方法よりツキ。
きのうも高円寺で、今回の仕事の最後の取材。ロケハンから本番まで、なかなか面白かった。
おれと同年輩の人たちから30前後の人たちまで。ちょうど昭和30年代の経済成長期から今日までをふりかえる感じだった。
仕事のついでにひさしぶりの人にも会い、いろいろ話した。やどやでは外国人とも話したしね。
やはり街で人と話しながら考えることは大事だ。ある意味、本を読むより、いろいろなことを知るし、気づく。体験は厚い本一冊より価値がありますよといった大学教員の話を思い出した。
何年ぶりかのカワちゃんとは、山の話から趣味を仕事にすることについてのことになった。彼女の登山趣味は、近ごろ仕事になってきたからだ。
おれはなるべく趣味を仕事にしないようにしてきたし、仕事を趣味的にやる趣味はないが、趣味が仕事になると別のことが趣味になっていくこともあるようだ。それから仕事になった趣味を別の角度からみたり、仕事を別の角度からみるようにもなるらしい。
これからの日本はどうなるだろうという話題もあった。
いまさら、どうもならんだろう、日本はツキまかせ神だのみだよ。
戦後、ドッジ・ラインを突きつけられ、こりゃどん底かと思ったら、朝鮮戦争勃発で特需と内需拡大で切り抜けられた。そして戦後のベビーブームの子供たちが、安い労働力市場と内需の拡大を支え高度経済成長。ジャパンアズナンバーワンなんていわれおだてられその気になって、終身雇用と年功序列に家族主義の日本的経営を誇示している最中に、レーガノミックスとプラザ合意でアッというまに日本的経営は破たん、でも内需拡大があるさのお得意の手。
方法論よりツキで今日まできた。それが体質のようになっている。
内需拡大で目は内に向いたままで、内弁慶がはびこる。
いや、外へ向かって動いている人たちもいるが、なにしろ内需拡大国内消費重視の風潮が長く続くなか、とくにメディア周辺では内弁慶ばかりがはびこる。人のヨワイところやヨワイ人を見つけては、「高い精神」を掲げて、辛口をいうが、方法論はゼロだ。
ま、だいたい「辛口」つまり「歯に衣をきせぬ」もの言いなんてのは、方法が未熟の結果なのだ。方法論があれば、それをちゃんと普通に言えばいいだけなのだから。上手な指導者はそうするように。
とにかく、えらそうなことを言いあいながら、ツキを待つ。全国レベルから地方レベル個人レベルまで。
それがいつまで通用するのだろう。
世界の大勢は、もちろん、ツキより方法だ。グローバルな方法と、ローカルなツキの日本。方法には責任がつきまとう。ツキまかせは責任逃れができる。
そういう話しをあれこれ。
とにかく、「高い精神性」を称揚し方法論のない話は無視するだけでも、かなりのメディアリテラシーになる。という、一つの方法の話になった。
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