埼玉県立近代美術館(埼玉近美)の「ソカロ」が面白い。
先日、北浦和は埼玉近美の「ディエゴ・リベラの時代」で興奮したとき、発券カウンターで当館編集発行のフリーペーパー「ソカロ」の最新号をもらった。これが心憎いほどよくできている。
開館35周年記念号であり、A3見開きで「総力特集!【学芸員 開放計画】」を組んでいるのだけど、タダではもったいないほど、面白い。
「埼玉県立近代美術館では現在、多様な専門、経歴、世代の学芸員が活躍しています。35周年にあたり、当館学芸員の皆さんに、埼玉県立近代美術館の特色やこれからについて語ってもらいました」と。
「1、歴代館長について」は、開館から三代の館長と仕事をしてきた、主席学芸主幹が語る。
「2、美術館につとめてみたら」は、約25年間学芸員を務めてきたチームリーダー2人の対談。
「3、美術館につとめてみたら」は、2000年に入ってから当館に勤め始めた3人の若い学芸員の座談。
という構成。
「この美術館の基本路線を作った」初代。「「なぜ美術館が必要なのか」ということを考えた」二代目、そして現在の三代目館長は「これからの埼玉県立近代美術館」を。これを読んで、埼玉近美で見た、これまでの展示や埼玉近美が発するオーラをふりかえり、なるほどね、と思う。
それは、学芸員の話で、さらに補強される。
もともと美術館の学芸員がどんな仕事をしているのか知らないのだが、いつも近美の展示を見ては、うまい企画だなあと思っていた。
そのうまさのヒミツが、この「ソカロ」に、そっくりあらわれている感じがした。自由でのびのびとした誌面づくりや語りは、近美の展示そのものだ。
近美の展示には、いいできの雑誌を見るような、親しみやすい楽しさと充実がある。テーマと構成がしっかりしていて、雑誌でいえばコラムやカットに相当するようなものまで、考え抜かれた展示なのだ。それも、「ソカロ」の誌面にもあらわれている。欄外まで小さな読ませるネタで埋めつくし、楽しい、開放的。
「県立」という堅苦しさがない。そのなぜかは、「2、美術館につとめてみたら」の対談で納得した。
梅「埼玉県立ですが、インディーズっていう感じがありますね。手づくり感という意味で。それほど巨大じゃない美術館で、自主企画重視なので、自分たちで作っているという感覚ですね」
平「インディーズと同時に、例えば上野や六本木の美術館のオルタナティブとして埼玉があるのかもしれないですね」
梅「資本的にもエリア的にも東京中心に王道があるとしたら、それに対する批評精神、対抗精神、そういうのに負けないぞという「意志と意地」、インディーズの精神が流れています。こっちのほうが面白いだろ、みたいな。そういう感じはどこかにあるかもしれないですね」
あるある、いいぞいいぞ、とおれは思う。
これ、埼玉近美だけのことじゃないぞ、こういう埼玉、いいじゃないかと思う。
おれが、『dancyu』7月号酒場特集で、埼玉近美から近い北浦和の「居酒屋ちどり」を書いたとき、「インディーズ文化がうごめく北浦和の街」を囲みで紹介している。居酒屋ちどりや古本喫茶酒場の狸穴や、北浦和の音楽イベントなどで、「街にうごめく自由と自主のインディーズ文化の呼吸を感じる」と。
その呼吸は、埼玉近美で感じる呼吸でもあったのだ。
埼玉近美に期待がふくらむ。埼玉に「希望」というのがあるとしたら、これだろう。
ところで、「ソカロ」ってのは、「ZOCALO]というメキシコの都市の広場を意味するスペイン語だそうだ。
インディーズの精神とオルタナティブとしての埼玉。埼玉近美は、その広場をめざしているのだね。
もちろん、埼玉には、こういう広場のような、いい酒場もあるし、もっと増えるといいねえ。そういう広場のような人間をめざそう。おれはもうジジイだが。
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