もっと普通に自然に飲食を語りあえないものか。
きのうの『欲望と消費』を読んで、ふりかえってみると、メディアでは、普通に自然に飲食を語り合う場が、少なすぎるように思う。
おおよそ1970年代までは、「主婦」あるいは「女」の「仕事」として語られるほかは、飲食を仕事にしている男たちや文士や文化人に属する人たちや好事な人たちの話が多かった。いまでも、この傾向は、続いている。
さらに、飲食は、1980年代からの消費主義の恰好のテーマになった。いわゆる「グルメ」の市場が広く細かく多様に形成され、飲食を娯楽や教養や知識や情報として消費する傾向も広まり、そこにチャンスをつくろうという人たちの欲望がうずまくところとなった。
世間に認められたり注目されたり売れる「チャンスをつくる」場として飲食の話題に、人びとは群がるようになったのだ。
これは、売れるチャンスをつくるのもジャーナリズムだというメディアの流れの反映でもあるが。
競争が激しいんだから仕方ないじゃないの、チャンスを普通や自然にまかせていては、「負け組」ですよ。チャンスはつくりだすもの。そういう「上昇志向」が席捲した。
気がつけば、普通に自然に飲食を語りあうということはどういうことかも、わからなくなった。
文章にしても、写真にしても。
でも、もっと普通に自然に飲食を語りあえないものかと思っている人たちもいる。
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