有効微生物群(EM)の初期の資料。
古い袋をあけたら、こんなものが出てきた。近年なにかと世間を騒がせている「有効微生物群(EM)」の資料だ。
これはたしか、1989年か90年に、JAC(ジャパン アグリカルチャー コミュニィティ株式会社)を訪ねたときにもらったものだ。
その頃はバブルの最中で、おれはそのアブク銭を使って、新しいコセンプトの事業を立ち上げるプランニングに関わっていた。その事業の中核の一つが、農業生産法人の設立だった。
その準備のかたわら、九州の山地の農林業の地域の事務所で、地域の農家の方々と協力しあいながら産品の販売を手伝ったり、主に自然農法や無農薬・有機栽培の農業と流通の調査をしていた。
1980年代は、農業をめぐる大きな変化がいろいろあって、農家以外の農業参入への道がゆるくなったり、国の農業政策上は「枠外」にあった、いわゆる自然農法や有機農法などが農水省の政策に組み込まれる方向へ動いていた。
JAC(ジャック)は、そうした動きのなかで、主に「無添加健康食品」や有機農法などによる野菜や果物の流通を担い、発展していた。
自然農法や有機農法については、いろいろな流れや言い方があって、けっこうややこしいのだが、とりあえず自然農法や有機農法という言い方にしておくが、その分野でJACはけっこう知られている存在だった。
それで、訪ねて話を聞いたのだが、そのとき渡された資料のなかに、これがあった。
一つは、1988年4月に、ジャックが編集し発行した、「有効微生物群(EM)参考資料」であり、ワープロ原稿をそのまま版下にしたらしい簡易印刷で本文20ページのものだ。
収録の項目は、「自然農法の沿革」「世界有機農業会議に参加して 比嘉照夫」「自然農法と有効微生物群(EM)活用について 比嘉照夫」「有効微生物群応用マニュアル (財)自然農法国際研究開発センター」「有効微生物群(EM)資材の説明」「当初の実施作業プロセス」となっている。
もう一つの「新世紀の農業 公開講座雑感」は、文庫よりひとまわり大きいサイズで本文12ページ。これは啓蒙パンフとでもいえるだろう、「琉球大学農学部教授 比嘉照夫」による、「新世紀の農業」と、琉球大学公開講座の雑感となっている。
1988年11月の発行で、発行は「宗教法人 世界救世教」だ。
あまりあてにならないウイキペディアには、「有用微生物群」の項に、「1986年頃、サン興産業が同社の農業用微生物資材である『サイオン』の効果確認・使用方法の確立を琉球大学の比嘉照夫に依頼。1994年、比嘉はEM(有用微生物群)なる概念を発表した」とあるが、1994年以前から、比嘉はこのように「有効微生物群(EM)」という表現を使って活動している。
とにかく、この資料は、EMのごく初期のものであり、近年「ニセ科学」と批判されるEMのような、神がかった話は一つもない。
比嘉も、「世界有機農業会議に参加して」では、「旧態依然としたおそまつでありました」「発表を聞いても昔の農業に戻れといっているような範囲のものが多く、農業生産よりも社会運動の一つとして位置づけておる例が多数発表されていました」と批判的な言い方もしている。
が、しかし、そのころすでに比嘉は、世界救世教と関係を持っていた。「自然農法と有効微生物群(EM)活用について」の比嘉の肩書は、「財団法人 自然農法国際研究開発センター理事」「琉球大学農学部教授」「農学博士」となっている。
自然農法国際研究開発センターは、世界救世教の関連団体であり、世界救世教は開祖・岡田茂吉が提唱する「救世自然農法」を推進している。
救世自然農法は、世界救世教の宗教運動の一つとして位置づけられているといっても過言ではない。そのことについて比嘉は、どう考えているかわからないが、外から眺めていると、宗教運動としての「救世自然農法」に比嘉は「科学的根拠」を与えながら、その宗教にからめとられたと見えなくはない。
といったことをぼんやり考えた。
あのころ、おれの周辺の自然農法や有機農法の界隈でも、EMはほとんど知られていなかった。おれも耳にはしていたが、このような資料を手にしたのは初めてだった。
自然農法やEM、この界隈は複雑だ。これに「原発/反原発」がからんで、さらに複雑になっている。
それは「科学的」ということが、必ずしも明快ではないことも関係しているからだと思う。
| 固定リンク | 0