分断と財政と信頼。「ギリギリ中間層」と善意。
たばこ総合研究センター(TASC)発行の「TASC MONTHLY」は、毎号タイムリーな寄稿が載っていておもしろいのだが、最新10月号は、とくに刺激的だった。
というのも、メインの二つのうち、TASCサロンが井出英策「寛容な社会の条件とは?」で、特別寄稿が速水健朗「オーガニックフードは政治選択なのか、または嗜好品なのか」であり、どちらも、いまどきの「分断」と深く関係しているからだ。
なにしろ、きのう公示された第48回衆院選をめぐって、対立と分断の露呈が激しい。
井出英策さんは慶応大学経済学部教授だ。学者さんらしく、分断の状況について根拠をあげ検討を加え、とかくゴチャゴチャになりやすい経済と政治を区別しながら明らかにする。最後は、「社会的対立の根っこにある既得権をなくすという提案」として「既得権のない財政をつくる」を述べている。
これは、おれのような財政に疎いものにとっては、目からウロコだった。
井出さんの話は「小田原ジャンパー問題」から始まる。小田原市の職員が「保護なめんな」「不正受給は人間のクズ」と英語で書かれたジャンパーを着て、生活保護者宅を10年にわたって訪問し続けていたということで問題になった事件のことだ。
井出さんは小田原市に住んでいたことから、この問題を検討する会議の座長を引き受け、その調査結果に衝撃を受けた。つまり、市職員の行動を批判するものは55%にすぎず、支持する声が45%に達していたからだ。
そこを探ると、「「既得権のない弱者」の「既得権を持つ弱者」への妬みと憎悪」が浮かびあがる。
さらに、その背景を探ると、興味深い事実が見えてきた。「平成28年の『国民生活に関する世論調査(内閣府)』に「自分の生活水準(上・中・下)」を尋ねたものがある」「自分が「下」に属すると回答した人の割合はわずか4.8%であり、92.1%が「中」と回答している」
「平成27年の『国民生活基礎調査(厚生労働省)』によると日本の相対的貧困率は15.6%である。あるいは世帯収入が300万円以下の人たちは全体の3割に達しており、400万円以下であれば5割に達している。それにもかかわらず自分が低所得層だと感じる人たちはわずか4.8%しかいない」
「この差は何を意味しているのか。それは低所得層なみの生活水準に置かれていながら、自分はギリギリ中間層で踏みとどまっていると信じたい人びとが大勢いるということだ」
ってことで、「このような人たちの心理に光をあてるとある可能性に気づかされる」「要するに、強者が弱者を叩くというのではなく、生活苦に耐えている人たち、あえていえば弱者がさらに弱いものたちを嫉妬し、怒りをぶつけるという状況が生まれているのである。小田原ジャンパー問題をつうじて、私はこの悲しい現実を学ぶこととなった」
強者が弱者を叩いたり、弱者と弱者の対立を煽ることもしていると思うが。それはともかく。
「他者への寛容さをなくしつつある社会。これは憶測ではない。統計的にも裏づけることができる」と「引き裂かれた社会」について、とにかく、井出さんは一つ一つ事実を積み上げる。データを駆使し緻密だ。
たどりついたのは「税の難しい社会の根底には低信頼社会という問題がある。人間を信頼できない社会は、当然のことながら、社会的弱者のことも信頼しないだろう」
「「袋だたきと犯人探しの政治」は、社会的信頼度を低下させるような手法が政治的支持と結びつく、いわば社会の分断を加速させる「不幸な婚姻」にほかならなかった」
「袋だたきと犯人探しの政治」というのは、いろいろな解釈が成り立ちそうだから、慎重に考えたい。。
ついでだが、おれは、放射能汚染をめぐる食品などの風評被害の問題も、放射線の数値に対する無理解もあるだろうが、より「低信頼社会」の問題だと思っている。
資本主義と市場経済の広がりによって、「「生活の場」と「生産の場」が分離し」「共同行為の領域が小さくなった社会は、病気やけがをすれば、生活の危機が即座にやってくる不安定な社会でもある。だからこそ人間は、「生活の場」と「生産の場」をこえた新しい場、人間の生活を「保障する場」をつくりだした。それが「財政」だ」
というぐあいに「財政」が出てきて、おどろいて目が醒めた。いつのまにか、そういうふうに「財政」を考えなくなっている自分に気がついた。
財政といえば、今日の毎日新聞のWEBサイト「記者の目」にも、ヘンな記事があった。消費税の「選挙争点化、もうやめよう」というのだ。
「増税はできれば避けたい選択だ。国民に負担を求める前に税金の無駄遣いをやめ、歳出を徹底的に見直す必要がある。しかし社会保障制度を維持するには、一定の負担が避けられないのも確かだ。国と地方の借金は国内総生産(GDP)の2倍近くに達し、先進国で最悪だ。増税凍結、使途変更のどちらの主張も借金を減らすことにはつながらず、将来不安は消えない」
https://mainichi.jp/senkyo/articles/20171011/ddm/005/070/008000c
これが、新聞社の「中立的」「客観的」ということなのかも知れないが、言葉をろうしているだけで、何も語っていない。こういうゲンロンが多いね。こういう記事などで、いつのまにか財政に対する見方が歪むということもあるだろう。
もっと税制と受益サービスの関係を議論すべきではないのか。税は消費税だけではない。
井出さんは、「既得権のない財政をつくる」を提案している。それは信頼しあえる社会のためだ。
「私たちは弱者救済を正義として語りがちだ。だが、人間は正義のために助け合うのではない。そうではなく、生存や生活の共通のニーズをみたすために人間は助け合ってきた。だからこそ、社会の共同行為である財政を基点として、痛みと喜びを分かち合い、「頼り合える社会」を作りあげ、「私たち」を再生することが不可欠なのだ。残された時間はけっして多くない」
最後の「残された時間はけっして多くない」が気になるところだが、いまの分断状況はけっこう危険なところまできているということだろう。
「正義」や「正しさ」をうさんくさく感じ、普通の生存や生活それに労働を大事に考えているおれとしては、ここのところは激しく同意。
その頼り合える財政について引用していると長くなるので、図説を載せておこう。これは「同率課税、同額分配」とでもいうのだろうか?考えてみたこともなかった。
速水健朗「オーガニックフードは政治選択なのか、または嗜好品なのか」は、とくに東日本大震災以後の「分断」を、これまでの著作『フード左翼とフード右翼』『ラーメンと愛国』をもとにまとめ直し、ますます生活スタイルや嗜好の分断から政治思想の違いが顕在化していくだろうと述べている。
このことについては、またあらためて。
近頃の飲食や食べ物などをテーマにした著作には、こういう顕在化を感じている。それぞれの著者は「正しい」ことを書いているつもりなのだろうが、そうであればますますコワイことだ。
それは今日に始まったことではないのだが。混ざり合うことのない分断が深まっている感じだ。単なる趣味や好みの違いだと思っていることが、じつは、政治思想的であることが少なくない。
そういう意味では、こんにちの分断は、井出さんの「財政案」だけでは、いけないのだろう。「私たち」の再生、「信頼社会」のためには、多角的な検討と関心と取り組みが必要なのだ。ま、もっと猥雑に、大衆食堂的に、ってことになるか。
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