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2017/10/15

情熱が足りない。のか。

世間が選挙で騒いでいるおかげでか、神戸製鋼の検査データ改ざん問題の泥沼状態は、あまり注目されていないようだが、とんでもない泥沼だ。

コレ、日本の大手メーカーがやっていることだなんて信じられないおもいで、すっかり忘れていた東芝粉飾問題を思い出した。

先日このブログで「ポスト・トゥルース」でふれた、「事実を軽視する社会」の実態なのだな。

東芝問題、今年の春でも、「社員19万人の巨大企業はなぜこんなことになったのか」と話題になっていたのに。もう忘れていた、こんどは、神戸製鋼だ。こういう大手名門が次々とやらかしていることが、改ざんなのだ。

最近は、経済指標になる政府データの一部にも改ざんの疑いがあると指摘するニュースもある。

「事実を軽視する社会」は、少しずつやってきて、少しずつになれていくうちに、少しずつが少しずつのさばり、大きく常軌を逸する。それでも、「事実を軽視する社会」では、そんなに大きく常軌を逸しているとはおもわれない、そしてさらに…ということでコンニチになっている。

思い出せば、原発がらみのデータ改ざんもあった。国会議員の政務調査費やら、そうそう、カラ領収書で帳簿をデッチあげたりもあった。

こういうことには「寛容」で、たいしたことではない、みんなやっている、ぐらいの気持もあったのではないか。

身の回りの小さなことから事実を軽視する。そのゆきついたところが、東芝問題、神戸製鋼問題、これは発覚露出したことだけにすぎないのだろうが。

ツイッターに、こんなツイートがあった。

「東芝、神戸製鋼とかいう企業がこれを実践した結果…」というコメントがついて、どこかの社内のポスターの写真が一枚。

できない病にかかってない?
「○○だからできないではなくて」

ヒト 人がいないからできない
モノ 設備や商品がないからできない
カネ 予算がないからできない
ジカン 時間がないからできない
        ↓
「どうすればできるのか?」知恵を出すのがあなたの仕事!

これを見て、バブル崩壊のころからの「ポジティブシンキング」の流行を思い出した。

批判や不平不満は、すべて「ネガティブ」との烙印を押され、事実関係の検討もせずに、「ポジティブにやろう」とワッショイワッショイ。そのうちに、「おかしい」と思ったことも口に出しにくくなる。つらくても泣き言もいえない。

そうそう、東芝や神戸製鋼だけではない、電通やNHKの社員の過労死問題、こういうことが、大きな会社でおきている。大きな会社だから話題になるが、それだって、忘れられるのを待つように、ムニャムニャに流される。

きのうパラパラ見ていた日本有数の企業が発行する冊子に、高名な作家が、こんなことを書いていた。「情熱をもって事に当たれば、人を動かし、現実を動かすことができる」「どのような状況でもこちらに情熱があることを示せば人を動かせる」

こういうことをふりまくメディアやモノカキが少なくない。まったくもって無責任だ。こういう言葉に苦しめられている人たちを想像する力もないのだろう。

「情熱」は、たとえば「根性」「勇気」「愛情」「誠意」など、いろいろ置き換え可能だし、変わりうる。このような語りの形式と言葉を用いるようになったら、「事実を軽視する社会」の体制の加担者といえる。一方に、こんな話をよろこぶ人たちも少なくない。そこに「いい仕事」が成り立つ面もあるようだ。

なんでも「自己責任」にされる社会は「事実を軽視する社会」であり、「精神」や「気持」や「姿勢」などで片づけようとする。そういうことになれてしまいたくないね。事実を大切にする社会へ、情熱を燃やそう。

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