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2017/12/02

「四月と十月」大洋印刷感謝会。

昨日は、ひさしぶりに都内へ行った。

おれは同人ではないが、「理解フノー」という理解フノーな連載をしている、美術同人誌『四月と十月』の、毎年恒例の「大洋印刷感謝会」が、水道橋のアンチヘブリンガンであったからだ。

同人のみなさんと、おれのような連載執筆陣が20名ほど集まった。大洋印刷さんからは3名。

たいがいの人は、1年前の四月と十月文庫『理解フノー』の出版記念会以来だった。最新号から連載もふえたのだが、はじめて会う新しい執筆者の方もいた。

いつものようにたのしい会だった。「四月と十月」の人たちと話していると、刺激になる話しが多い。

先日、ミロコマチコさんからの展覧会の案内状に、「絵と向き合う日々です」とあって、彼女は国際的な売れっ子だから毎日忙しく絵を描いているんだろうなあと思ったが、よく考えたら、「絵と向き合う」って、「絵と向き合う」ことなのか「絵と向き合う」ことなのか、たぶん両方だと思うけど、おれの場合は、何と向き合っているのだろうか、いまや原稿用紙ではなくパソコンに向かって文章を作成しているし、「向き合う」の意味がそういう物理的なことではなく、文章と向き合うということや文章を書くということと向き合うということなら、おれは何と向き合っているのだろうか、文章の向こうにある現実やテーマと向き合っているのか、なんだなんだ何と向き合っているのだ、そのあたりは、ミロコさんのばあい、どう考えているのか聞いてみようと思っていた。

ところが、大洋印刷さんに感謝の乾杯をし、飲み食べ、ワサワサしゃべりだしたらすっかり忘れてしまった。

ワサワサの話のなかで、ずっと同じように絵を描いているだけなんだよね、それがたまたまいま気に入られただけで、もしかしたらそんなことにならなかったかもしれない、それはそれで仕方のないことじゃないかな、そのへんは自分から売れるような描き方をしようとか、売れるテーマをみつけようということではなく、ずっと同じように絵を描いている、そういうことを大事にしたいね、というようなことを近ごろメキメキ人気上昇のイラストを描いている同人の方が話して、まわりでもそうだよねえという話しをしていた。

それを聞きながら、それが「絵と向き合う」ことなのかなあとチラっと考えたりしたが、とにかくワサワサ話していたら、そのうち小梅さんの三味線とうたになった。これが素晴らしかった。彼女は、昭和のはじめに流行ったが忘れられた「新民謡」を発掘しているとかで、それを何曲かやってくれたのだ。

同人のみなさんは、『四月と十月』に毎号、制作中のものも含めさまざまな作品と文章を載せるのだが、困ったことに、この文章がよい。ライターの立場がなくなるぐらい。

ところが、話もうまい。みなさんおれよりはるかに若いのに、大洋印刷さんに感謝のことばを一人一人述べるときも、とてもうまくて、うまいなあと感心した。

気のきいたうまいことをしゃべろうということではなく、ごく自然に言葉が出ている。そのへんは絵と向かい合うことの延長なのかもしれない、すべてのものごとに対してそうなのかもしれない。

おれが考える「四月と十月」のよさは、徒党的や派閥的な集まりではないこと、仲間意識によりかかることもない。それは人間として当然のことだろうと思うが、個が自立していて、だれかを頼るような集まりではない。当然、業界の話がないのもいい。

それぞれ絵と向かい合っているのだ。きっと。

いつも自由でのびのびしている、小梅さんの三味線に合わせて踊り出した人たちもいたな。

大洋印刷さんも素晴らしい。250名の会社だから、商売は厳しいだろうと思うが、小部数なのにコストのかかる校正も出してくれて、製本までキチンと仕上げる。やはり美術作品の印刷ということもある。そのあたり、いろいろ話題になった。

『四月と十月』は、あと3号目が、40号になる。2019年の4月号。そのときはカラー印刷にするつもりで進むようだ。

みなさん若いし、まだまだたのしみがある。おれはとりあえず40号まで「理解フノー」の連載が続けられるよう、コツコツ生きよう。

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