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2018/01/31

今月4度目の高円寺と久しぶりのやどやワンコインディナーパーティー。

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昨日は一昨日に続いて高円寺で仕事だった。今月に入って4度目。1度は1人だったが、ほかはいつものメンバー4人と一緒。

昨年11月に打ち合わせがスタートして、12月ロケハン、今月は取材。明日が最後の取材だ。

これだけ集中して高円寺を歩きまわったのは初めてだ。ジェントリーフィケーション再開発の流れとは無縁できた高円寺は、いまでは都区内では珍しい「安くてうまい」街になっている。なかなか面白い。お店の人の話も面白かった。

17時ごろ終わって、皆とわかれ1人で気になっていた酒屋がやっている立ち飲みへ。立ち飲みだが座席あり。つまみは高円寺では普通の安さだが、酒はとくに安かった。

昨日は火曜日で、中野のやどやゲストハウスのワンコインディナーパーティーの日なので、まりりんに電話をしてみる。北国で会い一杯やってから参加することに。久しぶりだ。

北国のママは87歳になったそうだ。少し耳が遠くなったようだが、元気。まりりんに近況をききながら、燗酒を4本ほどあける。

19時過ぎやどやへ。すでにパーティーは始まっていた。今夜は、大阪は平野からの旅人がお好み焼きを作るのだ。いろいろ変化に富んだお好み焼きがどんどん出来上がる。それを片っ端から食べる。

ちょうどデンマークから着いたばかりのカップルがいた。一か月の休暇だそうだ。その女性の方が、せっせとプレートの上で焼いて切り分ける。日本での旅の第一歩がこれ。話がはずむ。

小麦粉を溶いてのばして焼く料理は各国にある。ようするに「お好み焼きもクレープね」。ピザ用のチーズとほかの食材をテキトウにまぜて焼いたのがうけていた。ただし必ず削り鰹節はかける。どれもうまい。

デンマークは多民族多言語の国だ。デンマーク語のほかに、スウエーデン語、ノルウエー語、ドイツ語、英語は普通だとか。ドイツ語は型が決まっているから覚えやすいとか。ほお~。

ボスから赤ワインをもらい、21時半ごろ退出。

ディナーパーティーをやるパブリックスペースも、「オレンジ」とよぶようにしたドミトリー専用のビルのパブリックスペースも、リニューアルを続けずいぶん充実し快適になった。映画会もできるようになりやっている。

行けば、あれこれ相談もあり、やることもできた。

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2018/01/30

前の続。「高い志」や「高い精神性」の立身出世欲。

前のエントリー、書き足りなかったこと。

バブルのときにあちこちで露呈した、「貧せざれば鈍す」つまり傲慢だが、「高い志」や「高い精神性」の内容が、実は単なる立身出世欲だったということだ。

だから、小権力や小権威や小金を持ったぐらいで、それで満足するわけではないが、いくらか「世に出た」「人の上に立った」と思い、傲慢になる。

権力や権威や金を持つと、自分の自由裁量権が増える。それ自体は、善悪のことではない。ただそれの「使い方」を知らない。権力や権威や金も道具みたいなものだから、使い方を誤れば、おかしなことになる。

その誤りの一つが、ひとやモノゴトを判断するのに、権力や権威や金を尺度として使い、人をあなどったり見下したりすることだ。

ある従業員100人ばかりの会社の社長は、自分の取引先の大会社の課長と自分を比較し、どちらが偉いか上かを気にしていた。

銀行がどんどん金を貸してくれるから、事業を拡張し社員をどんどん増やし、自己宣伝のためのPR誌を発行したり、文章は書くのが嫌いだからゴーストライターを使って「自著」の本を出したり。自分は高い志や高い精神性を持った経営者であることを絶えず誇示しようとした。そのようなことは大会社の課長にはできない。

おれはバブルのころはライター稼業ではなく、出版業界とは縁がなかったが、そのときのゴーストライター氏は、誰でも知っている有名な雑誌に書いているのを自慢にしていた。酒を飲むと、いまどの雑誌に何を書いているとか、そういう話ばかりだった。

それは、かれの権力であり権威であり金だったわけだが、その先がない。いや、ないわけじゃない、さらに延長線上の「上」があるだけで、「こころざし」だの「精神性」を強調するわりには、その内容が貧困だった。

そしてかれらは、肩で風を切り、どっちが「上」かを気にしているのだった。

バブルの崩壊前夜、金回りは急激に悪化していた。肩で風を切り鼻高々だった社長は、銀行の支店長室で土下座した。立場逆転。金を借りてくれとお願いにあがっていた支店長は、ふんぞりかえって、土下座の社長を見下していた。

あの社長も土下座したんだって、というウワサがいろいろ流れた。

そんな景色がたくさん見られた。

しかし、あいかわらず、「高い志」や「高い精神性」の立身出世欲は続いている。これで犠牲になるのは普通の人の普通の生活なのだ。普通に働き普通に暮らしていたいだけなのに、それが許されない。

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2018/01/28

貧せざれば鈍す。

『四月と十月』の次号(38号)の原稿の締め切り日を知らせるメールがきた。半年に一回のことなので、この知らせが届くと、はて今度は何を書くかなと考える。

前々回から「バブルの頃」というタイトルで、一回目は「錯覚」、二回目は「見栄」と続き、最後の三回目は「崩壊」の予定だ。

きのう書いたように、近ごろ身辺でバブルの話題が多いこともあって、80年代後半のバブルを思い出している。

何度か書いているが、日本を「バブル」と「バブル後」で見る見方があるけど、おれはそういう見方をしていないし、学者とかジャーナリストとか文筆家ようするに「オピニオン」や「識者」がするそういう話は用心して咀嚼する必要があると思っている。

80年ごろからの内需拡大政策と新自由主義と新保守主義が絡み合った潮流が基本にあって、それそのものがバブル経済を生んだわけではないけど、バブル経済でそれらに拍車がかかった。

いわゆる「バブル崩壊」で、いろいろなことが吹っ飛び、負を背負い、日本は自信をなくしたようにいわれたりしていても、内需拡大政策と新自由主義と新保守主義のあたりは元気で、なかなか鼻息もあらいのは、そういうわけなのだ。

その延長で、90年代後半には「ものづくり日本」なんていうことが盛んにいわれるようになって、ついには「ものづくり日本大賞」なるものもつくられた。

政府が金をばらまいている。そこにたかって「ものづくり日本」の旗をふって商売にしている賢い人(=あざとい人)たちも少なくない。これには「地方創生」も絡んでいる。

この根っこは、80年ごろからの「村おこし」「一村一品運動」あたりからで、いわゆる「ものづくり史観」ともいうべき幻想に支配されている。バブルのときには、「地方創生交付金」なるものもあった。そうそう「芸術文化でまちづくり」なんてのもいわれ、人口減のとまらない町に芸術文化会館ができたり、芸術家や文化的なオシゴトをする人たちがウジャウジャ湧きだした。

専門家のみなさんが指摘しているように、それらは「補助金消費事業」としてだけ存在し、補助金つまり税金がつかわれ、それが動いているあいだは維持されていた事業も自立までいたらず消滅するという例は「一村一品」以来無数にあって、無数にあっても反省も検討もされることはなく、「ものづくり日本」がまかり通っている。

食品の分野も、税金を投じては、生まれては消えがくりかえされている。

ま、政府が旗を振るほうへついていればまちがいないし、それに、一見すると、「ものづくり日本」は正しそうだ、ということで、空虚な「ものづくり日本」伝説は続いている。もうだいぶメッキがはがれ批判も増えているが。

なにを書こうと思ったか忘れそうだ。

「貧せざれば鈍す」ということだ。これは坂口安吾が言ったことらしい。

「貧すれば鈍す」という言葉は多くの人が知っているだろう。この言葉は、だいたい「鈍」を見下し軽蔑している。前提に、「貧」や「鈍」は「悪」という考えがある。エラそうなだけで、警句にもなっていない。

だけど、「貧せざれば鈍す」は、警句になっている。

これは、「金持ち」や「持てるもの」は「鈍す」ということになるか。

それでも「鈍」は「悪」のようで気にくわないが。「鋭敏」や「繊細」は、必ずしも「善」でも「正」でもないからね。

しかし、まあ、「貧せざれば鈍す」は、警句になっている。

前のバブルのときは、少しでも権力や権威や金を持った日本人はどうなるかということがよくあらわれていたが、この言葉がピッタリだ。ようするに「貧せざれば鈍す」は傲慢になるということだ。

とくに、会社の階級で言えば主任や係長クラスに相当する小権力や小権威や小金を持ったぐらいで傲慢になる姿は、「よッ、バブリー」と声をかけたいほど切なく醜悪だ。そんなことが、それより上のクラスの、さらに強力な「鈍」を支える。小ドン、中ドン、大ドンの階層構造。昨今のバブルでも見られる。

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2018/01/27

オリンピック後バブル後。

43歳の靴職人が「いまはバブルですよね、バブルだから終わりがありますよね」とおれに向かって言った。一緒に酒を飲んでいるときだ。

おれは「終わりはあるけど、バブルそのものが前とちがうから、終わり方もちがうだろうし、終わったあとも前のバブル崩壊後とはちがうだろうね」と言った。

そのあと、前のバブルと今のバブルのちがいなどを話したりしたのだが、かれは、仲間の左官職人のことを心配していた。

その左官職人は31歳で結婚していて幼子が2人いる。このバブルが終わっても、左官の仕事は大丈夫だろうかというのだ。

東日本大震災、20年のオリンピック、そしてバブルの震源である超低金利政策は再開発と住宅建設を誘発し、建設建築ラッシュで左官の仕事も大忙しだ。だけど、いまのバブル景気が終われば、個人住宅の建設を中心に需要は急激に落ち込む可能性がある。

マンションも含めて個人住宅の建設では、かなり無理なローンが蔓延している感じだ。若い人たちに無理なローンを組ませて、それで住宅建設の売り上げを確保しているからだ。ただでさえ低く抑えられている労働者の賃金が、このままで推移していけば、バブルが終わらなくても、新築の需要は壁にぶつかるのではないか。

と、左官にとってよくない材料があるのだが、しかし、年々労働力不足も深刻になっている。その需給バランスが、どうなるか。

飲食店経営をしている知人は、「東京オリンピック後」に備えた経営を、地域の同業者と追求している。いまの景気は、東京オリンピックまでだろうと見ているのだ。

かれらは2008年のリーマン・ショック後の飲食業の落ち込みと低迷をよく覚えている。あんな目にあうのはご免だから、こんどは、備えようというわけだ。

そこに不安材料が加わる。これまでいい顧客で消費を担ってきた「団塊の世代」などのボリュームゾーンが高齢化し、外飲み戦線から脱落し始めている。これは加速的に進みそうだ。そして、若い層からの補充は、あまり期待できない。

こうやって考えていくと、あまりよい展望が持てない。

ところが、展望がないわけじゃない。ないわけじゃないが、個人がやれることは限られる。組織とコミュニケーションと文脈の力になるか。

当ブログ関連
2017/11/10
バブルだねえ~。

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2018/01/25

「食べるたのしみ」「食事のたのしみ」「料理のたのしみ」。

牧野伊三夫さんの『かぼちゃを塩で煮る』(幻冬舎)の発行日は、一昨年2016年12月15日になっている。その頃、著者からいただいた。

もう一年以上過ぎているが、まだこのブログで紹介してなかった。

あまりにも内容が豊かすぎて、考えることが多く、考えているうちに紹介を忘れてしまった。

先日、下北沢のB&Bの「四月と十月文庫をおおいに語る」で牧野さんと顔を合わせたとき、この本のことが頭に浮かび、牧野さんに唐突に『かぼちゃを塩で煮る』のなかの「アメリカの弁当箱」、よかったです、おれとしては一番よかったです」というようなことを言った。

なにしろトークの準備でバタバタしているなかおれが突然口にしたことなので、牧野さんは「へえ」とか「ほう」という感じで、ほかのことをやっていた。

『かぼちゃを塩で煮る』は、42の短い話と、「はじめに」とあとがきにかえて「楽しみな食事」、そして最後に、解説とはちがうが牧野さんのことを書いた鈴木るみこさんの「眺めのいい食卓」が収まっている。

「アメリカの弁当箱」は、600数十字ほどの短い文章で、「台所では、何本かある包丁のなかで100円で買った包丁が主役になっている」で始まる最初の段落が長い。次の段落は、「日々の調理は、だいたいこれで間に合っていたのだが、少し前にチーズ切り専門の包丁を購入した」という話で、ここまで、6割強を占めている。

最後の段落が「我が家ではしばしば、プロセスチーズを使った手軽な前菜で飲みはじめる。そのひとつが「アメリカの弁当箱」と呼ぶものである」というぐあいだ。

そのあとを最後まで引用してしまおう。

「ただ皿にプロセスチーズとハムとリンゴとパンを切って皿に並べただけだが、四つの組み合わせは実にすぐれていると思う。もうずいぶん昔、学生時代にアメリカから帰国した友人に、向うの学校では弁当にこの四つをハンカチに包んで持っていくのだと聞き、スケッチの折などに真似て持っていった。なかなかおいしいので酒の肴にもして、いつしか「アメリカの弁当箱」と呼ぶようになった。皿からつまんで一口ずつ順番にかじっていくと、口のなかで混ざり合い、絶妙なハーモニーが生まれる」

食のたのしみに関するエッセイはたくさんあるけど、「食べるたのしみ」「食事のたのしみ」「料理のたのしみ」がすべて上手に盛り込まれたものは少ない。

『かぼちゃを塩で煮る』は、「食べるたのしみ」「食事のたのしみ」「料理のたのしみ」がすべてうまいぐあいに盛りこまれているのだが、「アメリカの弁当箱」は、そういう意味で一番よいとおれは思った。

ありふれたものしか登場しない。道具も食材も、名のあるどこそこのナニナニでなくても、十分たのしむことができる。なんにつけてもそうだと思うが、「たのしみ」は、自分で見つけ、つくりだすものなのだ。

文章も平易で、いわゆる文学的表現的技巧など用いていない。

だいたい「たのしみ」というのは抽象であって、具体が大事だ。ひごろ具体的にたのしんでいないと、こうは書けない。

組み合わせや「口のなかで混ざり合い、絶妙なハーモニーが生まれる」などは、汁かけめしにも通じるが、食べるところまでが料理であるということだ。

いい店、いいモノに頼らなくても、もちろん食べ歩きなどしなくても、いくらでもたのしみはある。

読んでいるとたのしいし、具体的な話だから、やってみたくなる。

ところで、人間は成長しながら、食べるたのしみ→食事のたのしみ→料理のたのしみ、という順番で覚えていく。だけど、これは必ずしも連続してないようだ。

つまり、食べるたのしみを知って、食事のたのしみを知るようになり、食事のたのしみを知って料理のたのしみを知るようになる、とは限らない。

食べ物や飲食に関する著述を読みながら、そのことが気になっていたし、『かぼちゃを塩で煮る』では、「はじめに」から、そのモンダイにぶつかる。

食べるたのしみは、たいがいの人が知っている。だけど、食事のたのしみや料理のたのしみとなると、かなりいろいろのようだ。

料理をたのしんでいる人でも食事のたのしみにはあまり興味がない人もいる。食事のたのしみは知っているが料理はしたくないという人もいる。

食べるたのしみを知っていれば、自然に食事のたのしみを知るかというと、必ずしもそうではないらしい。

「食べる」は生理的欲求にもとづいているようだが、実際の「食べる」には文化が介在する。そのあたりから人間様はややこしい。

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2018/01/18

齋藤圭吾写真集『針と溝』発行と写真展3ヵ所同時開催。

北九州市の『雲のうえ』などで一緒に仕事をしているカメラマンの齋藤圭吾さんの写真集『針と溝』が、本の雑誌社から発行になります(1月23日ごろ)。

同時に、明日19日(金)から、吉祥寺の「キチム」で写真展も開催。この本をデザインした『雲のうえ』編集委員でもある有山達也さんとの楽しいトークなどもあります。

よろしくね。

おれは、目下、3月に発行予定の仕事を齋藤さんや有山さんとやっているのだけど、齋藤さんは、少し照れながら「じつは、いわゆるオーディオマニアっていうのかな、あれなんだよね」とか言っていた。ま、カメラマンにはメカ好きや凝り性が多いから、おれは驚かなかったけど、この写真には、ビックリですよ。

本の雑誌社のサイトにある案内、写真も載っています。
http://www.webdoku.jp/kanko/page/4860114094.html

息をのむ美しさ、音が生まれる瞬間──

「ダイヤモンドというと心がときめく女性と違って、レコード好きの男は「針」を連想しますね。この針と溝の写真集はマニアを通り越したものですが、特にレコードの溝を接写レンズで撮った写真はどきどきするほど美しいです。」(ピーター・バラカン)

レコード盤に針を落とす。盤が回り、針が溝に刻まれたジグザグをなぞると、音が生まれる。始めから終わりまで、一本の溝を針は走り、リズムやメロディーを奏でる。線路を走る列車のように。

ダイヤモンドやサファイアから成るレコード針(stylus)と、様々なジャンルの音楽が刻まれたレコードの溝(groove)。

宝石が溝に触れ、なぞる、擦る、震える。

官能的な音が生まれる瞬間をマクロ撮影。
聴くでもなく語るでもない、肉眼では見えないはずの音を見てみようと試みた前代未聞の写真集。

以上。


齋藤さんは、ほかにも同時に、吉祥寺の本屋「一日」でも「百日」でも写真展を行います。

「一日」では、1月17日(水)~29日(月)、以前に清澄白河のギャラリーで開催したことのある写真展「melt saito keigo」。この写真集を手作業で製(つく)った、立花文穂さんと齋藤さんの「写真を撮る本を製(つく)る」というトークもあります。

「百年」では、1月17日(水)~2月5日(月)、「花暦 INTERVIEW WITH PLANTS」展。『花暦』は、『ボタニカ問答帖』(瀬尾英男・文/齋藤圭吾・写真、京阪神エルマガジン社)の続編だそうです。

詳しくは、それぞれのサイトをご覧ください。

まあ、しかし、こんなに一度に写真展をやって……けっこう、けっこう。

吉祥寺に出かけたときには、それぞれ近い場所だから、グルリまわって見るのもいいかも。

以前の「melt saito keigo」展は行って当ブログに紹介した。
2015/02/16
齋藤圭吾写真展「melt saito keigo」。

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2018/01/16

「四月と十月文庫をおおいに語る」トーク、盛況御礼。

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一昨日、下北沢の書店B&Bで行われた、『仕事場訪問』(牧野伊三夫、港の人・四月と十月文庫)刊行記念トーク「四月と十月文庫をおおいに語る」には、たくさんの方にお集りいただき、ありがとうございました。

トークのあとの打ち上げ参加者も多く、会場に入り切れない事態が発生、さらにそのあとにカラオケへ行った人たちもいたようだ。

とくに高邁な目的や結論があるわけじゃなし、役に立つ話など少しもなかったトークだったと思うが、楽しんでいただけたなら幸い。

港の人の社長、上野勇治さんの司会で始まり、まずは脱稿旗の返還と授与があった。

いつもなら、四月と十月の出版記念会で行われるのだが、牧野さんが二冊目ということもあり、この場を借りて「公開」で簡単に行うことになったもの。

前回7冊目『理解フノー』の著者であるおれのもとにあった脱稿旗を編集室に返還し、編集室から牧野さんへという儀式だ。しかし、気がついたら、おれの手元にあるはずの脱稿旗がない。そういえば、一昨年12月にあった『理解フノー』出版記念会で泥酔したおれは、脱稿旗を持ち帰らなかったのだ。

なんとなく瀬尾幸子さんが持って行ってくれたような気がしたので電話をするが通じない。とりあえず、脱稿旗が手元にない旨を牧野さんに知らせておこうと牧野さんに電話をした。そしたら、どういうわけか、牧野さんのところにあったのだ。

というわけで、一昨日は、牧野さんが持って来てくれた脱稿旗を受け取り、おれから牧野さんに返し、それを上野さんから牧野さんに授与するというややこしいことになった。

そのあとトークになり、まずは牧野さんとおれの出あいの話からスタート。牧野さんとおれが出あったのは、2001年の秋だった。あんなことがあったね、こんなことがあったねの話から、四月と十月のことや四月と十月文庫のことへ。

1冊目の『えびな書店店主の記』(蝦名則著)、2冊目『装幀のなかの絵』(有山達也著)、3冊目『ホロホロチョウのよる』(ミロコマチコ著)と、おれがツッコミ役で話を進めることになっていたので、テキトウに合いの手やツッコミを入れたりしていた。

かなりしてから(たぶん1時間は経過し、残り30分ぐらいになった頃)、牧野さんがスライドを作って来ていたことを思い出し投影、なーんだ、これを最初から使えばよかったのに、忘れるんじゃねえよ。いろいろボロが出る楽しみもあった。

いちおう、これまでの著者と著書について、あれこれ話したところで、カンジンの『仕事場訪問』については十分な時間もなくジ・エンド。

とくにまとまったイイ話はなかったけど、爆笑もあり、場の雰囲気は盛り上がりが持続して終わった。エンターテイメントとしては、上出来だったか。

15時スタートで16時半にトークは終わり、サイン会になった。牧野さんのところには、たくさん並び、おれは思いがけなく2冊が売れサインをした。

打ち上げは近くの中華料理店だった。18時からだったので、牧野さんと銭湯へ行くことにしていてタオルは持っていたのだが、会場でひさしぶりに会った人たちと立ち話などをしているうちに銭湯グループとは別れてしまい、京都から取材に見えた方と話しをしながら5人ほどで、晩杯屋へ。入ると、ほかにも2グループほどいるではないか。

打ち上げの席は足りなくなるのではないかと思っていたら、やっぱり20名以上の参加で、同じ会場に収まらず。

入れ替わり立ち替わり、あるいは立ったり、会場やテーブルを移動しながら、とにかく飲んで楽しくすごしていたが、なんだかトークで時間がなくなって話せなかったことが気になっていて、酔った頭で口にした。

それは、牧野さんが「画家の文章は面白い」と言っていたことについてだ。

おれも『四月と十月』本誌を読んでいつもそう思っていたし、近ごろはますます「文章家」の文章より画家や音楽家の文章が面白いと思っていたから、そのことに話をふったのだ。

牧野さんもおれも酔っていたが、そのやりとりをみんなが聞いていて、その話、トークのときにやればよかったのに~、という声もあったりした。すみませんねえ。

このことには、「画家的」や「画家的視点」ということや、牧野さんの考える「画家」について、それから「文章家」が文章家的視点より出版業的視点に陥りやすい事情などが関係しているようで、ツッコミどころはたくさんあって興味深いのだ。

21時すぎに解散。おれはスソさんと帰ったが、たいがいはカラオケへ行ったらしい。

体調を悪くし長いあいだ療養中だった言水ヘリオさんが姿を見せてくれたのがうれしかった。

当ブログ関連
2017/12/11
1月14日は、下北沢の本屋B&Bでトーク。

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2018/01/07

第一次世界大戦と「懐石とナショナリズム」や「黄色い本」。

「懐石とナショナリズム」は、近ごろ「相撲とナショナリズム」という言葉を見かけるので、それにあやかってみた。いやあ、2020年東京オリンピックに向かってますますイケイケの「おもてなし」の言動を眺めていると、「懐石とナショナリズム」もなかなかのものだ。

「黄色い本」は、最近読んだ、高野文子の『黄色い本』(講談社)のなかの「黄色い本」のことだ。

どちらも、第一次世界大戦とその後の世界と日本が関係する。ということに、いまハマっていて、あれこれ読んだり見たりしている。

2018年というと、ツイッターでも「マルクス生誕200年、明治維新150年、米騒動100年」などが喧伝されているが、「第一次世界大戦終結から100年」は見かけない。

そのへんからして、近代日本を考えるうえでの大きな欠落があるように感じていて、それはもちろん食文化や大衆食にも関係することだ。

だいたい、大衆食堂や大衆食の成り立ちは、第一次世界大戦と大いに関係があるにも関わらず、おれは自分の著書では、そのことにふれてない。第一次世界大戦は、まったく視野に入っていなかったといってよいほどだったのだなあ。

当ブログ、2017/12/21「ライター稼業にとって「丁寧」な仕事とは。」でも、書いている。

第一次世界大戦のことで思い出したのは、レマルクの『西部戦線異状なし』であり、ロジェ・マルタン・デュ・ガールの『チボー家の人々』だった。

『西部戦線異状なし』は高校生のとき読み、『チボー家の人々』は高校卒業したばかりのころ読んだ。ずいぶん昔のことだ。

高野文子の「黄色い本」には、「ジャック・チボーという名の友人」という副題がついている。

あまりあてにならないウィキペディアには、「「黄色い本」(1999年)は、青年誌『月刊アフタヌーン』に掲載された72頁の読み切り作品である。雪国を舞台に、作者と同世代の少女が学校に通いながら5巻本の『チボー家の人々』をゆっくりと読み進めていく様を描いたもので、執筆開始から完成まで3年の月日が費やされている」とある。

おれが『チボー家の人々』を知ったのは、『西部戦線異状なし』を読んだころだった。

おれには母の姉の娘である6歳上の従姉がいて、彼女は父親とは生き別れ母親とは死に別れで、戸籍上は母の母の娘(つまりおれの母の妹)となり、実際はおれの家で一緒に姉弟のように育ったのだが、彼女の恋人のち結婚相手が、この本を持っていた。これを、おれは大学合格祝いにせしめ、その春に読んだのだった。

全5冊、黄色い表紙にパラフィン紙のカバーがされ、灰色の薄いボール紙の箱に入っていた。

このあいだ第一次世界大戦を調べていたら、クレマンソーやポアンカレが出てきて、おおこの名前は聞いたことがあるぞ、『チボー家の人々』によく登場していたなと、この本を思い出したのだった。

しかし、もう一度読みかえす気はしない。なにしろ、全5冊のうえ、2段組みだった。

読みかえす気はしないが、ほとんど忘れている内容を少しは思い出したいと調べていると、「黄色い本 ジャック・チボーという名の友人」にゆきあたったのだ。

ジャックのことは、もちろん覚えている。そうそう、かれは「インターナショナリスト」になったのだった。

「インターナショナリスト」と「ナショナリスト」の観念が育ったのは、第一次世界大戦が契機だった。第一次世界大戦の西部戦線で戦った国々と、その戦場から遠く離れていて、しかも後進国の出自を抱えながら戦勝国になった日本では、「インターナショナリズム」と「ナショナリズム」の育ち方は、かなりちがっているようだ。

そこに、前にも少し書いたが、懐石(と茶道)が関係する。このへんは、いまのところあるていど根拠のある「仮説」ていどで、「懐石とナショナリズム」ということでは、大衆的レベルで大活躍し多筆だった辻嘉一の本を読みあさっているところ。

「食育」やユネスコ無形文化遺産の「和食」でうるさくいわれた「一汁三菜」だが、近ごろは「一汁一菜」ということを言い出す料理の先生もいて、「一汁一菜でいいんだよ」という話だけならよいのに、しかし、どちらも「日本料理の頂点、懐石料理の原点」を持ちだし、その背後には「日本の精神」やら「日本の美」やらが、あやしくたちこめている。

「一汁一菜」を持ちだした料理の先生は、先代から「家庭料理」を謳っていたのであり、いまさら懐石の概念ではないだろうと思うのだが、やはり、懐石を錦の御旗にしないとダメな事情でもあるのか。

「一汁三菜」に対し「一汁一菜」の構図を、うがった下衆な見方でたのしんでながむれば、そこには昔から繰り返されている日本料理の頂点をめざす派閥争いや、関西料理の京都対大阪の遺恨?あるいは、ホレ服部さんの跡ねらいか、と、いろいろおもしろや。

2020年東京オリンピックめざして、育ちの悪かったナショナリズムとインターナショナリズムが、いろいろな分野でしのぎを削り、まだまだこうるさいことになりそうだ。改憲論議もあるしなあ。

ま、時流に流されず、じっくり、第一次世界大戦のころから掘りかえしていこう。

話がそれたのかそれてないのかわからなくなったから、このへんでオシマイ。

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2018/01/05

『ユリイカ』1月臨時増刊号、遠藤賢司と大衆めし――「カレーライス」から

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去る12月26日に発売になった、『ユリイカ』1月臨時増刊号「総特集=遠藤賢司」に、「遠藤賢司と大衆めし――「カレーライス」から」を寄稿した。

年末のある忘年会で、「エンテツがユリイカなんてイメージじゃないなあ」といわれた。ほんと、そうだよな。

エンケンこと遠藤賢司は、去る10月25日に亡くなった。享年70は、おれより若い。

そこで、追悼特集。

エンケンを追悼するにふさわしいみなさんがズラリ並んでいるなかに、おれだけお門違い場違いでスミマセンという感じで、加わっている。

「詩と批評」を謳う『ユリイカ』は、まったく縁のない存在だった。どこの世界のハイカルチャー。

編集者からトツゼン、「遠藤賢司と大衆めし」ということで論考をお願いしたいと依頼があり、エッセイならともかく音楽についても遠藤賢司についても論考を書けるほどの知識がないと返事をしたら、いや「堅めのエッセイ」であればといわれ、引き受けた。

だいたい、近ごろの出版の傾向としては、この分野はこの人に頼んでおけばアンシンという実績のあるライターに発注する「安全パイ主義」や「テリトリー主義」が普通だ。編集者もライターも、あるいは読者も、そういうある種の権威主義のサークルのなかで、ご安泰あんど閉塞。自由に羽ばたいてアブナイことに会うかもしれない危険はおかさない。

そういうなかで、大胆にも、まるで畑違いのおれに声をかけてくる編集さんにも興味があった。

けっきょく、20枚以上といわれ、書いたのは25枚。今年一番のボリュームで、一番難しかった原稿。論考風エッセイかエッセイ風論考か。

エンケンの代表曲「カレーライス」がらみだが、音楽的な話はナシ。

やってみると、視点が変わる効果か、これまで考えたこともなかった、いろいろなことが見えてくるもので、もう少し時間があったら、国会図書館まで行って調べたい資料があったのだが、残念ながら余裕がなかった。

「大衆食の射程のひろさ、深さに感嘆した」というような感想をいただいている。エンケンのうたが、その広さと深さをとらえていたということでもあるだろう。

■アルバム
不滅の遠藤賢司

■再録エッセイ
「ほんとだよ/猫が眠ってる」復刻によせて / 遠藤賢司

■インタビュー
土から這い出す純音楽 / 鈴木慶一(聞き手=湯浅学)
ふたりのエンケン / 浦沢直樹(聞き手=細馬宏通)

■歌の生まれるとき
遠藤賢司のライク ア ロォリング ストーン! / あがた森魚
マーチンD-35 / 岡林信康
昨日よりも育ち、昨日よりも若く、これぞ不滅の若さ / 中川五郎
歌と出会う / 友部正人
純音楽に全身全霊をささげた不滅の男 / 山本恭司

■純音楽の道
エンケンと話したかったこと / 田中泯
エンケンのこと / 夢枕獏
サイナラ、エンケン。 / 篠原勝之
純音楽家の美しさ / 山崎哲
ほんとだよ──言音一致の純音楽家 遠藤賢司 / 佐野史郎
エンケンの思い出 / 原マスミ

■対談
森羅万象変幻自在のエンケン / 湯浅学×岸野雄一

■遠藤賢司の旅
銀河鉄道の夜汽車のブルース / 遠藤ミチロウ
エンケンさんとあまちゃんと / 大友良英
ギター1本勝負! / 奈良美智
いきてるよ / 山崎春美
遠藤賢司さんとの思い出 / 戸川純
エンケンさんからもらったもの / 曽我部恵一

■歴史のはじまり、そして……
早すぎた芸術家、遠藤賢司 / 東谷護
「ほんとだよ」からはじまった純音楽の旅 / 北中正和
「日本(ニュー)ロック史」の形成とエンケン / 輪島裕介
一九八八年の遠藤賢司 / 南田勝也

■彼はいつでも最高なのさ
エンケンさんちょっとイイ話(第1回) / 根本敬
浅草キッドと東京ワッショイ / 水道橋博士
透きとおって、音になる / いしいしんじ
僕とエンケンさん / 森信行
裸の王様 / 湯川潮音

■君も猫もみんな好きだよ
んの彼方に / 細馬宏通
遠藤賢司は最初から遠藤賢司であった──茨城県県北地域で育まれたものと、彼のなかに流れ続けたもの / 大石始
遠藤賢司と大衆めし――「カレーライス」から / 遠藤哲夫
遺されたブックリスト / 本山謙二

■資料
遠藤賢司略年譜 / 柿谷浩一

青土社のサイトは、こちら。
http://www.seidosha.co.jp/book/index.php?id=3114

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2018/01/04

謹賀新年。

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年末年始がさらさらでれでれと過ぎていった。

わが家庭の半分は、普通の会社員だから、普通に休む生活がある。今年は、その休暇が12月25日から1月3日までだった。

いまどきの一般会社員は、日々、過剰な管理下で過剰なサービスと過剰な品質を求められ、抑圧の激しい労働をしているから、休日ぐらいはドバッと解放されたいと思うのは自然のことで、ごく平凡に温泉と海へ向かった。

場所は下田。16,7年前に行って、ありふれた料金で普通によくて印象に残った宿に再び泊った。そしたら同じ階の同じ向きの部屋に案内された。以前のように、初日の出ではないが、部屋から日の出が見られた。

こうして平凡だが貴重な安息をとり、やはり多くの普通の家庭が背負っているだろう、労働のほかにも重くのしかかる両親の介護も気にしながらわきにおいたり、三ヶ日とはいえ雑煮やおせちなど作るでなく普段とあまり変わらない飲食だが、普段の毎夜遅くてあわただしい食事とくらべたら、ゆっくりのんびりさえできたらありがたく大切である飲食をでれでれやって、イチオウ神社へも行って、休暇は終わった。

今年は、明日からロケハンと取材が、月末まで8ヶ所ぐらい毎週のようにある立ち上がりだ。

それから、年が明けたら急に迫ってきた感じの1月14日(日)、東京・下北沢の本屋さんB&Bで開催の、牧野伊三夫×遠藤哲夫「四月と十月文庫をおおいに語る」のトークがある。

すでに告知したように、『仕事場訪問』(牧野伊三夫著、港の人・四月と十月文庫)の刊行記念のトークだ。

これに備え、昨日から、四月と十月文庫既刊全8冊を読みかえしている。続けて読んでいると、また別のおもしろさがある。

「絵や写真による表現、文章による表現、冊子や書籍の表現について」ということだが、はて、どんな話しになるか。新年会のつもりでご参加ください。

予約はこちらから。
http://bookandbeer.com/event/20180114_4gatsu10gatsu/

ま、今年も、よろしくお願いいたします。

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