「歌舞伎町的教養」なるものについて考えた。
植草甚一の『こんなコラムばかり新聞や雑誌に書いていた』(ちくま文庫、2014年9月)に「歌舞伎町的教養」という表現がある。
佐藤重臣の「鈍器のセレナーデ」について書いているところにあるのだが、こんなぐあいだ。
「これは処女作だが彼が言ったように、おとなしい作品ではないし、おまけに途中までは下手糞すぎた。それが後半から急に面白くなるのは、新宿の歌舞伎町的教養が、その卑俗性から超脱する瞬間があるからで、あとでもう一度ふれるが、そういう新宿裏通りの社会風俗にたいする作者の視線は、アングラ的というよりコンポラ的だといったほうがいい。現代写真家の一部にたいして使われたコンポラという用語が、流行遅れかどうかは知らないけれど、そんな感じがした」
東京新聞に連載の「中間小説研究」1973年3月の分にあるのだが、「あとでもう一度ふれるが」というところを読んでも、歌舞伎町的教養のイメージすらわかない。
73年頃の歌舞伎町は、いまから比べると、半端じゃんないヤバさがあったけど、いまと同じなのは多文化混在の街だということかなあ。アングラな一面とコンテンポラリーな一面が抱き合わせで存在し、よーするに消費社会からはみだした文化の溜まり場だったような気がする。
それが歌舞伎町的教養なのかどうかはわからないが、歌舞伎町の忸怩と矜持みたいなのは、あったね。いまも、少し、感じることがあるけど。感じさせてくれる人は少なくなった。いまでは顔馴染みというと、つるかめ食堂歌舞伎町店ぐらいか。フロイデの閉店は痛かった。
とにかく、歌舞伎町的教養があるなら、銀座的教養もあるだろう、上野的教養もあるだろう、「谷根千的教養」なんてとてもイメージがわきやすい。池袋的教養は、どうだ。大宮的教養と浦和的教養、ちがいがありそうだ。
歌舞伎町的教養のイメージがわかないので、あちこちの町的教養を思い浮かべ考え比較してみるのだが、いまいちはっきりしない。
「歌舞伎町的教養が、その卑俗性から超脱する瞬間」を佐藤重臣の「鈍器のセレナーデ」で確かめたくても、この小説のありかもわからない。
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