「作品と商品のあいだ~表現という仕事のリアルな現場の話~」
去る17日の、みちくさ市連続講座「作品と商品のあいだ~表現という仕事のリアルな現場の話」の最終回総集編のこと。
いつもは、武田俊さんと中野達仁さんが司会で、ゲストが登場してのトークだが、今回は、ゲストのかわりに、この企画のプロデューサー役をしている、みちくさ市運営団体「わめぞ」代表にして古書現世の店主、向井透史さんが登場した。
最終回総集編なのに、武田俊さんは仕事で韓国出張中。で、司会席にiPadを立て、ネット中継での司会になった。こういうのは初めてなので興味津々だった。
ソウルと東京は時差はないが、音声には少しタイムラグがある。武田さんの背景には、韓国らしい特徴がない、日本のビル街と同じだ。ほんとうに韓国にいるの?という冗談がとび、武田さんがハングル文字の看板を写す。というぐあいに始まった。
これまでのゲストは、以下の通り。
第1回:ゲストなし/第2回:澤部渡さん(スカート)/第3回:桑島十和子さん(美術監督「下妻物語」「告白」他)/第4回:森山裕之さん(元クイックジャパン編集長)/第5回:タブレット純さん(歌手・お笑い芸人)/第6回:高橋靖子さん(スタイリスト)/第7回:真利子哲也さん(映画監督)/第8回:山下陽光さん(「途中でやめる」デザイナー)/第9回:姫乃たまさん(地下アイドル)/第10回:牧野伊三夫さん(画家)
ゲストは、武田さん、中野さん、向井さんが相談しながら決めていたようだ。今回この話はなかったが、以前、どんなゲストを招きどんなトークにしたいかという話があり、とかくありがちな、人を集めやすい有名人を呼んで、有名人と名刺交換したい人たちが集まって、話を聞いてオシマイ、という感じのものにはしたくない、ということだった。
おれは、森山裕之さん、真利子哲也さん、山下陽光さん、牧野伊三夫さんの回に参加している。毎回、トークのあとの、打ち上げ懇親飲みがたのしかった。中野さんや武田さんなどは、普段は会う可能性すらない人たちだったし、ほかにもそういう人たちがいた。
そうそう、中野さんと武田さんのプロフィールは、こんなぐあいだ。
中野達仁(なかの・たつひと)
1964年、福岡生まれ。(株)東北新社・CMディレクター。主な仕事はベネッセ ”たまひよ“シリーズ、YKK AP、三井住友銀行、グリコ、ホクトのきのこなど。MVではGOING UNDER GROUND「トワイライト」「同じ月を見てた」、コーヒーカラー「人生に乾杯を!~別れの曲~」などがある。
武田俊(たけだ・しゅん)
1986年、名古屋市生まれ。編集者、メディアプロデューサー。lute編集長、roomie編集長、元KAI-YOU, LLC代表、元TOweb編集長。NHK「ニッポンのジレンマ」に出演ほか、講演、イベント出演も多数。
中野さんのCMディレクターという仕事は、むかしマーケティング屋の仕事をしていたときに、何度かCM制作に外側から関わることがあって、だいたいどんな仕事をしているかわかるが、武田さんの仕事は、多面的でもあり、いまどきのメディアの新しい動きについていけてないこともあって、まったく把握しきれていない。いったい、どんなふうに仕事をして、どんなふうに稼いでいるのか、見当もつかない。とにかく、武田さんからは、メディアの世界は、おれなんかもう想像がつかないぐらい変化しているし、もっと変化するんだなという強い印象を得ただけでもめっけものだった。
総集編だから、それぞれのゲストの回をふりかえりながらだった。その個別のことはカットさせてもらう。ようするに、ゲストに招いて話をしたら、スゴイ人ばかりだった、スゴイ人ばかりすぎたのではないかという感じもあったが、自分はちっぽけな存在なんだということを自覚することにもなって、よかったではないか。という話はよかった。とかく、スゴイ人と会ったり話したりしていると、自分も同じレベルになったと錯覚しちゃう人も少なくないのだが。
むかし、「日本人はケンキョを美徳にしているようだけど、ケンキョを覚えるより、自分を相対化する方法を身につけたほうがよいよ」と、なんでも方法で解決しようとするアメリカ野郎にいわれたことを思い出した。
連続講座はみちくさ市と連動し、みちくさ市はわめぞと連動している。わめぞの最初の頃をすっかり忘れていたが、向井さんの話で思い出した。池袋の古書往来座の外側スペースを使って、古本の「外市」というのをやっていたのだ。
わめぞの動きについては、最初の頃から興味があった。それは、長く続いている「閉塞」、向井さんは同時に「たこつぼ」という言葉も使っていたが、そういう状態から、もっと混ざり合うことを目指していたからだ。経堂のさばのゆの店主、須田泰成さんの言葉では、「もっとシャッフル」ということになる。
A業界ではアタリマエのことが、B業界では笑い話になるぐらい、すぐ隣にいても離れている。そういう状態が、あちこちにある。そのあいだを少しでも埋めることになれば。
「作品と商品のあいだ」は、結論なんぞない。だけど、その「あいだ」を探ることで、自分と誰かさんの「あいだ」を探ることにもなるのだ。
いまでは、百万部以上売れている本の著者で、メジャーなテレビ番組に出演していても、なにソレだれ、ということになるのは珍しくない。その一方で、2万、3万売れたぐらいで「ブーム」といわれる。小さな「たこつぼ」のなかでエラそうにしている陳腐な光景もある。
おれも、いちおう「フリーライター」の肩書で「表現」なるものに関わっているが、「作品」とか「商品」については、あまり考えたことがない。すべて依頼があって成り立つ仕事だ。
そうそう、「作品と商品のあいだ」がテーマになったのは、向井さんが中野さんに、「スポンサーから金をもらって商品をつくっていて、ストレスがたまりませんか」というようなことをいったのが発端だったらしい。中野さんは、会社員でもある。
おれは、長いことサラリーマンをやったし、スポンサー稼業もやったが、ま、簡単にいってしまえば、自分にこだわることがないからか、上司やクライアントからいろいろ言われたり、商品をつくったり売ったりすることについて、「ストレス」というほどのものは感じたことはない。会社組織だろう個人事業だろうが、仕事は仕事だ。おれをクビにしようとガンバッテいた上司と酒を飲むのもたのしかった。あるいは、ストレスが襲ってきたら、「方法」で片づけてしまう。あまり器用ではなかったかもしれないが。表現の仕事だからといって特別視する気はない。
「作品と商品のあいだ」には、日本の困った道徳観から発する「金儲けは悪」という考えも影響しているようにみえる。作品=善、商品=悪、という感じの。食べるために働くことを蔑視したり、逆に仕事に「意味」を持たせすぎということもある。
それから、たとえば、「良書」といった言い方があって、「良書」を発行する出版社のイメージが高かったり、近頃は「良書」を選んで売る「セレクト・ショップ」みたいなものがチヤホヤもてはやされているけど、「良書」なんていうのは極めてアイマイな観念だ。かつて漫画が「悪」にされ「文学作品」が「良」とされた時代を、まんま引きずっているように見える。
「作品と商品のあいだ」から見えるのは、どっちが上か下かの上下関係や序列的な価値観や優劣観に位置付けようとする思想の悪癖でもある。そういうことにとらわれていないか。
そのあたりを破壊的に片づけて、この連続講座で最高に面白かったのが、第8回の山下陽光さんだった。10回目の牧野伊三夫さんのダメっぷりも破壊力があったが。
書くのがメンドウになったので、途中でやめる。
みちくさ市連続講座は、テーマを変えて続きます。古本フリマと合わせ、参加し、大いにシャッフルしましょうね。
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