得難い、ささやかな満足。
86歳のママが調子悪そうだったからと行ってみたら、客が注いでくれるビールも飲んで、血色もよく「健診受けたけどどこも悪くなかった。心臓がちょっとぐあい悪いだけ」と。
あったかい煮物の付きだしで燗酒、テーブルの下には火鉢。靴をのっけたら底が焦げちゃいます。カウンターの中のおでん鍋から湯気も出て、室内はしっとりなあたたかさ、古い木造家屋のすきま風がほろ酔いの顔にあたって心地よい。
一人の客がたたみいわしを「うまいから食べてみて」とすすめてくれた。「では遠慮なくいただきます」。うーん、炙り加減といい、燗酒にぴったりだ。そうでしょと無言の笑顔のお客さん。お馴染みさんばかりで一日のしめくくりが過ぎてゆき、ささやかな満足がただよう。
ママさんが30歳のとき開業し、56年たった。56年前というと、1960年だ。いまじゃ73歳のおれだが、まだ新潟の田舎の高校生。終戦のときは数えで16歳だったそうだ。父親は明治24年生まれとか。近代を溜めこんだ空間には、おだやかでゆっくりした時が流れていた。
小さくても店を一軒持って、金を払ってでも会いに来てくれる友達のような客に囲まれて商売できるのは、幸せだなあ。おれにはもうできないし、ヘタに長生きすることになったら大変だと思いながら泥酔したのでした。
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