おれはおれでちゃんとやってきた。
「おれはおれでちゃんとやってきた。仕事のことだがな」
酒場のあるじがいうのだ。
「ここにはここの商売のやり方があるのさ。東京の一等地で成功しているからといって、ここでうまくやれるとはかぎらないぜ。商売ってのは、そういうもんだろ」
彼は、ある雑誌の記事が気にくわない。
「ここらあたりじゃ、仕入れられるものも限られる。赤字になるほど金を出せば別だが、それは商売とはいわないだろ。商売度外視で、いいものだけ仕入れるなんてありえないよ。そうだろ。商売度外視でいいものを仕入れるのが職人魂だなんて、どこの世界のことだい。その職人魂より、うちは悪い商売をしているというのかい」
「だいたいさ、どこどこのだれそれさんが作った材料を使っていれば、うまくて良心的で真面目な店だってことは、普通に流通しているものを使っている店の立場は、どうなるの。ダメな店か。そういうことだろ」
いや、そういうことじゃないと思うが、そういう風潮もあるな、いまの日本じゃ「おれはおれでちゃんとやってきた」ぐらいじゃ、評価されないのさ。おれはそう思いながら、黙って聞いていた。
自分の書いているものは、どうだろうか、と考えた。
ときどき、同じような場面にぶつかる。
「うちには、何もないよ」
半世紀も飲食店を続けてきた彼がそう思うようになったのは、なぜか考える。
メディアとそれに関わる者の責任が少なからずあるだろう。
おれはおれでちゃんとやってきたささやかな人生を「何もないよ」にしてしまう驕りがないとはいえない。
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