リコンストラクション。
いつごろだったか、ビジネス界で「リコンストラクション」という言葉がはやったことがあった。労働者にとっては、労働強化になるだけで、ありがたいことではなかったが。さけられない大きな変化が押し寄せていた。
神田駅で15時に待ち合わせた。男は、ほぼ時間通りに来たが、女は30分遅れるとメールで知らせてきた。
「しょうがねえなあ」と言いながら、男とおれは駅を出た。どこか立ち飲みを見つけるつもりだった。すると、すぐ前に「富士そば」があり、「生ビール」のポスターが貼ってあった。入って、生ビールを一杯ずつもらい、カウンターに座った。
彼は、おれが2017/06/20「「時代」ってなんですかね。」に書いた、「出版業界には、「組織」はあっても「チームワーク」はないか未熟だ」について、そのとおりですよねえと言った。前近代的なんですよ。
大手や中堅の出版社を経験しているフリーの編集者だ。出版業界のことは、おれよりはるかに詳しい。こんなことがあるねえと話していると、いろいろある。普通に考えればおかしなことばかりだ。なかには笑うより仕方ないほどおかしなこともある。ま、人間のやることは滑稽に通じる。
しかも、広告クリエイティブと出版の両方で仕事をしている人でも、広告クリエイティブのときはちゃんとチームワークで仕事ができているのに、出版の雑誌などの仕事になると豹変する、チームワークにならない。と、彼は言った。雑誌でも単行本でもそうだと。
なぜなんだろうねえ、出版の仕事には魔性が暴発しやすいのか、やはり「業界体質」というものなのか。出版業界の背骨になっている「活字文化」の根っこは、遡れば、「文部」の時代になるだろう。その前近代性など、考えるのも面倒だ。
出版業界は、リコンストラクションとは無縁でやってきた。リコンストラクションは、「システムの再構築」という意味で使われることが多かったと思うが。
30分遅れた女が来たので、タメイキと生ビールの最後の一口を一緒に飲んで、外へ出た。
多町通りから小川町を経て神保町まで歩く。あたりは、取り壊しては建てる、これはハードのリコンストラクションといえるか、解体したときにだけ見られる景色があった。けっこうアナーキーな景色に萌える。
神田駅までは、上野から御徒町、秋葉原と歩いたのだが、上野アメ横で「昇龍」や「大統領本店」がある高架下が耐震工事中で、昇龍はすでになく、大統領本店は閉店し解体を待つばかりだった。高架の構造物がむきだしになっていた。さすが腰の座った構造、造ったのは無名の労働者。これにも萌えた。
上京してから、東京はいつも工事中だ。東京の都市計画の完成は、いつどうなるかもわからない。ある意味、リコンストラクションの連続ともいえるか。でも、ハードだけのことで、街の文化の中身はどんどん薄くなっていく。見た目だけはおしゃれによくなって、公共性は失われていく出版物みたいだ。
神保町でビールを飲む。
女は会社員だが、彼女の同僚というより後輩といったほうがよいか、女の人だが今度の都議選に出馬したのだそうだ。会社にいるときは、まったくそのようには見えなかったというが、卒業の大学と学部や転職を聞いてみれば、あり得ない話ではない。
それにしても、その人は、いわゆる「政治塾」を経ての出馬で、地域での政治活動の実績は、まったくない。
近年は、「新党」を中心に、そういう候補者や政治家が増えた。岩盤のようだった、かつての政界出世コース(一種のビジネスモデル)が、大きく変わっているのだ。
これはリコンストラクションというにはアナーキーすぎる。もしかするとアナーキーとカオスへ向かっているのか。「変っている」というより、「漂流している」といったほうがよいか。中曽根・小泉・安倍で、ホップ・ステップ・ジャンプだ。
出版は、なにができるのだろう。
なんだか、おもしろい。
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