最近、めずらしく、「ビジネス・ランチ」のお誘いを受けた。平たくいえば、昼めしを食べながら、オシゴトの話をしたいということだ。
昼食を食べながら仕事の報告や連絡や相談つまりホウレンソウや打ち合わせや交渉をやることは昔からあったと思う。「昼食接待」は夜の接待より金がかからなくてよいという考え方もあった。
それらを日本で「ビジネス・ランチ」とよぶようになったのは、いつのことだろう。
おれの経験では、70年代後半からで、80年代から盛んにこの言葉が使われるようになり、80年代後半のバブル景気の頃は、ボクはクールでデキル男だからね、という感じで「ビジネス・ランチ」が流行った。(もちろん、そういう女もいた)
とにかく、自由化と共に70年頃から欧米流のさまざまなビジネス・スタイルや方法が日本に流れ込み、日本も積極的に真似をするようになった、その一つではないかと思う。
ボブ・グリーンの『アメリカン・ビート2』(井上一馬・訳、河出書房新社)に、「ビジネス・ランチ」というコラムがある。この本の初版は1986年だが、アメリカの出版社のクレジットは1983年だ。
「トップ・クラスのビジネスの世界、あるいは大人の付き合いの世界で私が成功を収めることは絶対にないだろう」
なぜなら、「私にできないのは、ビジネス・ランチである」と、ボブ・グリーンは書いている。
「いまや「昼食をいっしょにしよう」という台詞は、アメリカのホワイト・カラーの日常生活における合言葉になっている」
だけどボブ・グリーンは「お昼でもいっしょに食べながらその件について話しませんか」と誘われると、なんだかんだ理由をつけて逃げるのだ。
1983年より前に、アメリカではそんなことになっていて、日本にも伝染したということが十分考えられる。
おれも1980年頃、アメリカのビジネスマンと二回ほど「ビジネス・ランチ」を食べたことがある。数人で一つのテーブルを囲んで、打ち合わせをやりながら食べた。そのときは、あちらはこちらへ出張してきていたので時間がないこともあった。
とにかく、相手が誰だろうと、ビジネス・ランチというやつは、「ランチ」つまり「食事」が犠牲になる。食った気がしない。最初から仕事だと思ってやるしかない。
「そういう日は、まる一日がだいなしになる」
ビジネス・ランチは、やらぬが吉だ。いいビジネス・チャンスを逃すかもしれないが。
だけど、おれも昔はビジネス・ランチを誘ったことがあるような気がする。接待をよろこんで受ける人がいるように、ビジネス・ランチをよろこんで受ける人もいた。
もちろん、誘われたこともけっこうあった。たいがい、ホテルや有名なレストランや料亭だった。
あらかじめ約束していたビジネス・ランチとはちがうが、チョイと情報がほしかったり相談ごとがあって、わざとアポなしに昼過ぎに立ち寄ると、昼めしがまだだからと連れて行かれることがあった。そういうときは、話しをはぐらかされてしまうことが多い。こちらもその手を使ったから、よくわかる。食事をしながらでは、突っ込んだ話がしにくい。アメリカのビジネスマンのばあいは、そういう「遠慮」はなかった感じだが。
ビジネス・ランチとは逆になるか。70年代の前半、よく雀荘でマージャンをやりながら昼めしを食べた。
一階が大衆食堂で2階が雀荘。経営者は同じ。昼は一階の食堂が混雑するので二階の雀荘の台に白いビニールをかけてテーブルに使って客をさばく。そこで、白いビニールをのけて、マージャンをやりながら食べた。「食事」が犠牲になる。
「寝食を忘れて」という言葉があるが、あの頃は、そんな感じでマージャンをしていた。酒を飲んで「寝食を忘れる」ことも多かったが。
「寝食を忘れて」好きな仕事に打ち込むことが美徳とされる向きもあるから、ビジネス・ランチも、そういうことならいいのだろうか。
でも、そっちはよくても、こっちまで巻き込むなということもある。
夜の飲食も同じで、何人かで楽しく酒を飲んでいると、いつでも仕事の態勢の人が、突然ノートを取り出して、こっちの言ったことをメモすることがある。そうまでしないと成功しないのかもしれないが、切ないことだ、やられたほうは白ける。
飲食をネタにしたライター稼業も、仕事と飲食のケジメがつきにくい。ライターになる前のプランナー稼業のときも、そうだった。どこで飲んだり食べたりしても、自分が担当する商品開発や店舗開発の目で見てしまったりする。しかも自分の飲食を犠牲にしていることに気がつかない。
そういうケジメのないことをしていて飲食について語るのはオカシイ感じもするのだが、世間では、それを「専門家」とみなして、あがめる。
ただ、飲食をめぐる「消費文化」と「生産(産業)文化」と「生活文化」のちがいは、見えやすい。
ここまで書いて思い出した。
バブル景気の頃は、「ランチ・ミーティング」なんてのも流行った。それから「朝食ミーティング」「ブレックファースト・ミーティング」なんてのもあった。名前からしてあけすけで、「ビジネス・ランチ」よりオソロシイ。しかも、これらは、かっこいいことに思われていた。
あの頃から飲食について何か迷走が始まり、その迷走が全面的になっているのかもしれない。
いいものいいことを持ち上げたり、めずらしいものを語る飲食の話は多いが、日常の平凡な食事はいろいろ難しい問題を抱えている。