東京新聞連載「エンテツさんの大衆食堂ランチ」63回目、東十条・みのや。
毎月第三金曜日に東京新聞に連載の「エンテツさんの大衆食堂ランチ」、1月19日の掲載は東十条の「みのや」だった。
すでに東京新聞のサイトでご覧いただける。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2018011902000172.html
みのやは「とんかつ」が看板の店で、ほかのフライ類やハムエッグ定食もあるが、一番人気は600円のロースとんかつ定食だろう。
本文にも書いたが、1962年に上京してしばらくは、とんかつは高いのでめったに食べられなかった。大衆食堂にもあったが、あのころはメニューの安い方しか見なかったのであり、そこにとんかつを見ることはなかった。
記憶では、まだ東京オリンピック前だったと思う、代々木にカウンターだけの比較的大きなとんかつ屋があって、楕円のステンレスの皿に型抜きのめしと千切りキャベツととんかつがのった「かつライス」が安い方だった。とんかつを食べたいときは途中下車をして食べたが、ふだん食べる定食の1.5倍はしたと思う。
とんかつが日常の普通の食事になっていくのは1960年代の後半からだったような気がする。飼料の開発が進み新しい養豚の方法が普及するのはそのころだから、生産の革新がもたらした結果だろう。
とにかく、とんかつはうまく、よく身体がそれを欲した。
目黒のとんきのとんかつを食べたときにはおどろいた。あんなに身の厚いとんかつは始めてだったからだ。それに歯ごたえがあまりなく、さくさくふわふわ食べられる。とんかつと別物という感じだった。
このみのやのロースとんかつは厚くなく、かといって紙のように薄くもなく、歯ごたえがある、おれが最もよく食べてきたとんかつだ。とんきまでわざわざ行く気はしないが、みのやへはときどき行きたくなる。
ここでとんかつを食べながら、代々木にあったとんかつ屋のカウンターの活気とあのころを思い出すのも「味覚」のうちだ。
とんかつといえば、なぜか、小津安二郎の『秋刀魚の味』の1シーンも思い出す。とんかつ屋の二階の座敷で佐田啓二が妹の恋人だったかな?と、とんかつを食べながらビールを飲むシーンだ。あれだけはよく覚えているのは、とんかつとビールが、うまそうなだけではなく、田舎者には手が届かない都会のハイカラな生活に見えたからかもしれない。
そういう高級でハイカラだったとんかつが日常のものになったからといって、とくに感慨はないが、とにかく、安いとんかつはうれしい。
比較するのはおかしいが、うなぎの蒲焼などは食べたくなることはないし、実際にもう10年ぐらいは食べてないけど、とんかつだけは日常からなくなって欲しくない。アメリカ産の豚でもけっこう。
それにしても、みのやの定食はめしも多いが、ついてくる豚汁が、どんぶりに盛られていて、これでめしを食える量だ。これに漬物がついた昔の豚汁定食の価値がある。その豚汁は、注文ごとに大鍋から人数分ずつ小鍋にわけ、刻んだキャベツやネギをたっぷり入れて煮る。
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