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2017/09/14

座標軸のモンダイと「三点批評」。

このばあいの「座標軸」は、ものの考え方や見方の座標軸のことなのだが。

ちかごろは、事実を積み重ねることなどドーデモよく、自分の好きなよう都合のよいように「事実」を選んだり解釈したり捻じ曲げたりするのが流行現象のようになっている。

これはいったいどうしたことだ、テレビや出版物などでの飲食の分野では、そんなことは昔からアタリマエだったが、その病が全身に広がったのか。

このあいだ、ベテランの編集者からメールがあった。かれは、編集の仕事で、ある大衆的な食べ物の歴史を調べていたのだが、あまりにもヒドイ状態、「恣意的に書いている文章がずいぶん目につきました」「典拠がほとんどあげられてなく、しかしそれを既成事実のように書かれたものが多くあって、結構テキトーな気がしました。これらの情報が上書きされているケースが、とても多いみたいですね」「食についての調査や評論というものが、ずいぶん偏っていることが、今回図書館などで調べ物をしてわかりました」ということだった。

かれは、業界では知られた編集者だけど、食べ物の編集は始めてだそうで、そのひどさにおどろいた様子だった。

だけど、しかーし、おおざっぱに「飲食本」の世界では、そんなことはアタリマエなのだ。

だいたい、かれはテーマについてライターと同じように自ら調べる編集者だけど、「飲食本」の世界ではライターにまかせっぱなしで、そんなことはしない。

あがってきた文章をチェックし編集するだけだ。文章や誌面の編集であって、事象や事物の編集ではない。あらかじめ意図したようにあがればよいのだ。その「あらかじめ意図した」ところがクセモノなのだが、それが、フツウだと思っている。これはテレビになると、もっとヒドイことになる。

そういうわけで、原典に即した事実はもちろん、典拠なんざ、ドーデモよい状態がフツウ。

このモンダイは根が深いようだ。

「食についての調査や評論というものが、ずいぶん偏っている」のは、編集者やライターのあいだで、座標や座標軸が確立していないどころか、確立する気もないからだろう。これは、読者も、そのようなことを求めていない反映かもしれない。ようするに、いま飲食本は売りやすいから企画が通りやすいという状態が続いている。そのへんは、よしあしはとにかく、学会なるものがある分野とは、かなりちがう。

この状態をふりかえってみると、飲食本にもいろいろあって、座標軸が著者の内側にあるものが多く、このばあいは当然、書かれたものは恣意的なものになりやすい。そして、その恣意的なものに共感したがる読者も多いということだろう。「エッセイ」といわれるものは、大部分そうだ。いまや、あらかじめ「共感点」を選んで企画されている傾向もある。

恣意的に事実を選んで、カワイイ観念で文化の香りがする包装をすると、共感が集まる。というかんじかな。「エッセイ」のほんらいの意味はちがうはずだが、そんなことも問題にならない。

座標軸が著者の外にあるか、著者が座標軸を外に求めて書いているものは、それなりに事実を積み重ねようとした痕跡がある。こういうものは少ないし、つまり、売れにくい。

「日本人は」、というイヤラシイ言い方をすると、座標軸を自分の外ではなく内に求めやすい。これは、キリストやアラーなどが存在しなかったことに関係すると、神学を専攻したやつが言っていたが。「私が太陽よ」というかんじで、恐れるものも畏れるものもなし、いまどきの「日本スゴイ」などもそのようで、まったくクールじゃないね。

それはそうと、せめて、少しでも、このゴミクズの山からマシな方へ向かう方法はないものか。以前の「書評のメルマガ連載「食の本つまみぐい」」を見ながら考えた。

やはり『私の食物誌』吉田健一が、モンダイだろう。これが長いあいだ売れているのだし。これが好まれる「事情」こそ考えられてよい。この本は、文学的にはともかく、食文化的には、いろいろ問題が多い。

結論は急がずに、ひとまず『私の食物誌』吉田健一を座標軸にして、池田弥三郎の『私の食物誌』や、獅子文六の『食味歳時記』を置いてみるか。池田弥三郎の『私の食物誌』と獅子文六の『食味歳時記』は近すぎるかんじがしないこともないが、とにかく、そのことによって、文学的表現にまどわされることなく、吉田健一の『私の食物誌』が見えてくるだろう。

というわけで、これを「三点批評」と名付けてみた。山で迷子になったとき、星や目立つものを利用して行う三点観測の方法だ。ゴミの山の迷路から抜け出すにはよい。

ザ大衆食「書評のメルマガ連載「食の本つまみぐい」」…クリック地獄

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