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2017/03/31

東京新聞「大衆食堂ランチ」53回目、石神井公園・ほかり食堂。

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毎月第三金曜日の新聞掲載後こちらのブログにアップするのが遅れている東京新聞の「大衆食堂ランチ」、今日3月31日までに3月分をアップすれば、遅れを取り戻すことができる。と思いながら今日になった。

だけど、出かけなくてはならないので余裕がない。写真をアップしておいて、明日以後書き足すとしよう。カタチだけの当月処理、今日は年度末でもあるな。

本文は、すでに東京新聞のサイトでご覧いただける。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2017031702000194.html

とにかく、この商店街には、数十メートルのあいだに2軒、昭和の風情の食堂が並んでいるのだから、いまや、珍しい風景といえるだろう。

しかも客に、地元の高校生らしい制服姿の男女が2人がいるのに遭遇した。ああ、いい青春。この景色もめったにないことで、当連載では初めてだ。

ってことで、あとは明日以降、ここに追記します。

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2017/03/29

「保守ビジネス」に思い出し笑い。

このブログでは、投稿をサボりまくっていることもあるし、めんどうくさいのでふれてないが、このあいだから世間を騒がせている「森友学園」問題というのがある。

それにからむ、おもしろい記事をネットで見た。

「安倍首相担いだ「保守ビジネス」 「稲田防衛相」「森友学園」「田母神俊雄」の交点」というもので、「2017年3月21日 Texts by サンデー毎日」のクレジットが入っている。書いているのは、毎日新聞の伊藤智永編集委員。
http://mainichi.jp/sunday/articles/20170319/org/00m/070/004000d

「森友学園」問題に対する見方などについては、いかにも新聞屋的な書きっぷりで疑問もあるが、「保守ビジネス」については、自分の体験からしても納得できる。その自分の体験を思い出して失笑した。

おれがかつて、バブル崩壊前夜、先が見えているバブルの終わりと競うように、それが終わらないうちに立ちあげようとプランニングを担当していたプロジェクトは、当時の各種学校法人や農業生産法人の認可と、ある地方の公有地の払い下げを受け、「アカデミー」を設立することだった。もちろん、かなりのカネが動く計画だ。

その構造は、この記事が指摘する「保守ビジネス」そのもの。当時は「保守ビジネス」という概念は持っていなかったが、なるほど言われてみれば「保守ビジネス」だったのだなあ。

それはともかく、記事は、こう書いている……

「保守」が思想ではなくビジネスになっている実態があることを指摘しなければなるまい。

「森友学園」経営者一家と稲田弁護士夫妻と田母神被告に共通しているのは、「保守」を符丁に「敵と仲間」を簡単に仕分けし、「類は友を呼ぶ」方式でお互いによく知らない者同士が簡単につながり合って(ツイッターやフェイスブックもどこか似ている)、結局何をしているのかといえば、国有地格安払い下げや実入りのいい弁護士収入や政界進出や寄付金横領といったカネもうけと権力志向ばかりだったという情けない顛末(てんまつ)である。この人たちにとって「保守」とは、便利な合言葉、おいしい商標・ブランド、議員バッジをつけた人たちへの面会証のようなものでしかないのではないか。

……引用おわり。

この、外側には、さらに同じような下の層があり、「保守ビジネス」の層は何層にもなっている、ってことは地方などへいけば、よく見える。

だいたい、「敵と仲間」に簡単に仕分けし、「類は友を呼ぶ」方式は、思想的テーマでなくても、日本のビジネスの場では、けっこうやられていることだ。その土壌があって「保守ビジネス」は成り立っているとも言えるかな。

この場合「仲間」とは「ほめあう間柄」と考えればよい。すぐ「仲間」と「敵」を選別し、派閥や派閥のようなものをつくり仲間とだけ仲良くしたがる。この「習性」を利用しないテはないわけだが、保守的な人ほど、このテにのりやすい。まず、批判されるのが苦手だし、批判するやつは「敵」と見なす。自ら反省し変わろうとするより得しそうな「仲間」の方へ動く。そこが、まさに「保守」であるわけだけど。

30歳すぎてそれなりのポジションでやっていて出世欲や成功欲が強い人は、権威や権力の階段を登ろうとし、たいがい「保守」になびきやすい。それにかっこつけたがる。アンガイそのように単純なのだ。というより、そういう単純な層が、けっこういる。

たとえば、「エコ」「ナチュラル」「マクロビ」「ヘルシー」「伝統芸能」「職人技」「本物」……などは、80年代とバブルのころからかっこつける新しいアイテムになったのだが、こういうことを有難がり礼賛する動きに潜んでいる思想は、「右」も「左」も関係ない、「保守」というのが最も適切だろう。

「反原発」だって「左」とは限らない。そのプロジェクトの中心には「反原発」の人もいたけど、彼は「左」の人から見たらかなり「右」だ。

ようするに、「近代」や「近代化」に馴染まないさまざまな思想とその影響が広く存在する。それが日本の根っこにあり、とても「保守ビジネス」に利用されやすい。飲食の分野など、うんざりするほどだ。

自己啓発セミナーや自然を守るシンポジウムなどのほかに、モノもあった。無農薬有機栽培の食品、Πウォーター、EM菌、そうそうスピリチュアルな水晶やストーンなどもあったな。いまでは、「本物志向」「丁寧志向」などは、「保守ビジネス」の恰好のアイテムだ。

しかし、かなりの人脈をもってしても、公有地の払い下げや許認可事業などで役所の役人の判をもらうのは、とても難しい。それが「森友学園」では、こんなに簡単に格安にできたのだから、安倍首相担いだ「保守ビジネス」は、たいしたものだ。この件は、もし地元の一市会議員が不審に思って調査をしなかったら、問題にならなかったのだから。

さらに、見つかって国会で問題になっても、安倍内閣の支持率の大幅な下落はないのだから、野党の戦略のマズさもあるが、「保守ビジネス」が大きな外堀になっていると見てよいのではないか。「右傾化」はしてないが「保守化」している層は、出版界などを見渡しても厚い。安倍内閣は強気で逃げ切る絵を描いているように見える。

おれが関係したプロジェクトは、政界、財界、芸能界など、さまざまな「大物」を揃えながら、バブルは下り坂に向かうと加速度的であり、数ヶ月ほどの差で間に合わなかった。最初の立ち上がり資金を、銀行のバブルで動くカネを、横からチョイと拝借する計画だったからね。

(30日追記)
リンク先の記事に「旧五摂家出身の料理研究家」とあるけど、おそらく、2017/03/27「「パン」と「米」。」の写真の方だろう。かれは藤原の系譜や天皇家との縁戚を活用した「保守ビジネス」をしているし。

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2017/03/28

「日本におけるキュビスム ピカソ・インパクト」展。

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なーんだ、またキュビスムかあ、ピカソかあ、もういいよ、客数稼ぎの企画じゃないのと思ったが、いつも一味ちがった展示をする埼玉県立近代美術館のことだから、なにか「らしい」特徴があるかもしれないとWebサイトを見たら、やはりひかれるものがあった。

というのも、案内で、戦前の1910-20年代と戦後の1950年代「二度にわたって、別々の文脈で日本の作家たちに受容されたという仮説に基づいて組み立てられています」と述べているからだ。

これは気になるってことで、去年の12月14日に行った。だからもう、この展示は終わっている。古い話で、すみません。

いやあ、行ってよかった。なにより、約160点ほどの展示が、どれもこれも熱気にあふれていて、いまの日本の閉塞になれきった脳ミソをぶちやぶるようなインパクトがあった。

キュビスムのインパクトを受けた人たちの作品のインパクトと、それを伝えようという展示のインパクトをビンビン浴びて、ひさしぶりにコーフンした。

とくに、恩地孝四郎が装幀や挿画などを担当した『感情』や、村山知義が中心になって発行した『マヴォ』などの雑誌の展示は思いがけないことで、うれしかったしすばらしかった。

カタログのデザインも、すましこんだ美術展のそれらとはちがい、カラをやぶる破壊の熱気を放っていて、思わず買ってしまったが、買っておいてよかった。こんなにカタログを何度も開いてみることはなかった。埼玉県立近代美術館は、いい仕事をしてくれる。

最近のニュースによれば、このカタログは、なにやら美術展関係のカタログの賞をもらったらしい。

そして、また今日も開いて見た。熱いねえ。なんとなく賢そうに型にハマって飼いなされていく時代の流れをぶちやぶるようなエナジーを補給するのだ。

異なる文化の受容は、美術のことだけでなく、食にもあるわけで(きのうのエントリーのパンなどのように)、いろいろ考えることが多い。

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2017/03/27

「パン」と「米」。

いわれているところの日本政府による「道徳」のダメダメ加減は、このように「道徳」というと「国粋主義」と一体であることだろう。ま、もともと戦中並の「国粋主義」が「道徳」をやりたがっているのだが。

「パン屋「郷土愛不足」で和菓子屋に変更 「道徳」教科書の初検定」というのは、ハフイントンポストの3月25日の見出しで、記事はこのように伝えている。
http://www.huffingtonpost.jp/2017/03/24/moral-textbook-bread_n_15592928.html

引用……

「しょうぼうだんのおじさん」という題材で、登場人物とタイトルを「おじいさん」に改め、挿絵も高齢の男性風に(東京書籍、小4)▽「にちようびのさんぽみち」という教材で登場する「パン屋」を「和菓子屋」に(同、小1)▽「大すき、わたしたちの町」と題して町を探検する話題で、アスレチックの遊具で遊ぶ公園を、和楽器を売る店に差し替え(学研教育みらい、小1)――。

 いずれも文科省が、道徳教科書の検定で「学習指導要領の示す内容に照らして、扱いが不適切」と指摘し、出版社が改めた例だ。

 おじさんを修正したのは、感謝する対象として指導要領がうたう「高齢者」を含めるためだ。文科省は「パン屋」についても、「パン屋がダメというわけではなく、教科書全体で指導要領にある『我が国や郷土の文化と生活に親しみ、愛着をもつ』という点が足りないため」と説明。「アスレチック」も同様の指摘を受け、出版社が日本らしいものに修正した。

……引用終わり。

「「ここまで細かいとは……」。各社の編集者は道徳教科書の初の検定に戸惑う。」ともあるが、細かいかどうかの問題ではないだろう。一人ひとりの心の持ち方や考え方に、政府の力を持って干渉し指導しようという「道徳」なるものが間違っている。

そのうえ、『我が国や郷土の文化と生活に親しみ、愛着をもつ』という、こういう思想の根本には、パンと米をめぐる根深い問題がある。根深いからこそ、こんなところにひょっこり露出してしまうのだろう。

このパンと米と伝統主義的日本料理については『大衆めし 激動の戦後史』でも、けっこうふれている。これは、昔の話ではない。いまでも続いている昔のことなのだ。

千年以上にわたり日本で強い影響力を維持している、儒教や国家神道の思想、どちらが背骨かわからないぐらいの思想が深く関係する。なかなかガンコな思想であり、日本人一人ひとりの内側に沁み込んで生き延び、とくに「米食原理主義」「主食原理主義」といってもよいぐらいな、食をめぐってのさまざまなヒエラルキーも克服されずにきている。だから、ま、これだけパンを食べパンについてオシャベリしながら、パンの位置づけすらできず、こういう事態になっているわけだが。

『我が国や郷土の文化と生活に親しみ、愛着をもつ』という押しつけ思想は、食育基本法をめぐっても、「感謝の念」などに同様の傾向が見られる。

そこには、人びとが育ってきた日本の食文化を誠実に学ぶという姿勢がない。これは、政府もそうだし、一人ひとり胸に手をあて考えなくてはならないことだろう。これだけ、食に関する知識や情報がハンランしながら、なぜ、このようなことがおきるのだろう。なぜ、パンや米や麺類や、おなじ米も白めしやにぎりめしや丼物やカレーライスなどで、ワタクシたちは食べているのだろうか。そういうワタクシたちについて、もっと理解する必要があると思う。

自分の食について自分で理解を深めないかぎり、こういうことはなくならない。バカバカしい文科省をバカにして笑っているぐらいでは進歩はないのだ。

当ブログ関連
2013/09/14
『大衆めし 激動の戦後史』のもくじと、「まえがき」「あとがき」の書き出し。
2008/10/07
なんて奇怪な平和の中のアヤシイ日本料理なんだろう。

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2017/03/26

東京新聞「大衆食堂ランチ」52回目、王子・山田屋。

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2月の第3金曜日17日は東京新聞の連載「大衆食堂ランチ」の掲載日だった。すでに東京新聞のサイトでご覧いただける。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2017021702000188.html

大衆酒場ファンのあいだで人気の山田屋は、朝8時に開店し、13時から16時までの休憩をはさんで夜21時まで営業する、酒場でもあるが食堂でもあるのだ。この早朝営業や店の造りに、「昭和の東京は、いたるところ労働者の街だった」名残りをよく残している。

2014年12月19日の「大衆食堂ランチ」では新丸子の「三ちゃん食堂」を取り上げたが、そこでは「東京の四方に比較的大きな箱と豊富なメニューの人気店があるのは偶然か?」と書いている。「北は大宮の「いづみや」、東は町屋の「ときわ」、南は「丸大ホール」、そして西は、この食堂だ」というわけだ。

北は「いづみや」をあげているが、都内で見れば、この山田屋になる。

これらの食堂は、工場と労働者が多かった地域にあって、働く人びとの生活の物語を豊富なメニューと広い空間や早朝営業に蓄えてきた。

1980年代ぐらいからこちら、働く生活と食生活の関係は、必ずしも良好な関係とはいえない。労働者とその生活は、少しないがしろにされてきたといってよいだろう。

それは、2016/12/15「「大衆」は葬り去られなかった。日本経済新聞の記事を読む。」で指摘されているように「『大衆』は一度、葬りさられた」歴史と関係がある。

でも、「大衆」は葬り去られなかったのであり、山田屋などの存在はその証でもあるだろう。

それでは大衆の未来、これからはどうなるのだろうか。気になるところだが、それはともかく「銀だら」のことだ。

銀だらの煮付けは、かつての大衆食堂では定番といってよいほど、安くてうまい気楽なおかずだったが、いまではめったにお目にかからない高額品になった。

そのへんの事情は、ぼうずコンニャクさんの「市場魚貝類図鑑」にある。日本人の「近年の脂嗜好から、高騰」したとのこと。
http://www.zukan-bouz.com/syu/%E3%82%AE%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%A9

肉に限らず、嗜好が脂に傾斜しているのだ。まぐろのトロ人気も同じことだろう。はたして「脂嗜好」を「洋風化」といえるのか。近代日本食の流れを読まずに、「和風」「洋風」の観念に固執していては実態を見誤るだろう。

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2017/03/23

昭和なトーク?

月日のたつのは早く、まだ先月のことが、もう一年以上前のことのようだ。

セカセカ月日が過ぎて行くのは、もったいないねえ。だから、ゆっくりふりかえろう。昨今はツイッターなんてのがのさばって、セカセカ度が高まっているけど、逆に、なんでも一呼吸二呼吸おいてから考えてみるほうがよいようだ。

去る2月18日の土曜日は、北浦和の居酒屋ちどりで、ブラボー川上さんとトークをやったのだった。

お題は、「昭和の酒と居酒屋」。

19時開場で20時スタートだった。

おれは19時半ごろ着いたのだが、もう店内は満員状態だった。ちどりさんは、20名ぐらいの席数で、前々日までに予約は一杯、さらに当日参加もあって、カウンターの内側まで立見席と化した。

おれは、『食品商業』2012年12月号に寄稿した不定期連載「おれの酒飲みハンセイキ その1 酒量も高度成長期」と、カルチュラル・タイフーン2006下北沢「都市を紡ぐ」のセッション闇市と昭和の記憶、大衆の痕跡での報告「大衆食や大衆食堂から見た東京の町」を資料として用意し、ほかにその内容にそったスライドを用意した。

が、うれしいギュウギュウづめで、おれと川上さんが座るステージ分のスペースもなく立ってトークする状態なので、スライドを見てもらうパソコンを置く場所もない。

というわけで、あいだに10分ほどの休憩を入れただけで、23時ごろまで3時間近く、立ちっぱなしでトークをやったのだった。

たくさんご参加いただいて、感謝です。

川上さんは、しばらく「北浦和の狸穴のマスター」として川上ナントカという坊さんのような本名で仕事をしていたから、「ブラボー川上」を名乗るのは「ひさしぶり」ということで、かなりテンション高めだった。そして、昭和のマズイ酒を再現し味わってもらおうと、昭和風に合成した酒とギョニソのつまみなどをたっぷり用意し、大荷物で到着した。

事前に狸穴で川上さんと打ち合わせたとき、川上さんが「こんな感じでいきましょう」というメモをサラサラと書いてくれた。

それは以下のようなものだった。

1、戦後昭和の酒場の流れと歴史

2、大衆食堂居酒屋とは?

3、闇市と戦後昭和居酒屋との関係

4、ブレークタイム、昔の再現酒をみんなで味わう

5、今の日本の酒場と酒場文化はどう変わってきたか?

6、戦後昭和の酒と酒場のまとめを2人でトーク

始まってみれば、川上さんもおれも型どおりにいかない人間だし、川上さんはハイテンション状態になっているし、勢いにまかせて進んで、終わった。

みなさん、長い時間なのに、よく集中して話を聞いてくれたし、再現酒を飲んで(カストリ酒を真似た強い酒もあったりしたので)けっこう酔って楽しんでいたようだった。

参加者の3分の1ぐらいは20代だった。おれの周囲のツキアイにも20代が増えているし、狸穴の客にも20代や大学生が多いからだ。

かれらは、「昭和」や「バブルのころ」に興味があるようなのだ。それはいろいろな角度からの興味だけど、ひとつは、「自分が生まれたころを知りたい」ということのようだ。それなら、親に聞くのが早いだろうと思うのだが、そのへんはどうなっているかわからない。

少し前だが、狸穴へ行ったら、大学生数人のグループが「アナログ文化」について学習する会のようなものをやっていた。昭和はアナログ文化として興味が持たれているようだった。

大衆酒場や大衆食堂も、最近は若い客が増えているのだけど、これは、かつてのバブルのころから顕著になってきた「レトロブーム」や、3丁目のナンチャラあたりから顕著になった「昭和30年代ブーム」のようなものとは、チョイとブームの性格が異なるようなのだ。

「大衆食堂」なんていうと、いかにも「昭和」であるけど、おれはあまり昭和を意識したことがない。大衆食堂に昭和を見るのはもちろんだけど、「昭和だから」という理由や動機から大衆食堂に関心があるわけではなかった。

だから、あまり昭和そのものについては考えたことがなかった。

だいたい、バブルのころから始まった「レトロブーム」は、「江戸・東京ブーム」と共に、「懐古」というより「回帰」というウサンクサイものがつきまとっていた。

3丁目のナンチャラにいたっては、もはや「昭和」は内実ではなく記号化して消費される対象になっていた感じだった。

しかし、こういうトークを機にあれこれふりかえってみると、80年代とバブルがとくに気になるのだった。

ブラボー川上さんは、1961年生まれで、かれが20歳になったのは81年。まだ、東京の街のあちこちには、戦後の残滓があった。かれと藤木TDCさんは、それらを拾い集めるようにして、、闇市本の快作『東京裏路地〈懐〉食紀行』を著したのだった。そして、80年代の酒は、まだまだ十分まずいものが圧倒していた。

と同時に、それらが変化していくのも80年代だったし、とくにバブルのころからだった。

その背景には、80年前後からの産業構造の変化があるのだが。

というわけで、「昭和」が気になり、とくに80年代とバブルが気になり、四月と十月文庫から『理解フノー』が出たけれど、まだ『四月と十月』に連載中の「理解フノー」の来月発行の分には、「「バブル」のころ① 錯覚」を書いた。

「近頃、平成生まれの二十代の人たちと話す機会が増えている。彼らは「昭和」がどんなだったかに関心があるし、とくに「バブル」について知りたがる。」という書き出しで、これは少なくとも3回は続く見通しだ。『四月と十月』は4月と10月の発行だから、3回目は来年の4月になっちゃうな。ま、セカセカすることはないさ。

当ブログ関連
2017/01/16
2月18日(土)、北浦和の居酒屋ちどりでトークをやります。

ザ大衆食関連
http://entetsu.c.ooco.jp/siryo/simokita_taihuun_hokoku.htm
カルチュラル・タイフーン2006下北沢「都市を紡ぐ」のセッション
闇市と昭和の記憶、大衆の痕跡
報告2 大衆食や大衆食堂から見た東京の町

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2017/03/16

『dancyu』のたまごと『栄養と料理』のたまご。

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2016/09/13「『栄養と料理』10月号の特集に初寄稿。」に、こう書いた。

「『dancyu』と『栄養と料理』は、じつは、背中合わせで一つの食の姿になる。それでも「食」の全体像からは遠いと思うが。ところが、割りとどちらからしか見てないことが多い。」

この両方の雑誌を読んでいる方がどれぐらいいるかわからないが、今回、というのは今月発売の『dancyu』4月号と『栄養と料理』4月号を見ると、『dancyu』の特集がたまご料理で、『栄養と料理』のこの春から始まった新連載の4回目「ぶたやまかあさんのお台所サイエンス」のお題が「卵ってなぜかたまるの?」なのだ。

たまたまこうなったのだろうけど、同じテーマで『dancyu』と『栄養と料理』がコラボしてみたらおもしろいのではないかと思っていたおれにとっては、この偶然はうれしかった。

しかも、『dancyu』は「380個を食べ比べて検証します!」という「味玉大実験」が大きく扱われ、ぶたやまかあさんの話題はゆで卵を題材にしているというぐあいだ。

衣食住のなかでも、食は、外界のものを体内に取り入れるという際立った特徴を持っているわけだけど、その取り入れ方や考え方については、ずいぶんさまざまなアプローチがあるわけで、その両端をこれで見た思いがして、人間が食べるって、いろいろ大変なことでありますなあ、と、他人事のように、あらためて食と料理のおもしろさと人間の理解フノーについて考えることが多かった。

どちらも、突っ込みが少しマニアックすぎないかという感じもあったが、またそこまでやるのがイマドキの「食の知」なのだということも、思い知った。

『dancyu』は「食はエンターテイメント」を謳い、『栄養と料理』は、とくに謳ってないが、カタクいえば「食はサイエンス」といったところか。しかし、エンターテイメントとサイエンスは、必ずしも矛盾あるいは二者択一の関係ではない。そこが、おもしろいわけだ。

今回の「たまごをゆでる」にあたり、『dancyu』は実際に作りながら体験的実証的な実験を繰り返し、ぶたやまかあさんは料理の科学でも最もコアといってよい化学、白身と黄身という異なるたんぱく質に熱を加えたばあいの変化のちがいについて、滋賀医科大学助教で医学博士の旦部幸博さんに質問し深めている。

これを読んで、おれは「なるほど」と思いながら、いつも朝食用につくるゆでたまごをつくりながら、でも、おれはハードボイルドが好きだから、気楽だね。人生、気楽がイチバン。ってぐあいに、料理や味覚には、科学や技術だけではなく人生観(嗜好や世界観なども含め)が深く関係するねと思った。

そして、かりに『dancyu』と『栄養と料理』がコラボしたばあい、どんなテーマが成り立つか、それは一冊の本のテーマにもなるのではないかと、ああだこうだ考えているのだった。

これは「グルメ」と「クッキング」のあいだ、ともいえるかもしれない。

ところで、この『栄養と料理』4月号には、その『dancyu』編集長の江部拓弥さんが、「食の仕事人」に登場しインタビューの答えている。これがまた、なかなかおもしろい。見出しをあげると「グルメにはグルメの雑誌は作れない」「皿の上にはない物語を聞きとる」「雑誌を作るという仕事の魅力」といったぐあいだ。

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2017/03/01

東京新聞「大衆食堂ランチ」51回目、秋葉原・かんだ食堂。

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3月1日なってしまった。ブログの更新はサボりだすと切りがない。

1月の第3金曜日、21日に掲載のものを、ようやっとここにアップする。ずいぶんほったらかしにしてごめんよ。

もちろん、すでに東京新聞のWEBサイトでご覧いただける。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2017012002000161.html

秋葉原の「やっちゃば」が姿を消してから20年以上がすぎた。その跡地に秋葉原UDXが開業したのが2006年だそうだ。かんだ食堂の道一本へだてた隣の、かつて「やっちゃば」があった場所には、それがそびえている。だが、かんだ食堂は負けてはいない、大にぎわいだ。

012秋葉原名物だった「電気街」の面影も、かなり縮小し姿を変えているが、神田の土地の秋葉原は、したたかに呼吸しているようだ。「大」がのさばろうとしても、「中」「小」を駆逐しきることはできない。てなことを強く感じる。

かんだ食堂の昼の営業は、11時から15時半だが、いつも混雑している。ときには、1人分しか席がなかったこともある。その雑駁な熱気は、かつての「やっちゃば」の空気が続いているかのようだ。皿にタップリ盛られたおかずが、カウンターに重なるように置かれた風景は、まさに市場的。それが、次々になくなる。

盛りが半端じゃない。カレーライスなどは、たっぷりのライスの上に、たっぷりのカレーのカタマリが帽子のようにのっている。カレーが汁というよりカタマリで、ライスの山を流れ落ちていないのだ。

生姜焼きだって、山盛りだ。

70歳過ぎたおれは慎重にならざるをえないが、それでも体調万全なら、完食できる。

この日は、正月の酒の飲み過ぎで、無難を選んだ結果、山かけになった。からだによい選択で、うまく食べられた。

とろろは、昔の大衆食堂では定番どころか看板にしていた店も少なくなかった。

それで思い出したが、もしかすると、旧赤線・青線の近くの大衆食堂では、とくに、とろろが看板になっていたような気がするのだが、おれの思い過ごしだろうか。

電気街の残存店、新しいブームの免税店やメイド喫茶、いろいろが混在する市場的な秋葉原は、これからどうなっていくのだろう。かんだ食堂から見て行きたい。

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