「コーヒーのランクを下げると、人はもっと幸せになれる」
このタイトルは、ネットの記事で、近年まれに見る面白さだった。
https://www.lifehacker.jp/2018/02/cheaper-coffee-will-make-you-happier.html?utm_source=twitter&utm_medium=feed&utm_campaign=99f5cd80711c862299cd5280e55ff06d
原文はLifehacker USに載った、Nick Douglasという人の文章だ。
こういう話が、日本でも広く行われるようになると、飲食をめぐる言説は、もっと自由で可能性があって面白いものになると思う。
ここでわりととカンジンなことは、「コーヒーの場合、お金持ちでなくても最高級品を1度や2度楽しむぐらいのゆとりは誰にでもあります。なので上質なものの良さを知り、それを毎日求めてしまうようになりがちです」という指摘があることだろう。
この言説を体験的に十分納得するには、「上質なものの良さ」も楽しんでみたほうがよい、と、Nick Douglas氏は主張しているわけじゃないが、そこは考慮に入れておく必要があると思う。
「ダウングレードしたからといって、生活がみじめになるわけではありません。むしろその逆です。気にかけるものが少なくなるほど、本当に気にかけているものにお金を使う余裕が増えるのです。すべてにおいて趣味が良い人なんていませんし、そんな生活を目指すべきでもありません。かなりのお金持ちでもない限り、ひたすら支払いに追われる毎日を送ることになるからです。そんな人生は悲惨ですよね。」
ま、ひたすら支払いに追われる毎日になるまで凝るのは大変なことだと思うが、そこまでいかなくても、金や時間や関心や注意などが、そういうことにふりまわされる人生あるいは飲食は幸せなことだろうかと考えてみる必要はあるだろう。
これを読んで思い出したのだが。
味覚も含め、感覚に鋭敏であることや繊細であることが、とかく持ち上げられ、「鈍感」や「鈍い」ことは蔑まされる。
だけど、すべてにおいて鋭敏で、すべてにおいて鈍感なということは、ありえない。
だいたい、自分は繊細で趣味がよいと思っているらしい人が、自分と同じと認められない人を「鈍い」だの「鈍感」だのと見下す場面がツイッターなどでもよくあるけど、それって、鈍感じゃないのと思う。
あることには繊細で、あることには鈍感、というのが普通で、それは性格もあるだろうし、好みや関心や思想の持ち方なども関係する。個性であって、上下優劣善悪など関係ないのだ。
グレードだの趣味のよしあしは、酒などの嗜好品でも話題になりやすいが、そういうことで自己の優越感を得たり承認要求を満たしたいという傾向も見られるし、それを煽る傾向もある。
この部分は、なかなか痛烈だ。
「何かをダウングレードすることで、現在文化的にデフォルトになっている「アップグレード・モデル」への抵抗力が鍛えられ、意志の力が養われるのです。」
あと、アメリカと日本では、「ランク」「ランキング」の概念というか利用の仕方が違うということも読み取れる。
要は自分の哲学を持つということだろう。
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