
「入谷コピー文庫」にひさしぶりに寄稿した。
「入谷コピー文庫」は、拙著『ぶっかけめしの悦楽』の編集を担当してくださったフリー編集者の堀内恭さん夫妻の「堀内家内工業」が発行している。
寄稿を依頼された人たちが、通常のホッチキスで綴じられる26ページ以下におさまるよう、ワープロで原稿を作成して堀内さんに送ると、堀内家内工業では、表紙のイラストをどなたかに依頼し、その表紙と本文をコピーし綴じる。発行部数は、毎号十数部。これを堀内さんが読んで欲しい人たちに郵送する。
「貧乏くさい」作りで、いまどきの「本好き」といった人たちが「いい本」といってよろこぶような、芸術品や民芸品ぶった、「丁寧な本づくり」といったイメージはない。もちろん、うまそうでもない。
全面的に手作りだが「職人芸」を見せつけるようなこともなく、どこかしら、いまどきの「丁寧な本づくり」が謳う「丁寧」の意味をはきちがえたような、独善的なタワゴトを暴いているようでもある。インディーズ出版の極北といえるか。見た目にふりまわされないようにしよう。
2005年5月に創刊、最新『立ち喰いそばうどん』が74号。堀内さんの執念ともいえる。
堀内さんは、下町酒場ブームやホッピーブームの火付け役になった『下町酒場巡礼』(四谷ラウンド)の編集者であり、その著者や大衆演劇や映画関係に広い知己を持っていて、74本には「飲食」「下町」「大衆演劇」「映画」に関するテーマが多い。毎号、コピーだからといってあなどれない執筆陣と内容だ。
おれは、06年5月発行の7号『現代日本料理〈野菜炒め〉考』を書いている。これは修正加筆し、『大衆めし 激動の戦後史』ちくま新書におさめた。野菜炒めとさば味噌煮とマカロニサラダがあれば、江戸末期から後の近代日本料理を語れるという「仮説」で、まずは野菜炒めについて書いた。さばの味噌煮とマカロニサラダについては、やりたいと思いながら、まだ手つかず状態だ。
ここに紹介するのは、最新『立ち喰いそばうどん』に寄稿した文章だ。
『立ち喰いそばうどん』は、「ある塵シリーズ」の第6回ということだ。「消えゆくもの、廃れゆくもの」を取り上げるシリーズだそうだ。編集後記にも書かれているが、昨今の「立ち喰いそばうどん」は消えゆくどころがブームである。だけど、編集後記の著者の周辺では、長く続いていた、たいがいは個人経営の店が消えていっているところから、このテーマになったようだ。
おれは「「立ち食いそば」の理解フノー。」のタイトルで書いたが、できあがったのを見て、「「立ち食いそばブーム」の理解フノー」とすべきだったナと思っている。
近頃のこのブームの動向には、いろいろ危ういものを感じている。どこが危ういかは、あまり具体的に書いてはないのだが、なんでもかんでも「ブームのフォーマット」や「グルメのフォーマット」に押し込めて消費することの危うさが、最近は顕著になってきていると思う。それは、単品の店めぐりをテーマにした、おれが「単品グルメ」とよぶものが持つ危うさでもあるのだが、それがずーっと気になっている。それを、チラッと書いてみた。
十数部ぐらいしか作られないものなので、ここに全文を載せておきます。
おれが存じ上げている寄稿者では、装丁家の林哲夫さんが「さぬきのソウルフード」を、エロ漫画屋の塩山芳明さんが「すずらん通りのもうすぐ貯金1億円の男」を書いている。ほかに「立ち喰いそば屋は盛況なり」阿部清司さん、「強引そば日記」松田憲省さん、「立ち喰いそば一杯は、いまでは一食分になりました」長田衛さん、「田を渡る風に吹かれて」平岡海人さん、「小諸、小諸、富士、小諸…」赤穂貴志さん、というぐあいだ。
おれだけ見当チガイを書いているようだが、それぞれが思い思いのままに書いた全体のなかで、けっこういいバランスになっていると思ったが、全部を読めない方には、わかりませんね。
2016年12月23日発行(通巻74号/限定15部)。表紙イラスト/石川正一(島根県出雲市在住)。表紙デザイン/元吉治。編集/赤穂貴志。ロゴ&キャクターデザイン/椎名麻美。発行者/堀内家内工業(堀内恭、和代、母・一子)。ほかに、「著者/大川渉」とあるのだが、これは編集後記の著者なのか、意味不明。
平岡海人さん、大川渉さんは、『下町酒場巡礼』は著者ですね。
以下、おれの文章はいじらず、読みやすいように、段落に行間をとった。
「立ち食いそば」の理解フノー。 遠藤哲夫
「立ち食いそば(うどん)」は、難しく、悩ましく、理解フノーだ。
今回、この原稿を気軽に引き受けはしたが、イザ書く段になって、そのことを身にしみて感じた。どこそこの立ち食いそば店を取材して書くということなら、簡単ではないができるし実際にやっている。
しかし、今回は、「立ち食いそば」が、立ちはだかった。そして向き合ったまま、日にちがすぎて、ホトケの堀内さんに催促の手紙をいただく結果になってしまった。窮地である。
立ち食いそばを書く難しさは、サービスを含めた商品とひと以外は、ほとんど何もないことにあるのではないかと思った。だからこそ、商売として成り立つ場所の折り合いさえつけば、出店は比較的容易であり、これは江戸やそれ以前の昔からたいがいの「立ち食い」に言えることで、簡易店舗形態による簡易な出店が可能な業態なのだ。そのことについては、あれやこれやの話はある。
そのなかで「そば(うどん)」だけを取り上げるとなると、そこの商品がどうであるとかひとがどうであるとかの話になってしまう。もちろん、そこに、歴史や地域のことが関係するけど、全体の状態からすれば、その関係は希薄だろう。この形態は臨機応変に意味があるのであって、過去の関東大震災後や戦後の混乱期などに、いかんなくその機能を発揮している。ようするに「立ち食い」に意味があるのであって、それは商売として成り立つ場所の折り合い、つまり「立地」のことになってしまう。
最近、インターネット上の「livedoorNEWS」に、富士そばの会長のインタビューが載っていた。富士そばの会長は不動産経営から転じただけあって、そのへんはよく判断しているようだ。将来について、「これがいつまで続くかはわからない」「うちは駅前のいい場所に100店以上確保しているでしょ。これは他の商売でも使えると思うから、違う業種に転換している可能性は考えられる」ということを言っていた。
これらのことを考えると、近頃ハヤリの立ち食いそばも立ち飲みも、その背後には経済の不安定や混乱があると見るべきではないかと思ってしまうのだ。
一年ほど前に、『ちょっとそばでも』(廣済堂出版)の著者である坂崎仁紀さんとトークをした。どうやら「立ち食いそば」がブームとやらで、坂崎さんの本も重版され売れているとのことだった。トークイベントには、ブログで立ち食いそばをテーマにしている、その界隈では有名人らしい方も何人か来ていた。
坂崎さんは、立ち食いそばと大衆食堂のようなそば屋も、「大衆そば」というくくりをしている。これは、高級化専門店化するそばとの対照を意味しているようだ。
だけど、大衆そばでも、立ち食いそばが隆盛であり、こちらはそばうどんからごはんものやアルコール類に手を広げ、スタンディングからイスを置くカウンター式に変わるところも多く、大衆食堂化している。一方、従来の定食や丼物などを揃えた大衆食堂的なそば屋は、どちらかというと衰退気味だ。
「立ち食いそば」が、なぜこうもハヤルのか。商品とひとをのぞくと、簡単に言ってしまえば、金と時間あるいは金か時間のことじゃないのという気がした。これが、もはや荒野と言ってよいほどの経済の不安定や混乱と関係していると言えないか。そのなかで、たくましく生きる庶民の姿がある、と言うと美談すぎる。
金と時間ではミもフタもないから、もう少しわけありげに書けば、「気やすさ」「気軽さ」ということになるだろうか。
だけど、「ファン」のみなさまは、このようなことでは、満足しない。
麺、だし、汁、タネ、エトセトラ…そこに物質があれば興味が働くのは、そばに限らない。食べ歩き、比較し、蘊蓄を傾け、批評を貫徹することで、私が「単品グルメ」とよぶところの、荒野のバラックに向かっているように見える。
いや、これも言いすぎか。失礼。
それにしても、後づけのリクツが多すぎる。そばに限らずすしについてもだが、「江戸のファストフーズ」だの「日本のファストフーズ」だのと言って、得心しているようだ。そこでとまっている。
そういうそばやすしがありながら、その「ファストフード」にあたる言葉を生みだせず、いまになってカタカナ英語の「ファストフード」という言葉をあてるのはナゼなのか、というあたりを考えてみたほうが、ずっと大衆的な食文化にとって創造的だと思うのだが。
愛しい立ち食いそばに対して、ちょっと冷たい言い方になってしまったか。書くのが、難しいのだ。
私の場合、食事はちゃんと座って食べたい、食事ぐらいは、誰もがちゃんと座ってゆっくり食べられる金と時間を持てるようになりたい、それを基本にしたいと願っているからかも知れない。そう願いながら、立ち食いそばは、けっこう利用している。そして、この願いが失せたら、哀しいことだと思っている。
それはともかく、立って飲み食いする楽しさには、座ってのときとは違う解放感がある。かつては、立ち飲み立ち食いはイケマセン文化が主流だったので、ある種のタブーの破壊、パンキッシュな楽しみがあった。立ち食いがこれほど市民権を得た状態では、その感覚は機能しない。
それならば、何があるのだろう。考えて、思い至らず、理解フノーに陥り、キーを叩く手が重くなるのだった。