2:6:2
トシのせいもあるのだろう、酒飲みながらの話は忘れることが多い。いま、トツゼン思い出したことがあるから、備忘のために書いておく。
比較的最近のことだが、どこで誰と飲んでいたときの話か忘れた。とにかく、相手は一人ではない。
何かの話から、おれの隣にいた、たしかどこかの会社の男性(誰だったかなあ)が、「262ですね」と言った。ひさしぶりに聞いた「262」。
まだ「262の法則」は通用しているのだ。いや、ますます、か。
ネットで検索したら、いろいろ解説があった。
Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 日本語表現辞典 > 262の法則の意味・解説には、
どのような組織でも、2割の人間が優秀な働きをし、6割の人間が普通の働きをし、2割の人間がよくない働きをするという法則(経験則)を意味する語。ビジネス書などで引用されることが多い。起源は諸説あるが、松下幸之助が提唱したともいわれている。人間だけでなく、アリやハチの社会でも同様の現象が確認されるといわれることもある。類似の法則に「パレートの法則(2-8の法則)」がある。
http://www.weblio.jp/content/262%E3%81%AE%E6%B3%95%E5%89%87
ま、そういう感じなのだが、モンダイは、対処法なのだ。
いまはしらないが、かつて、この話と一緒に話されることがあった。
下の2割を切れば、上の2割と6割で全体がよくなる、かというと、そうではなく、やはり下の2割ができてしまう。だから、下の2割をカットしても、堂々めぐり。このあいだも、このことが話題になった。
だいたい2:6:2は、たいがい一つか一つの視点にもとづく評価基準であって、多角的な評価ではない。ということが根本問題としてある。
でも、たいがいは、とにかく優秀な働きをクローズアップして、モデル化すれば、全体がよくなるということできちゃっている。
しかし、いまや、ビジネスモデルは通用しないといわれる状態になってしまった。
かといって、多角的な評価というのは、複雑で難しい。とくに日本のように上下関係の文化が根強いところでは、難しい。
さらに、6割のスタンダードな文化については、「上」ばかり見ていることもあって、ほとんど関心がなく、どちらかというと他者を批評したり評価する立場の人たちは「普通」を見下しがちだ。「普通」ではイケナイが支配的だ。
国のレベルでもスタンダードがある国とない国の差が大きくなっているけど、スタンダードがないと複雑な状況下では迷走しやすい。土台がない家というのはありえないが、土台がない国家や都市というのはありうる。
スタンダードをしっかりさせることが、優秀な2割が活躍するためにも必要だし、スタンダードをしっかりさせることによって、「下」の2割の脱落を少なくすることができる。あるいは「下」の2割を制御できる。という考えもあったはずなのだが、とにかく、日本は「人並み以上」の「上へ上へ」の「頂点」コンセプトで来ているから、どうなんでしょうねえ。
ときどき、新聞などで、どこかの町工場の技術は世界でここだけの優秀なもので、世界中から注文が来るといった話がクローズアップされるけど、年商10億に満たない規模で、日本国内では、それと連動するスタンダードがない。ようするに他所の国のスタンダードのために、日本の優秀な技術が利用されている。
こういう話ばかりをクローズアップするしか仕方ないほど、ダメダメな状況なのかもしれないけど、いずれにせよ、スタンダードの構築って、地味な積み重ねが必要なんだよな。2割ばかりをクローズアップしていて、あとはついてこい、オチコボレは自己責任、じゃ、うまくいかない。いまそういう崩壊が目の前で進んでいる。
売れ筋だけでは店が成り立たないように、優秀な人間だけでは社会は成り立たない、という単純な話が通りにくい。
おれは、「近代日本食のスタンダードとは何か?」をテーマにしているわけだけど、ま、これは2:6:2の6の食とは関係あるとは思うけど、あまり展望はないね。つまり、優秀なスゴイ話であふれている日本は、展望がない。ということか?
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