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2017/05/26

9月29日金曜日、理解フノートーク第二弾をやります。

きのう決まったばかりで、まだ先のことだけど、忘れないうちに一回目の告知。

9月29日金曜日、経堂のさばのゆで「理解フノートーク第二弾」をやります。

司会はもちろん、お囃子えりちゃんこと恩田えりさん。

こころある人もない人も、こころしてこの日にそなえてください。

「恩田えりのもっと知りたい話したい大衆食堂詩人エンテツ解体新書」として始まった、えりちゃんとのトークは、これまで4回か5回あったけど、だいたい70年代ぐらいまでの話が多かった。

今回は、「フリーライターってなんだ」ってことで、四月と十月文庫『理解フノー』の「フリーライター」の章あたりをグイグイと、突っ込み上手のえりちゃんに突っ込んでもらおうと思っている。つまり昔話ではなく現在の話をしようというわけ。

『理解フノー』の「フリーライター」にも書いたように、フリーライターの肩書を使い始めてから約20年。「成り行きで転がったついでに「フリーライター」という肩書を使い、出版業界なるものに付き合ってみてわかったことは、一見知的な、この業界は、これまで付き合ったなかでも、最も理解フノーな前近代的な体質の世界ということだった。」。そのあたりには、すごくおもしろい話もありますねえ。

政治業界のオシゴトもしたことがあるおれから見ると、政治業界と出版業界はとても似ている。実際にかなり近い関係にあるわけだけど。その強度な相似性は何かというあたりは、なかなか理解フノー的におもしろいと思いますよ。「おもしろい」というのは、これからの「出版」を考える刺激になるということ。

ま、まいどのように、酔っぱらいながら、たのしくやりましょう。よろしくね。

詳細は後日。9月29日の夜を空けてお待ちください。

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2017/05/25

なまあたたかい水道の水。

武田百合子『富士日記』上(中公文庫)は昭和39年7月4日から始まっているのだけど、7月30日に、「東京は夜になってもむし暑い。なまあたたかい水道の水を何度も飲む。」と書いている。

その日、百合子は、娘の花と早朝に富士の山荘を発ち、東京の家に泊ったのだ。

武田百合子も水道水を飲んだのだなあ。

蛇口をひねると、なまあたたかい水が出て、少し流しっぱなしにしていると、なまあたかさもいくらかおさまる感じではあるが、それでもやっぱりなまあたたかい。それを、蛇口に口をつけるか、腹が膨らんだずんぐりの茶碗かコップに注いで飲む。

なまあたたかくても水は水だ。冷たい喉ごしはなくても、飲めば渇きは癒された。ペットボトルでよく冷した冷たい喉ごしの水より、水の味がする。その味がイヤだという人もいるかもしれない。

あのころは、水道水をそのまま飲むのは、普通のことだった。武田百合子だって、水道水を飲んだのだ。

昭和39年は、おれが上京して2年目の年で、その7月というとおれは何をしていたか思い出せないのだが、とにかく水不足が続いていた記憶がある。

富士日記。8月17日の早朝、東京で仕事がある泰淳を車に乗せて上京した百合子は、7時半に東京の家に着いた。「東京は水が出ない」と書いている。

ついでだが、「今朝、佐田啓二が蓼科の別荘からの帰り、韮崎で交通事故死。」ともある。

なまあたたかい水道の水も、給水制限があった。水洗便所も不便だった。そんな夏が3回ほど続いたと思う。

もう忘却の彼方というぐらい、水道設備は整い殺菌浄化法も向上した。

いま、水は、どうなんだろう。

都市文明あるいはインフラとしてのそれではなく、水と人々の暮らしとの関係として水の文化は、どうなんだろう。

スーパーには、ペットボトルの水がならび、うちの近所のスーパーには、量り売りの自動販売機があり「軟水」「中硬水」「軟水」「プレミアム硬水」などが買えるようになっている。

浄水器なんてのも普及した。

これらは、どういう「文化」なんだろうと、あらためて考える。

うちは、浄水器も付けてないし、水道の水を沸かしてお茶を入れたり、夏は水道水で作った麦茶を切らさないようにしている。

これ、文化程度の低い、意識の低い生活なのだろうか。

とくに80年代からこちら、あらゆる分野で「商品化」「高付加価値化」が徹底してきたわけで、とくに新自由主義の浸透が、それにムチを入れたような背景もあり、「過剰品質」と追いつ追われつ、いまもやっている。

一方には大きな不足がありながら、過剰品質の泥沼にはまっている、といえなくもない。「丁度よい」がよくわからないまま、程度の悪いことにされてしまう。そして食品に関する知識は、とくに安全に関する騒動やデマなどのたびに思うが、不正確なことが多い。

気がついてみれば、「水」など、その典型かもしれない。

そりゃそうと、いまでもときどきやるが、二日酔いの朝、水道をひねり流れ出る水に口を付けて飲むときのうまいこと。

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2017/05/20

東京新聞「大衆食堂ランチ」54回目、葛飾区・ときわ食堂金町。

Photo_2

今月の掲載は昨日だったのだが、まだ先月の分もここにアップしてなかったと気づき、とりあえず先月21日の朝刊に掲載の分を。

東京新聞のサイトは、すでに掲載していて本文をご覧いただける。たいがい当日のうちにアップされているようだ。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2017042102000180.html

ときわ食堂は今回で6店目。

葛飾区には、ときわ食堂が多いような気がする。金町は常磐線沿線であり、この沿線からは以前、亀有のときわ食堂を取り上げている。亀有には、ときわ食堂とは関係ない常磐仙食堂もあり、「常磐仙」は「じょうばんせん」と読むが、ここも以前取り上げている。

葛飾区の北域を走る常磐線には、綾瀬、亀有、金町と大きな町が続いている。それぞれ個性があっておもしろい。綾瀬の駅北側は足立区であり、亀有の北側はいくらか葛飾があって足立と隣接している、金町はそっくり葛飾だが常磐線の次の駅は江戸川を渡り千葉県松戸になる、という地理も関係しているようだ。

金町に野暮な女がいて、小岩に野暮な男がいて、彼らは、小岩も総武線の次の駅は江戸川を渡り千葉県市川になるから、金町も小岩も「国境の町」だと言った。なるほど独特の情緒がある。

ふりかえって見ると、成増の食堂を取り上げたときも、ちょっと独特な空気を感じ、「成増は池袋から東武東上線準急で10分ほどだが、都心とも郊外とも違う独自のカラーを感じる町だ」と書いている。

成増の次は埼玉県和光になる。川は渡らないが、「国境の町」だ。成増も小岩も金町も、独立の「地方都市」という感じがするのだ。

ほかの「国境の町」も気になるのだが、それはともかく、ときわ食堂金町は、おそらく東京の最東北に位置するときわ食堂になるのではないかと思う。

ま、本文を読んでください。

008001ときわ食堂の前には自転車が一台とまっていた。前にちょろっと書いたと思うが、大衆食堂の前の自転車は、なんだか意味がありそうだ。地元に愛されている「安心」のしるしとして見ることができるかもしれない。

しかし、大衆食堂と自転車の関係には、もっとナニカありそうだと思ったのは、最近、昭和の初めの頃の、大衆食堂の原型ともいえる東京都の公衆食堂に関する資料を調べていたときだ。

それは当時の新聞記者が公衆食堂で食べて書いたものだが、「「自転車に気をつけて下さい」の掲示が自転車に乗ってくる階級の多い事を如実に示している」と書いているのだ。いうまもでなく、当時は、いまよりはっきりした階級社会だった。ゆとりある知識階級の記者が、このような階級的現象に眼をとめるぐらい、階級社会だった。いまはどうだろう。

大衆食堂と自転車の関係は、大衆食堂の勃興の頃からだった。

この連載の食堂の外観写真にも、けっこう自転車が写っている。

気になっている。

それはそうと、野暮な人たちが言っていた「国境の町」という表現は、この金町では使わず、昨日掲載の小岩の「ラーメン餃子三平」で、小岩を「国境の町」として書かせてもらった。

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