理解フノートーク第二弾「フリーライターってなんだ」。
昨夜のさばのゆ@経堂での理解フノートークは、なかなかおもしろかった。というのも、ずいぶんバラバラないろんな人たちが参加してくれたからだとおもう。
いつもの野暮は少なめだったが、初めてのナニモノかわからない方、それから、とくに、まったく期待していなかった国際詐欺師一味に、ここ一年ほどは会ってなかったやどやゲストハウスの女将とボランティアの方など。
別の見方をすれば、以前からずーっとそうなんだけど、出版関係はゼロで、おれがいかに出版関係に縁がなく期待されていないか、よく見えるしだいだった。
というなかで、「フリーライターってなんだ」で弾けた。
じつは、トークの最中に、いつもと調子がちがうなと思った、お相手の恩田えりちゃんは、あとでメールをいただいたところによると「絶不調」だったそうで、にもかかわらず、いつもと調子はちがっても、なにしろ日本落語協会のお囃子で、トークの場馴れは十分の方だから、うまくリードしていただいた。
最初に、なんで「フリーライターってなんだ」というテーマになったのかとえりちゃんに聞かれ、そのイキサツをすっかり忘れていたおれは、それはえりちゃんとさばのゆ亭主の須田さんが決めたんじゃないのと答えたのだが、須田さんが「エンテツさんが言いだしたことだ」とスマホにメモされている証拠を読みあげたのだった。
ようするに、これまで、4回だか5回やってきたトークは昔話が多かったから、いまの話をしよう、ということで、目下のおれの「職業」? 四月と十月文庫『理解フノー』にある「フリーライター」をネタにするのはどうかという案を出したのは、おれだったのだ。
いまどきは、メールのやりとりがちゃんとスマホに残っている。なのに、どうして、国家の予算執行についてのやりとりは記録に残っていないのか。
そうして、おれが、1997年頃から使い始めた肩書の「フリーライター」の仕事の話になった。
おれは1995年に『大衆食堂の研究』で出版デビューしたときは、まだ「プランナー」の肩書だった。えりちゃんは、なぜ本一冊の文章を書けたのか、というあたりから突っ込んできた。
それで、「プランナー」稼業の話をした。おれの場合は、いわゆる「調査」から入っているし、それが基本だった。かっこつけて「リサーチャー」とか、いまでは、いろいろな呼び方がされているが、その仕事では「文章を書く」ということが付きまとう、それがどう行われていたかという話をした。
この仕事は、じつは、会場にいた国際詐欺師一味の現在の仕事であるのだけど、対象とする分野が異なる。彼らは海外が主な舞台だ。おれの場合は、海外でもいくつかやっているが、国内の食品メーカーや流通業や飲食業あたりが多かった。
あとで、国際詐欺師一味に聞いたところによると、おれが話した70年代から90年代ぐらいまでのことは、いまでもほぼ同じような作業をしているらしい。コンピューター処理が多くなっても、企画や分析・報告などは、けっきょく人間様が頭を使って書くことになる。かりにAIが発達しても、その部分は、絞られるかもしれないが残るだろう。
とかく、コンピュータやAIと人間の仕事が対立的に語られるが、仕事の「次元」が変化するだけで、相互の関係は続くのだ。
といった動きがあるのに、出版業界って、なんて前近代的なんだろう、ということを、おれが知るナマナマしい事例をあげながら話した。
えりちゃんは、「それは、セツナイことですね」というような言い方をしていたが、ま、そういうしか仕方のない状況はあるわけで、落語の世界だって、前近代性を抱えながらやっているけど、出版とちがうのは、とかく「文章」や「文学」は、その媒体や版元によって権威や権力の方に位置しやすいが、落語の場合は寄席が典型だが、種々雑多な大衆と直接呼吸しあいながら芸を磨いている。そこは「文芸業界」とは、けっこうちがいそうだ、ということを「発見」しながら話していた。
日本の出版業界のヒエラルキーというのは、社会を基盤にしていない、業界に依拠しているのだ。そこが、かなり特殊だ。
資本主義社会とのあいだに、出版業界という業界があって、そこに依存しながら成り立つ特殊なヒエラルキーがある。
ま、ほかの業界でも似たような「型」はあるのだが、出版業界ほど求心力は強くなく、はみだして生きているものはけっこういる。飲食店などには多いし、国際詐欺師一味も、やどやゲストハウスも、業界には依拠していない。
そういう分野が、まだまだ広がっていきそうでたのしみだなあ~、と思いながら、「途中でやめる」の話も混ぜたりした。
「フリーランス」「自営」といっても、さまざまだ。業界に依拠してしまったら、会社に籍を置いているのと、たいしてちがいはない。本人の「意識」のなかではちがっているようだが、それは「気分」の問題にすぎない。
とかとか、自分のフリーライター遍歴や仕事のスタンスなどにもふれながら、あれこれ考える。自分で口にしてみると気づくこと、またあれこれ考えられるおもしろさが、トークをするほうにもある。
そして、「途中でやめる」の話をしているときに、じゃこれでやめにしようと、まいどのことながら、なんの結論もないまま終わったのであった。
終わって、その場で飲んでのち、近所の「らかん茶屋」という居酒屋で2次会となった。10人ほどが参加し、さらにババさんが2次会から参加してくださった。
23時ごろ、国際詐欺師たちと店を出て、経堂駅で、それぞれ違う電車に乗って帰った。東京を往復するだけでも疲れるのに、酒も飲んで、ヨレヨレ帰宅だった。今日は、どっしり疲れが残った。28日で74歳になったのだからなあ。そうそう、誕生祝いも頂戴したのだった。
そのうち、国際詐欺師一味とトークをできたら、おもしろい。日本や業界を視野においているうちは、まだまだ、せいぜい2次元世界のことで、3次元にすらなっていない。4次元、5次元にとんでいかなくてはなあ。キチガイあつかいにされるだろうけど。
文章を書いて食っている人は、いろいろな世界にいるわけで。
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