「ホンとの出会い」
少し前のことだが、学校教育関係者の「機関誌」のようなものにエッセイを寄稿した。以前にも寄稿したことがあって、そのときは「食」がらみのテーマをいただいて書いた。
メールで依頼があって書いたのだが、担当の方とはお会いしたことはないし、とくに知り合いがいるわけでなし、学校教育の役所のようにカタクルシイ雑誌だから、おれのような下世話なものに書かせるなんて二度とないだろうとおもっていたのだが、また依頼があった。
今度は「ホンとの出会い」というテーマだ。前回のように、とくに学校や教育を意識する必要はない、ようするにカタクルシイ誌面のなかの息抜きのようなエッセイということなのだ。ただし、「ですます」で書かなくてはならない。
普通には目にすることがない雑誌なので、ここに全文転載しておく。「ですます」で書くと、なんだか小学生の作文みたいで、笑える。
おかしな言い方かもしれませんが、私が「本を読む」という目的で本を読み始めたのは、新潟県の田舎町の中学1年のときでした。
中学生になって、部活はしていなかったし、趣味らしい趣味はなく、毎日ヒマを持てあましていました。学校の帰り道に町の公民館があったのですが、小さな普通の民家のような木造二階建ての一階の通りに面したところはガラス窓で中が見えました。そこは「図書室」で本棚に本が並んでいました。通りがかりに見ているうちに、本棚の本が、なんだか「すごそう」に思えました。
ある日、フラッと入って見ました。外から見えた本棚は、私の背丈以上あり、大きな厚い重そうな本がギッシリ並んでいました。そこで「すごい」と思ったのが始まりでした。
こういう景色は初めてでした。町の本屋さんだって、こんなに大きな厚い本は並んでいません。たぶん小学校にも中学校にも図書室があったと思うけど覚えがありません。いま考えると、ほかにはたいして本がない貧弱な図書室だったから、この本棚に迫力をかんじたのかもしれません。
そこは「全集」が並んだ棚で、いちばん上に全何巻かの『富士に立つ影』や『大菩薩峠』などがズラリ並び、それから、吉川英治全集があり、世界文学全集や日本文学全集がありました。
少し興奮していたにちがいない私は、「よーし、これを全部読んでやる!」と決意しました。
まず、『富士に立つ影』を取り出しました。重い、こんなに重い本は持ったことがない。借りる気になりました。まるで重いから読んでみようと思ったようですが、たしかにそうだったかもしれません。内容なんか気にしませんでした。
読み始めたらおもしろい。『富士に立つ影』を読んで、次に隣の『大菩薩峠』に手を出しました。これが、みごとに挫折。最初はおもしろかったのですが、しだいに先を読もうという気がしなくなり、新たに借りる気もおきない。そこで世界文学全集を征服することにしました。
この全集で『モンテクリスト伯』を読んだときは、高校生になっていたかもしれません。高校では山岳部の部活で忙しい毎日でしたが、本を読むのは習慣というか惰性になっていました。
とにかく、この本で初めて、作者を選んで読むようになったといえます。それまでは、なんとなく棚に並んだ順番に読んでいたわけです。あるいは、読んだことのない作者のものから読むというかんじでした。
『モンテクリスト伯』のあと、この作者が気になり『三銃士』を読みました。すると、全集にはなかった『二十年後』が読みたくなり、『二十年後』を読み終ると『鉄仮面』が読みたくなり、これらは文庫本を買って読みました。さらに後年この三部作が『ダルタニャン物語』としてまとまって出版されるとこれも読みました。アレクサンドル・デュマ・ペールのおかげで、大作の物語を読むおもしろさにハマったといってよいぐらいです。
『大菩薩峠』は20代後半に再挑戦し読み切り、吉川英治全集もたくさん読んでいました。30代になっても、厚さで選ぶ、文庫本なら何冊かになるものを読む、「重厚長大主義」は相変わらずでした。厚さが基準なのでジャンルは問いません。マルクスの『資本論』にも挑んだことがあるのですが、3分の1ぐらいで挫折しました。『富豪と大富豪』(早川書房)が厚くて重いうえに、読みこなすのが難儀だったので記憶に残っています。
「長い」から読む、「厚い」から読む。バカですね。とはいえ、大作・長編・全集を読んでいると関連する小説や歴史や風俗や思想など、その周辺も気になり、テキトウに読んでいました。
物量作戦のような話しで、あまりスジの通った読書とはいえないでしょうが、老眼が進行し体力も低下したいまでは、若いうちにそういう読書をしておいてよかったと思っています。本を読むにも体力が必要ですし、大作・長編ならではの醍醐味を味わうとなるとなおさらですからね。
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