東京新聞「大衆食堂ランチ」49回目、中野・キッチンことぶき。
11月の第三金曜日の18日は、東京新聞に連載の「エンテツさんの大衆食堂ランチ」の掲載日だったのだが、ブログをさぼりまくっているうちに、12月になってしまった。
すでに東京新聞のWEBでご覧いただける。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2016111802000160.html
ここは、JR中野駅北口のサンモールの東側2番街にあるのだが、東京オリンピックの1964年に開業した。中野ブロードウェイができたのは、それから2年後だ。
ブロードウェイができて間もなくの頃から、おれは中野へよく行くようになった。というのも、サンモールの東側は、まだあまり商店もなく、薄暗い住宅街が広がり、路地も舗装されてないところが多かったのだが、その中に何店か、スキーと山用品の店があったからだ。
どの店も山好きの主人が、自分の家の玄関のタタキでやっているような小さな店だった。当時、金と休暇のほとんどを山に注ぎこんでいたおれは、それらの店を見て歩き、山好きの主人や客たちと山の話をし買い物をするのが楽しみだった。なかには、のちに登山家として有名になった人の店もあった。
その頃すでに、「キッチンことぶき」の前身である「ことぶき食堂」はあったはずだが、知らなかった。2番街あたりは歩いたことがなかったのだ。
80年代後半、千駄ヶ谷に住んでいた頃、中野でもよく飲むことがあり、ことぶき食堂にも顔を出すようになった。かつての山用品の店のように玄関のタタキを店にしたような、小さな食堂だった。
たしか2000年頃は、まだ先代のお年寄り夫妻がやっていたと思う。
いつだったか、前を通ったら、「キッチンことぶき」に店名が変わっていた。一度入ってみたが、うーん、継承やリニューアルは難しいものだなと思い、それから足が遠のいた。
だけど、中野には関係するゲストハウスもあるので、あいかわらずこの周辺で飲むことがあった。この店の前を通るたびに、大丈夫かなと気になって見ていると、店の前に出しているメニュー書きなど、なんだか少しずついい感じになって見える。
とにかく続いているかぎり、そこに何か続くワケがあるはずだと思い入ってみた。そしたら、なかなかよい。建物は昔のままの住宅で、店内だけ改装し、小さい店の割りにメニューも豊富だ。この周辺は、飲み屋ばかりできて、しかも入れ替わりが激しい。落ち着いてシッカリめしを食えるところが少ないから、これは有難い。
だけど、サンモールを中心にチェーン店が次々と出店、競争は厳しいだろう。中野駅周辺自体が、大規模再開発が続き、大きな変化の波が押し寄せている、いつまでも続いて欲しいと願わずにいられない。
中野の山とスキーの店は、少しずつ減っていき、数年前、ついに最後の一店も閉店した。
ところで、サバ半身を煮たのとキンピラがたっぷりあって、若かったら、これで丼めしをおかわりして食べるところだが、いまじゃもうダメだ。悔しいなあ。
| 固定リンク | 0