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2017/06/27

アウフヘーベン。

なにやら、「アウフヘーベン」が話題になっているらしい。

ドイツ大使館‏認証済みアカウント@GermanyinJapanが、このようなツイートをしていた。

小池都知事の豊洲移転問題をめぐる発言で話題となった「アウフヘーベン」。都知事はヘーゲルが提唱した「止揚」を言っていたと思いますが、アウフヘーベンは大使館員も含め大半のドイツ人にとっては至って普通の動詞です。意味は「持ち上げる・拾い上げる」。日頃色々なものをアウフヘーベンしてます。

12:56 - 2017年6月26日
https://twitter.com/GermanyinJapan/status/879186586033725440

このツイートには、女性が猫を持ち上げるイラストがついる。

おれがこの言葉を知ったのは、高校2年生か3年生ぐらいだったと思う。1960年前後は、はやり言葉だったともいえるな。

大学は哲学科だったから、ごく日常的に使われていたよ。どちらかといえば「左翼系」の人たちが多く使っていたと思うが、当時はマルクスとサルトルは広く読まれていて、哲学への関心も高かった。その割には哲学科は人気がなかったが、それは就職の役に立たないからさ。

教養としての哲学への関心は、現在とは比べものにならないほど高かったから、理解がどうかに関係なく「アウフヘーベン」は、よく使われていた。

マルクスよりサルトルに傾倒している人ほど、この言葉をよく使っていたように思う。

ただ、よく使われていたからといって、よく理解されていたわけではない。

いずれにせよ、「止揚」という意味であった。

モンダイは、この「止揚」の意味や概念が、なかなか把握しにくいことだった。

いま、ネットで止揚を調べると、たとえば、こうある。
「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説」から。
https://kotobank.jp/word/%E6%AD%A2%E6%8F%9A-78783

「ヘーゲル哲学の用語。揚棄ともいう。弁証法的観点から,事物の発展は矛盾対立によって行われるが,その場合一つの要素はほかを否定しはするがまったく捨去られるのではなく,保存されてより高い次元に引上げられ,一新されて全体のなかに組込まれる。このような働きを止揚という。 」

また、三省堂・大辞林には、こうあるとツイートしている人もいる。

「止揚=ヘーゲル弁証法における重要概念。 あるものを、そのものとしては、否定するがより高い段階で生かすこと。 矛盾する諸要素を対立と闘争の過程を通じて発展的に統一すること。」

ようするに、ヘーゲルといえば弁証法、弁証法といえば止揚、とワンセットだったが、「矛盾」そのものを理解するのが、なかなか大変だった。

ネットを見ていると、いまでも「矛盾」について正確に語られることが少ないと感じるな。

表面的な対立をとらえて矛盾とする単純化や矮小化が、わかりやすいこともあって、一般的のようだ。わかりやすい構図が受けるのさ。

「朝日×読売」みたいに。

だいたい、二項対立でモノゴトを考え、どちらを選ぶか、どちらが正しいか、どちらに肩入れするかでは、矛盾にも止揚にも近づけない。

小池知事は、どういう場面でどういう意味で「アウフヘーベン」を使ったかわからないが、「築地×豊洲」という構図を「発展的に統一」しようということなのだろうか。

だけど、築地と豊洲のあいだに、どんな矛盾があるというのだろう。

ま、選挙の場合は、選挙期間中だけ通りのよいことを言って多数を握ればよいのだが。そこにこそ、矛盾があるわけだ。

とにかく、今日は、自分はかつて、2年に満たない短い間だったが哲学をベンキョウしていたことを思い出した「アウフヘーベン」だった。

先の「大辞林」にある、「矛盾する諸要素を対立と闘争の過程を通じて発展的に統一する」は、とくに「対立と闘争」について、誤解を招きやすいね。「左翼」にも誤解している人たちがいるようだ。

ブリタニカ国際大百科事典の止揚の解釈のほうが、より正確だと思う。

はあ、それにしても、矛盾だ、モンダイは。

矛盾は、なくならない。止揚によって新たな矛盾にいたる、それが発展なのだ。どういう矛盾を選ぶかなのだ。

矛盾をなくそうとしたり、矛盾のない正解を選ぼうとすると、矛盾の対立にはまる。そうやって、おかしな方向へそれていった人たちが、ツイッターを見ているとけっこういるね。いきつくところは「好き」か「嫌い」かになる。またそれでよいという考えまである。思考の文脈も論理もグチャグチャだ。人類の叡知、哲学はどうなったのだろう。

猫を持ち上げたとして、そのまま猫を持ち上げ続けているわけにはいかない。持ち上げたら降ろすという行為が発生する。降ろすなら持ちあげなければよいのだが、持ち上げてしまったら、降ろさなくてはならない。「持ち上げる」というのは、そういうことだ。

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