カレーライスと新自由主義・新保守主義。
二つ前のエントリー「ひさしぶりに「論考」の原稿を書いた。」に登場するラーメンとカレーとどんぶりを考えているうちに、「カレーライスと新自由主義・新保守主義」というのを思いついた。
ま、『ラーメンと愛国』というタイトルの同類みたいだが。
大衆的規模での食べ物の流行は、いろいろな環境変化が関係するが、政治環境も無縁ではない。食べ物の側から政治をみることは、生活の側から政治をみるのとおなじなのだな。
「グルメ」という言葉が一般化するのは1980年代前半からとみてよいだろう。80年代後半には「B級グルメ」も広がりはじめる。
前にも書いたように、80年頃で、それまで続いていた工業中心の産業構造は行き詰まる。そして、1982年に中曽根康弘内閣が誕生し、新自由主義と新保守主義という新たな流れが始まる。
「失われた20年」とかいう言葉が流通し、とかく「バブル崩壊」から日本の大きな変化が始まったかのような印象がマンエンしているが、80年頃を境にして産業的にも政治的にもかわった。と、みなくてはおかしい。「失われた20年」は、80年前後の産業構造の転換期に、中曽根内閣がヘタな手をうち、その後もなんら有効な手を打てず、新自由主義や新保守主義と手を切れなかった結果だろう。
中曽根内閣は、リクルート事件があったりして86年に退陣したが、新自由主義と新保守主義の政策は、その後、強弱がありながらも続き、2001年から2006年の小泉進一郎内閣、かわって登場の安倍晋三の第一次内閣は短命に終わったが2012年に第二次と、どんどん強化されてきた。
その思想的影響もすごいものになった。
この動きと、ラーメンとカレーとどんぶりの動向を重ねてみると、なかなかおもしろい。
ラーメンとどんぶりは、ワンボール料理でありカレーはワンプレート料理というちがいがあるが、ラーメンとカレーとどんぶりは、普通は、器一杯で一食分になるという料理の特徴がある。
おれは、機能論的に見て、カレーとどんぶりは同じ「汁かけめし」だという持論を述べ続けているわけだけど、ラーメンとカレーとどんぶりにかぎらず、料理は系譜論的に見るか機能論的にみるかで、だいぶ違ってくる。
ま、そういうことも関係する。
酒がよんでいるから、今日は、これぐらいにしておこう。
政治思想と味覚は関係ないと思っていると、アンガイ、そうではない一面もあるようだ。
味覚の選択は、政治思想のあらわれである。なーんてことは、ありうるのではないかな。
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