってきたあとだったこともあって、いろいろ親しく話をさせてもらった。

「ふくろ」のあとは、いつものように「サン浜名」へ移動、どんどん酔いがまわり泥酔帰宅。

「新しい骨董」は、すごく面白いことをやっている。「ゲストハウス」「旅人文化」などとも関係しそうだ。「旅人文化」は在り方であり、「ゲストハウス」はやり方の一つなのだから、ほかにもやり方があるはずだ。

おれとしては、このあいだから、「コモディティ」のことが気になっていて、これまで「コモディティ」というと、「量産廉価」という「やり方」の図式があった。低価格競争に陥りやすい。だけど、これからは、そうではないやり方も広がっていくだろうし、いかざるを得ないと思っていた。

やどやゲストハウスは「安宿」としてやってきて、これからもその路線だけど、一貫して低価格競争には加わっていない。この仕組みはインターネットのことも含め、「途中でやめる」の仕組みと重なる。

そういうこともあって、ヒントになることが多いトークだった。いろいろアイデアがわき、何かエネルギーが注入された感じだ。一昨日は中野へ行って、ゲストハウスのメンバーと飲んであれこれ話しあったのだった。

とにかく大事なのは、「在り方」と「やり方」だ。

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