「チャン」の構造学。
おれが自民の代議士や秘書たちと付き合いはじめたのは、昨日書いた1974年夏の参議院選挙より前、その前年に東京都議会選挙があったのだが、その仕事がらみからだった。
都議会選挙だが、都連の幹部は代議士であり、それで都連の事務所や議員会館に出入りするようになった。
最初、すごい違和感を感じたのは、「チャン」だった。
彼ら国会議員やその秘書やとりまきのあいだでは、「なんとかチャン」と呼び合う関係があるのだ。その薄気味悪さったらなかった。
イチオウ恰幅もよく、国会議員らしく脂ぎった腹黒そうな顔をした人たちが、「チャン」づけで呼びあうのだ。当時の田中とか、大平とか、福田や三木といった派閥ボスを思い出して見て下さい、どう考えても気持ち悪いよね。
最近、加計学園疑惑で、安倍総理夫人が「男たちの悪巧み・・・(?)」というコメント付きでフェイスブックにアップした写真が取り沙汰されたけど、そこに写っている安倍首相と加計孝太郎らを見て、おれは、こいつら絶対「チャン」で呼び合っているな、と思った。
すると、森友のほうはどうか。どうも森友と安倍は「チャン」の関係まではいってなかったのではないかと思われる。ま、「チャン」をめぐり、そんな風に見ることもできそうだ。
いまではどうかしらないが、「チャン」は上下の序列関係がうるさいあの世界で、特別な関係を意味した。意味深長な、「友達」「仲間」あるいは「同士」が「チャン」なのだ。
たとえば、おれは「えんチャン」と呼ばれたが、おれを「えんチャン」と呼ぶのは、議員か中堅以上の秘書で、おれはかれらをチャンづけで呼ぶことはなかった。
おれは仕事を受注した会社の一社員だったこともあり、「チャン」付けで呼ぶような関係はなかった。しかし、おれの上司の、政治好きの取締役は、大臣秘書クラスまでは「チャン」と呼び合っていた。某派閥のブレーンだったのだ。そういうこともあって、選挙の仕事などを受注していたのだ。
彼らが「チャン」と呼び合いながら話しているときに「オヤジ」という言葉が出てくる。これは派閥のボスのことで、つまり彼らは、同じ「オヤジ」のもとでの「チャン」の間柄なのだ。
そこにおれのような「チャン」の関係でないものがいても、向こうから話しかけられないかぎり、自分から話しに口をはさむようなことはしないし、聞いた話もよそで口外しない、という、暗黙のバリアのような了解のようなものがあった。
いまはどうか知らないが、当時は、一年生議員と経験年数によって「格」の違いがあり、議員のあいだでも片方は「チャン」と呼び片方は「先生」と呼んでいる場面もあった。経験の浅い議員は、すぐには「チャン」の関係になれないようだった。
秘書たちのあいだも「チャン」と「サン」や「クン」が使い分けられていた。
人前で「チャン」「チャン」呼び合うときは、おれはこの人と「チャン」の関係なんだぞ、ということを誇示する意味合いもあった。まあ、権力や権威を利用しあいながらのしあがる業界だからねえ。
そのへんをわかっていないらしい、あまり空気を読めない、おれは社長だけんねという感じの社長さんが、大臣秘書などを囲む飲み会で、自分は「チャン」とは呼ばれていないのだが、みな「チャン」付けで呼び合っているのを見て、いきなり大臣秘書を「チャン」付けで呼んでいたことがあった。
おれは、ドキッとしたが、あとでやっぱり、あれはナンダという話が出ていた。ま、でも、カネになる社長さんならよいのですがね。ただ大臣と近づきになりたくて、おれは大物と友達なんだぜと思いたかったり、見せつけたくて、「チャン」を使ってしまう人もいる。
本人に面と向かって言えないから、誰かの前で自分を誇示したいときに、「ああ、なんとかチャンね」とか言う。すると、あの議員や秘書とはゴルフ友達だとか、飲み友達だとかという話が真実味をおびるというわけなのだ。
そういう世界が、今はどうなっているか知らないけど。
しかし、ほんと、それなりの権力を持った大の男が、「チャン」「チャン」呼び合っている景色は、じつに妙な感じだった。
でも、そんな風に、重要案件が話し合われていたりするのだな。
この「チャン」の構造、出版業界は必ずしも「チャン」ではなく「愛称」のことも少なくないが、似たものを感じる。前にも書いたが、政界と出版界は似ているところがある。それは権力や権威と深く関係しているからだろう。
哀しみと滑稽の狂騒曲といったところか。
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