東京新聞「大衆食堂ランチ」58回目、明大前・相州屋(かつ煮定食)。
先月第三金曜日に掲載のものだ。すでに東京新聞のサイトでご覧いただける。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2017081802000196.html
そこにも書いたが、明大前はなかなか行く機会がない。上京してしばらくは、京王線のつつじヶ丘と代田橋に住んでいたので、毎日、この駅を通過していたのだが、井の頭線の乗り換え以外では降りたことがない。
改札の外へ出たのは、たぶん3回目ぐらいだろう。井の頭線が小田急線と交差する下北沢と比べると、かなり地味な存在だ。そのナゼ?ということが、今回もっとも気になったことだった。地理的構造が関係あるのだろうか。
そのかわり、北口の駅舎と前の小さな駅前広場は、むかしの京王線沿線の郊外駅の雰囲気をよく残している。ノスタルジックな気分がわいたので、その写真を撮ってこようと思ったが、食堂へ行くのを先にしたら、帰りは雨になってしまったので、撮りそこねた。
下北沢のような「若者の街」とはちがうが、若者の多い街だ。でも、チャライかんじはない。もしかして明治大学の「校風」の関係もあるのだろうか。
下北沢や渋谷の若者のイメージで「若者文化」をみてはいかんなとおもったが、しかし、彼らもシモキタやシブヤの街へ行けば、それなりにシモキタやシブヤの若者なのかもしれない。街が人間を印象付けるということもあるだろう。とくに消費的な「シティな街」においては、その雰囲気にのまれるか雰囲気にあわせて、人間の中の何かが表出しやすいのではないか。ま、「流行に敏感な人」とおだてられたりして、その気になることもある。そのばあい「素顔」はどこにあるのだろう。
相州屋がある商店街は、そういう「シティな街」ではない。「昔ながら」のようであるが、どんどん新しい店が進出している。
相州屋、店内の造作は、目立たぬところでデザインされしっかりしている。天井から壁板にかけてだが、ただの素っ気ないハコではない。このナゼ?も気になった。
かつ煮定食については、本紙に書いたとおりだが、これをメニューに見るとおもわず頼んでしまう。この連載では、たしかこれで3回目ではないかとおもう。
1971年ごろ初めて「わかれ」を食べたときの記憶が、けっこう強く残っているのだ。あのとき、お店のおばんさんに、「なぜ、わかれ、なのか」とたずねたとき、「白いごはんが好きで、カツ丼ではいやだという人もいますからね」というような返事があって、そのことがショックで尾を引いているようだ。
『汁かけめし快食學』に書いたことも、このショックのおかげかもしれない。つまり、日本のめしの賞味の仕方として、「複合融合型」と「単品単一型」があるということだ。
かつ煮定食においては、その両方をたのしめる。つまり、「単品単一型」で少しか半分かたべたのち、残っているものをそっくり丼めしにかければ「複合融合型」もたのしめるのだな。
ひとつ心残りのことがあった。おれが食べているあいだに、若い客が数人入っては食べて出て行ったのだが、一人をのぞいて今月の「サービスメニュー」とある670円の「オム・ハヤシ」を食べていた。
これが、盛りがよいのはもちろんだが、ハヤシととろとろのオムレツが、一つの皿のライスの山の両側に盛り分けられていて、見た目もすごくうまそうだったし、食べている人はみなうまそうに食べていた。
これ、拙速に「かつ煮定食」を注文してから、壁に貼ってあるメニューを見つけたのだった。
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