料理には時間をかけない。
少し前だが、10日間ほど毎日通院していた。医院の待合室には、うちにはないテレビがつけっぱなしになっている。
ある日、85歳でチアリーダーをやっているおばさんが登場した。近ごろ本を出したり、マスコミで騒がれている人らしい。85歳でチアリーダーというのもネタにしやすいが、その人のこれまでの人生もドラマチックで、ネタ満載の人だ。
カメラが彼女の生活を追いかけるなかに、自分で料理をし食べながら食生活について語る場面があった。
彼女がよく作るのはチャーハンで、料理にかける時間は10分ぐらい。あまり時間はかけたくないという。ほかに楽しいことはいくらでもあるから、と。チャーハンには、いろいろなものをまぜて、それで、いろいろ食べていることにしているようだ。
カメラの前で、チャーハンの材料をきざみ、「手抜き~、足抜き~」などと鼻歌うたいながら作るのだが、けっこう楽しそうだ。
食事の時間も決めてないようで、テーブルの上にセンベイなどの菓子が器に積んであって、それをテキトウに食べる。コーラが好きで、せんべいを食べながらコーラを飲む。冷蔵庫には、コーラとアサヒスーパードライのレギュラー缶が、たっぷり入っていた。
健康のヒケツをきかれると、とくに気をつけていることはない、とにかく楽しくすごすだけと答える。
この番組を見ながら、食の楽しみや悦びは、人それぞれの人生の楽しみ方によるはずだが、そういう視点からの飲食や料理へのアプローチが少なすぎるなと思った。
時間をかけて、いいものを食するほど、いい料理やいい食事であり、そこにいい人生があるかのような観念が、押しつけがましく抑圧的に喧伝される。「手抜き」は「悪」に分類される。
彼女は、亭主関白のもとで、そういう抑圧をガマンしてすごし、ついにガマン仕切れず50歳をすぎてから家を飛び出したのだから、そういうことに敏感なのかもしれない。
一方、テレビなどメディア側は抑圧的であることに鈍感になっているのではないか。たえず優等生な金言を求め流布しようとする。それは、おれのようにメディア周辺で飲食などをテーマにして仕事をしている人間の問題でもあるだろう。
彼女は、料理のことも健康のことも、テレビ側が期待する「優等生な答え」を察知していて、あえてはずしている感じもあったが、料理にあまり時間はかけたくないという気持はよくわかるほど、いろいろ楽しく過ごしているようだし、ようするに、料理や食事の楽しみは、かける時間や金で決まるのではないというのは当然ではないか。
だとしたら、10人10色のそこを、もっと見なくてはならない。が、出版のばあいだが、それでは稼げない。よって、改善はされない。人間だもの、どこかしら手抜きをしたり手は抜かなくても思考に限界があるのは当然でダメなところがあっても、「私は完璧だ」という抑圧顔を押し通す。難儀なことだ。
「抑圧顔」より「解放顔」を。
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