ポスト・トゥルース。
「ポスト・トゥルース」という言葉を近頃よく目にする。
WEB版知恵蔵では、「世論形成において、客観的な事実より、虚偽であっても個人の感情に訴えるものの方が強い影響力を持つ状況。事実を軽視する社会。直訳すると「脱・真実」。英国・オックスフォード英語辞典が「2016 Word Of The Year(2016年を象徴する言葉)」として選んでいる」と解説している。
https://kotobank.jp/word/%E3%83%9D%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%B9-1748296
いま真っ盛りの第48回衆院選でも、ポスト・トゥルースがはびこっている状況が俯瞰できる。
事実を積み上げることを軽視する社会は、1980年代から、その色合いを強くしてきたが、近頃は、「ポスト・トゥルース」というより「アンチ・トゥルース」という感じのほうが強い。事実を積み上げているだけで、「偏り」と見なされる事態もあるうえ、政治家はウソをつくものだとしても党首たるものがスグばれるウソを堂々と口にしデータの捏造すらする。
なにより、メディアまわりで食っている知識人たちやゲンロン人とかジャーナリストとかの言動を見ていると、もはやイタマシイ限りだ。
いつごろからか、とくに大阪の橋下維新が登場したころからだろうか、それに原発事故がらみのあれこれ、勘定と感情が入り混じった迷いが多くなりやすい情勢が続いていたが、小池希望ができ民進が合流する流れから民進が分解し立憲民主党なるものが生まれたりで、迷う人には迷いの要素が増えるばかりだ。
この先の改憲の国民投票の可能性を考えれば、迷える人たちの迷いは、まだまだ続く。
メディア業界に根っこはあっても、そこで生きていくしかない、社会に根っこをもたないインテリな人たちは、ほんとイタマシイとしかいいようのない様子を、ツイッターあたりにも晒している。
こんなときこそ、事実を積み重ねることに立ちかえるべきなのだろうが、長年どっぷりメディア業界人になってしまっていると、それもできにくいのだろう。チヤホヤされているうちに、すっかり選民気取りの方々もいる。選民気取りが、事実を疎んじる。
ツイッターなんてものが、それに拍車をかける。そんなにセカセカ言わずもがなのことを言う必要はないのに、ジッとしていられないのだろう。
感情のおもむくままに「RT」や「いいね」などをしているだけで、いつのまにかハマっている人たちが見える。この人がねえ、と、イタマシイ。
知識はたっぷり持っていても、勘定的にも感情的に迷いの多い情勢をうまく切り抜ける方法を知っているわけではない。むしろ、本人としては、勘定的にも感情的にもうまくやっているつもりなのが、ポスト・トゥルースに結びつく。
「嫌い」「憎い」「反発」「反感」、そういう感情が、ますます人の内と外を支配する。
「メディアリテラシー」なんていう、方法も不確かな、できもしない言葉を覚えるより、「嫌い」「憎い」「反発」などの自分の感情をなんとかすることではないかな。もちろん「好き」や「可愛い」や「甘え」も含めて。
あと、「一周遅れ」と揶揄されてもいい、自分のペースを崩さないことかな。いまみたいな情勢下では、先進の選民に混じろうとするより、一周遅れ二周遅れで選民たちが急いで捨てていくゴミの山から貴重なことを拾ったほうがよいのかもしれない。パソコンの廃品回収業者のように。
はい、おれはゴミ拾いの仕事をしています。
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