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2018/03/30

座・高円寺の広報紙、フリーマガジン「座・高円寺」19号の特集は「高円寺定食物語」。

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2018/03/08「座・高円寺の「座」。」に書いた、「座・高円寺」19号が出来上がって届いた。

「高円寺定食物語」という特集、文はおれが担当した。

戦後民生食堂が誕生した当時のままの看板と建物の「天平」は、道路拡張のため年内に取り壊しになる。取材が出来てよかった。大衆中華、大衆洋食のほかに、酵素玄米と麹料理の食堂、今風の惣菜店の定食、鮮魚店の定食など個性それぞれ、定食と食堂や人から高円寺の面白さや特徴を探った。

タブロイド判(1ページのサイズが新聞1ページの半分)だから、見開きだと新聞1ページ分の迫力。有山達也さんのアートディレクション、齋藤圭吾さんの写真で、思いっきりグラフィックだ。どうか手にとって見て下さい。

発行=NPO法人劇場創造ネットワーク/座・高円寺
編集委員=有山達也、岩淵恵子(アリヤマデザインストア)、齋藤圭吾、NPO法人劇場創造ネットワーク/座・高円寺

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2018/03/26

東京新聞連載「エンテツさんの大衆食堂ランチ」65回目、新宿・石の家。

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今日は、前のエントリーでの予告をはずして、この件だ。

毎月第三金曜日の連載、今月は16日の掲載だった。

すでに東京新聞のWebサイトでご覧いただける。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2018031602000190.html

いつごろから始まったのか、少し前に知ったのだが、同じ東京新聞のWebサイトでも、スマホ閲覧用に編集されているらしいものもある。こちらは、写真も大きいし店の外観も載っている。
http://news.line.me/issue/oa-tokyoshimbun/7be7f59846c6?utm_source=Twitter&utm_medium=share&utm_campaign=none&share_id=NPf21190802021

今回は、新宿の石の家だ。本文にも書いたが、ここは上京した1962年の秋に初めて入ったと記憶している。

餃子のうまい店があるということで、誰かについて行ったのだと思う。それまで、この近辺に一人で行ったことがなかった。

新宿駅南口の甲州街道を御苑の方へ向かって下った、そのあたりは、夜は近づく気がしないほど、不気味な大人の町という感じで、とにかく歌舞伎町よりこわい感じの一角だった。

当時の東京の木造家屋は、どこも煤煙で汚れたような色をしていたが、この一角は、とくに薄汚れ感があり、建物も粗末なバラックに近いものがひしめいていた。夜はネオンも少なく、薄暗く、アンダーグラウンド感が半端じゃなかった。

石の家は、あたりではマシな建物で、普通の二階屋だった。一階のカウンターは、いつも一杯で、連れだって行くと二階に上げられた。民家の和室の部屋割にテーブルが置いてあって、そのどれかの部屋で、他の客と一緒に食べる。というぐあいだったと記憶している。

ふりかえって気が付いたのだが、そのときから、やきそばを食べ続けなのだ。行くと、ほぼ確実に、やきそばを食べていた。こんなに同じ店で同じものを食べているなんてことはない。タンメンもうまくてよく食べた。2、3人で行くと、やきぞば、タンメン、餃子は定番だった。

いわゆる「柄のよくない男たち」が多い街であり店である、と見られていた。甲州街道をはさんで反対側に場外馬券売り場があって、そこの男たちが、街頭や店にたむろしていたからだ。当時は、競馬を犯罪の温床のように見る向きもあり、ま、ある種の見方からすれば、まるで根拠のないことではなかったが、偏見も強かった。

とにかく、ここのやきそばは、ときどき思い出しては、食べたくなる。

ほかの一品料理もうまいのだが、いつもやきそばが優先されてきたので、あまり種類を食べてない。

焼酎が以前からキンミヤだった。それがキンミヤであると知ったのは、比較的新しいことで、いつごろだったか、1990年代始めごろだろうか。それまでは銘柄など気にせずに、ようするに普通の焼酎と思って飲んでいた。いまだって普通の焼酎には違いないはずなのだが。新宿でキンミヤは、ここ以外は知らなかった。

店舗は、前の薄汚れた木造の建物から、今のビルになる前があったような気がするのだが、あるいは前の建物をリニューアルしていたのかも知れない。とにかく、今のビルになる前があったような気がするのだが、思い出せない。そのカウンターに座ると、店の人も競馬をやっているし、競馬好きの男たちの面白い話が聞けた。

昨年末、中原さんとここで飲んだ。中原さんとは、前にもここで飲んでいる。彼も若い頃から利用しているのだ。あれこれ料理をつまみ、やっぱりやきそばになった。

今回は3月早々に行ったのだが、店内が一新されていた。2月の末にリニューアルしたのだそうだ。

ビルの外観のような、真っ白の店内、テーブルトップまで白。石の家の象徴のような昭和なオヤジ猥雑感が完全に払拭され、いまどきのオシャレなカフェのような……。が、しかし、煙草プカプカのオヤジカラー前面の男たちであふれていた。

一時、70年代だったと思う。東口のお多幸の前に出店したことがあったが、いつのまにか無くなった。

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2018/03/24

鬼子母神通りみちくさ市で「地下アイドル」世界を垣間見る。

前のエントリーの最後に書いたように、去る18日の日曜日は、わめぞ一味が企画運営する鬼子母神通りみちくさ市へ行った。

今回は41回目で、今年2回目の開催だ。1回目は1月27日だったのだが、都合が悪く行けなかった。今年初参加だ。

参加といっても、おれは、古本フリマをながめ、みちくさ市連続トークをのぞき、最後に打上げで飲むだけ。

とくに連続トークを楽しみに行った。

というのも、前回から「談話室たまりあ ~ステージ上の「私事」と「仕事」~」という通しタイトルが始まっているのだが、「たま」とは姫乃たまさんのことで、「りあ」とは小泉りあさんという、おれにとってはイメージだけでほとんど認識のない「アイドル」だの「地下アイドル」だのという世界の人なのだ。

きっと会場は、むさくるしい古本好きの連中じゃなく、アイドルにあこがれアイドルをめざすカワイイお姫様たちばかりなのだろう、と、期待して行った。

ところが、10分ほど遅れて会場の扉を開けると、なんと、会場はむさくるしい若い男たちばかりなのだ。

どういうことなのだ!

とにかく始まっていたトークをきく。今回は、「チーム活動と個人活動」がテーマで、アイドルでもグループで活動するスタイルとソロで活動するスタイルがあり、その長所や短所などを話し合うということなのだ。

なにしろ「アイドル」だろうが「地下アイドル」だろうが、歌とダンスをするチョイとかわいい女の子ぐらいの知識しかないおれだが、話をきくうちに、歌とダンスはショーの部分で、それが大事なのはもちろんだが、「アイドル」が「アイドル」たるゆえんは、ある種の「恋愛ごっこ」といっても性的な意味ではなく、ファンと「あったかい関係」をどう築くかが商売の要らしいことが見えてきた。

自分を、愛されるキャラクターとして商品化する。歌もダンスも、表情から話の内容も話し方まで、その一環なのだ。アニメの作品の中のそれではなく、生身ですぐそばにいて言葉もかわせ握手もできたり、一緒に写真に写ることもできるアイドル。

連続トークは昨年までは、「作品と商品のあいだ」がテーマだったが、今回は生身の人間と商品のあいだという感じで、ようするに「商品化」の問題なのだな、と、おれは考えながらきいた。

しかし、客つまりファンもまた生身の人間だから、めんどうがある。「出禁」という言葉が使われていた。つまりアイドルとファンの関係を維持するために「出禁」も必要になる。そして「いいDNA」を自分のまわりに育てていく。これは自身の商品化と密接に重要なことらしい。

おれはスナックのママと客の関係を思い浮かべたりしたが、アイドルのほうが、ビジネスとしてはもっと洗練されていて、システム化あるいはパッケージ化されている。それは、トークが終わってから目撃することになった。

トークは、いつもより短い時間で終わったのだが、それからが本当の、アイドルとファンの時間だった。会場にいた男性は、たまちゃんとりあちゃんの前に並ぶ。

アイドル側からは「物販」の時間なのだが、インスタントカメラでの撮影がある。ファンはアイドルにポーズをとってもらい撮影したり、アイドルと並んで写真に撮ってもらったりする。1枚500円。言葉をかわし握手したりする。自分を愛されるキャラクターとして商品化した結果は、この売り上げにシビアに反映するわけなのだ。

おれのように初めて見る者にとっては、興味津々の景色だった。

「いいDNA」のファンばかりだったのか、見ていてとても微笑ましいものがあった。

しかし、これ、大変な能力がいるビジネスだ。表現の能力だけではなく、他者との距離や関係をきちんと考えて、こなさなくてはならない。

彼女たちは、広報や宣伝の仕事についたら、いい成果をだすのではないかと思ったりした。

おれもときどきやっている、モノカキたちのエラそうなトークとまったくちがう。

だいたい、あれだ、ナントカという雑誌に書いています、とか、ナントカという新聞で連載しています、なんていうのを「肩書」のように使うようになったら、メディアによりかかり人間としては堕落している証拠だな。彼女たちは、若いのに、自らをメディア化し、自立している。

とにかく、次回のトークも都合つけて行きたい。

18時からは、いつものように、サン浜名で打ち上げがあった。それまで時間があったので、東十条の「天将」で一杯やって時間をつぶしてから参加した。

今回は、おれの前の人とおれの隣に座った人とおれも口をはさんで、「改憲」「反日」をめぐって、けっこう激しい議論になった。もちろん決着はつかないのだけど、もみあいを避けるよりは、はるかによいし、だいたい面白い。人間は、いろいろだ。

小さなもめごとから、大きなもめごとまで、もみあいが次のステージを生む、というのは、利害が対立する国やグループ間などで普通に行われているし、「市民」レベルでも当然だろう。

もめごとといえば、おれたち3人がああだこうだ言っていると、突然、おれの隣の人の隣の女性が泣き出したのだ。それも、みごとな泣きっぷりで、泣きじゃくりながら何かを言っては「わーん」という感じで泣く。以前、知り合いに飲むと泣きだす「泣き上戸」がいたのだが、それと同じような泣き方なのだ。

そのうち、彼女の向こうの隣の男性が、こずいたのかどうかしたのか、彼女は「いつも暴力、もういや、わーん」そのうち「もう我慢ならない、わーん、警察よぶ、わーん」という感じになり、携帯を持ってうずくまり、ボソボソボソ、本当に警察に電話をしていたらしい。

そのころには、もうおれもだいぶ酔っていてよく思い出せない。パトカーが来たらしいが、何事もなく、済んだようだ。ま、長屋のいさかいみたいなものか。

山田参助さんが来ていて、帰りも一緒に東池袋駅まで行った。前にも何度か会っているが、いつも遅く、おれは酔っている時間にあらわれているのではないかと思う。

せっかく会えたのに酔っていて、自分でもわけのわからないことを話しているなと思いながら、それでも、これだけはききたいと思っていたことをきいたのは、覚えている。いや、どうきいたかは思い出せないが、「あれよ星屑」は、自分の近親者の体験談などがもとにあるのか、ということだったと思う。そうではないということだった。それで、なぜか、やっぱり、よかった、と思ったのだった。という記憶はある。

みちくさ市、わめぞ、いつも何かあって、面白い。「多様性」というのは、頭ではわかっていても、本当に人間っていろいろだなということを骨身にまで実感し認識する機会というのは、あまりない。とくに認識が欠けやすい。

たいがい、なんとなくおさまりのよいイメージの範囲に、知らず知らずのうちにセルフコントロールしている。わめぞのみちくさ市へ行くと、そのことに気づく。

今回、おれは、いま考えていることにドンピシャの古本を買った。なんというよいタイミング。その本については、明日書こう。五十嵐泰正さんの『原発事故と「食」』(中公新書)に深く関係する内容なのだ。

当ブログ関連。
2017/11/22
鬼子母神通りみちくさ市、ノイズとカオスとDIY。

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2018/03/22

「新しい骨董」ボトルキープ100本記念飲み会@浦和ねぎ。

先週17日(土曜日)、「新しい骨董」の人たちが来て浦和で飲み会をやるというので、主催のくまさんから誘いがあり参加した。前にも同じような誘いがあったのだが、都合がつかず初めての参加だった。

会場は、浦和のねぎ。正式には、「串焼亭ねぎ」浦和店だ。ねぎのほかの店には入ったことがあるが、ここは初めて。深谷市から始まった店なので「ねぎ」という、と、くまさんに聞いた。なるほど。

「新しい骨董」というのは、以前に書いたことがあると思うが、世間的にはアーチストグループってことになるんだろう、メンバーは山下陽光、下道基行、影山裕樹の3人。影山下道と、漢字の尻とりでつながる。それぞれ福岡、名古屋、都内に住んでいる。それぞれ「職業」も違う。

その3人が浦和に来て飲むことになったのは、行ってから知ったのだが、浦和ねぎでキンミヤのボトル7合瓶を続けて100本キープすると2升5合瓶をもらえるというサービスがあって、「新しい骨董」で100本を突破したからだった。

19時スタートに間に合うように着くと、その2升5合瓶が出てきた。初めて見た。すごい迫力だ。

「新しい骨董」のボトルキープは、誰が飲んでもよい、ただし、飲み空けたら必ず次のボトルを入れておく、という仕組みで、浦和周辺で続いている。ときどき遊びに行く北浦和の居酒屋ちどりでは、46本目になっているそうだ。

「新しい骨董」の活動は、ほかにもあって、「裏輪飲み」というやつだ。これは100円ショップで300円で売っているマグネット付きの四角いプラスチックのカゴを裏返しにして、ところかまわず街中のシャッターなどマグネットが効くところに留め、その上にアルコールやツマミを置いて囲んで飲むというもの。

どちらも、2016年のさいたまトリエンナーレを契機に、さいたま市の浦和区を拠点に始まったらしいのだが、じわじわ広がっている。

この仕組み、とりあえず安く飲めるという、参加ハードルが低いのがいいし、まったく知らなかった人たちがつながっていきながら、普通に生活していると縁がなくなっている地域の中間的なコミュニティが形成されていくところが、すごく面白い。

それぞれの店と客というつながりをこえて、人びとが交差する。そこに、いろいろな「遊び」が生まれ、またそこで知らなかった人がつながっていく、という感じなのだ。

それぞれの店と客の関係を超えた、面白い動きが生まれている。

それは「共考」「共生」の場としても機能し、辛気臭い「地縁」とはちがう、生き生きとした人間関係が育つ。と、最近、五十嵐泰正さんの『原発事故と「食」』(中公新書)を読んで、「共考」「共生」は、やはり地域コミュニティが基本だよなあと思っていたこともあり、今回とくに強く感じた。

とにかく、30人ほどが集まって、盛大な飲み会になった。大ボトルには参加者全員が寄せ書きをした。会期はいつからか忘れたが、場所は広島現代美術館かな?での「新しい骨董」展に、これも出品する予定とか。

途中で山下さんに「インタビュー」されて、まだあまり酔っていなかったけど、酔ったようにいい加減な話をしていたのではないかと思う。

おれはもともと「昔はよかった話」にはあまり興味がなく、いまが、昔と比べてよいかどうかの問題ではなく、とにかく、いまが面白いと思っている。それは、「新しい骨董」のように、面白いことをしようという人たちが、たくさんいるからだろう。

少なくとも、「自分の人生を歩こう」という、おれはこれを勝手に「インディーズ精神」「インディーズ文化」と呼んでいるのだけど、そういう人たちの活動は、アノ「昭和」よりはるかに自由で活発になって、あちこちに存在している。それはレベルもいろいろだけど、お互いの生き方を認めあい尊重する流れは大きくなってきた。

たとえば、昔は映画館がもっとたくさんあって、もっとみんなが映画を楽しんでいた、というけど、昔は、それぐらいしか楽しみがなかったのであり、それも国民的には「正月映画」なるものが存在したほどで、メディアの「送り手」と「受け手」は、はっきり分かれていた。

そういう意味では、「私つくる人」「私みる人」というアートの関係も、変わった。誰でも表現者になれるし誰でも表現者なのだ。

ま、価値観の押しつけと盲従はなくならないのだけど、そういう人たちとは違う動きの広がりがあるわけだ。

それが面白くてたまらん。「新しい骨董」など刺激的に面白い。

ということで、23時まで、しっかり飲んで、ああだこうだしゃべり、楽しく過ごした。最後に店の前で記念写真を撮った。いい感じだった。

そうそう、これまで北浦和や浦和で遊んでいても、ここ東大宮の人とは会ったことがなかったが、初めて一人いた。東大宮での「新しい骨董」ボトルキープは、二つの酒場であったようだが、継続されていないらしい。これからだ。

この17日の翌日18日は、みちくさ市へ行った。一昨年のみちくさ市で、「新しい骨董」の人たちと初めて会ったのだった。

今回のみちくさ市も、これまた、すごい面白かった。まさに「共考」「共生」の場であり、素晴らしい。初めての「地下アイドル」。改憲議論もあったし、パトカーの出動まであった。そのことは、また明日。

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2018/03/16

共生。われわれはみな〈社会的〉に食べている。

思いつくままに、前のエントリー五十嵐泰正著『原発事故と「食」』(中公新書)がらみのことなんだが。

五十嵐さんとおれは、2013年2月3日 に、『みんなで決めた「安心」のかたち――ポスト3.11の「地産地消」をさがした柏の一年』刊行記念イベントとして、「どうすれば『みんなで決める』ことができるのか?」「『いいモノ』食ってりゃ幸せか? 我々はみな<社会的>に食べている」という公開の対談をしている。

その内容は、こちら『SYNODOS-シノドス-』に掲載になっていて、ごらんいただける。
https://synodos.jp/society/3222

「社会的に食べている」は、なかなか実感としてわきにくいだろうと思う。想像がわきにくいというか。それは「当事者」と「部外者」の感覚のちがいにもなりやすく、それが分断の根になったりする。

「分断」というのも、なかなかわかりにくい。本書=『原発事故と「食」』は、「分断された言説空間」とか「社会的分断」という表現を用いている。

世間には、さまざまな「対立」や「ギャップ」や「差異」や「因縁」や「偏見」や「優劣観」や、とにかく「分断」の根になりかねないことがたくさんある。

五十嵐さんは社会学者だが、おれは一介のフリーライターで、なんについても素人だから、そのあたりをごく気楽に考えると、「分断」なんか気にせずに、本書にもあるが、とにかく何事につけても「共考」「共生」でいきましょうよ、という姿勢が日ごろから大事なんじゃないかと思っている。

今日も先ほどスーパーへ行って来た。そこでフト考えた。

スーパーというシステムは、なるべく属人性を排しながら成り立ってきているので、「共考」「共生」という感覚がわきにくい。従業員とも売場主任とも店長とも口をきいたことがない。誰がそうなのかもわからない。

それが個人商店だと、立ち話でもして、「今年のカツオは高いねえ」「獲れねえんだよ。このカツオはさ、千葉産でいくらか安いかな」「すると勝浦かな、地震の前だったら小名浜に揚がったやつかも知れないね」「そうなんだよ、こっちはどっちだっていいんだけどね」といった話しを店主とかわして(実際、先日そういう立ち話をしたのだが)、それが「共考」「共生」を実感するベースになったりする。こういう話をしていると、ああ自分たちも原発事故の「当事者」なんだと思う。

が、しかし、今日スーパーの店頭で考えたことは、そういうことではなかった。

スーパーというのは、たくさんの消費者と「共生」しているはずだけど、とくに客の方は「共考」「共生」の関係にあるという認識は薄い。それは先に述べたスーパーのシステムの問題でもあるが、ひとり一人が資本主義社会やそのシステムについてあんがい知らないということも関係するだろう。

資本主義やスーパーを主体的に理解しようという機会も、あまりない。生まれたときから資本主義とそのシステムのなかで生きていながら。

大きなシステムで動いているわりには、そのシステムについては、わりと無関心なのだ。それで、なにかコトがあると、クレームをつけたり、ひたすら不信感をつのらせたりする。

だけど、スーパーも人間が動かしている。「なるべく属人性を排しながら」のシステムというのは、カンジンなところは人が握っている。たとえば、バイヤーがいる。いまどきの金融取り引きはAIだのと言っているが、鮮度が大事な食品は、そうはいかない。そのうちにどうなるかはわからないが、かなり自動化がすすんだとしても、バイヤーはなかなかなくならないだろう。

スーパーを含めた流通業者は、とかく「利」だけで動いているように見える。実際、そうなのであり、コンマ以下のパーセントが利潤に影響を与える商売だから、それはもう細かい。だけど、同時に、たいがい消費者と生産者とのあいだにあって、「共存共栄」を追求する姿勢もある。それがなくては商売が成り立たないからだ。

ところが、生産者と消費者は、スーパーと売買取り引きだけの関係になりやすい。消費者は、スーパーなんか生産者のあいだに入ってピンハネしているだけだろうと思っているし、生産者も消費者のあいだに入ってピンハネしているだけと思っている。

実際、スーパーのバイヤーが生産者に憎まれるほど嫌われている例を、けっこう目の当たりにした。この場合の生産者は農業者だが。

で、今日スーパーで思いついたことは。

やっと、その話だ。

『原発事故と「食」』は、「復興」のためのマーケティング的アプローチについて述べているが、そのマーケティングの対象は主に消費者であったり、生産者の「個別の商品の市場特性をふまえたマーケテイング」であり、流通業者はあまり意識されてないのではないかという気がした。スーパーは視野の外側という感じもある。

それはたぶん、消費者が動けば、スーパーも福島産を扱うようになる、という考えなのだろう。

それは真理だろうけど一面であり、スーパーは消費者の反応に敏感ではあるが、最も実利的であると同時に共存共栄の理念を共有しうる太いパイプであることにかわりない。そして、スーパーは人間が動かしているのであり、バイヤーがその気になると、大きく動くことも事実だ。

声をかけていかないかぎり振り向いてはくれない。

なにはともあれ、それはマーケティング的にはチャネル政策の課題になるだろうけど、根本的には自分が生きている資本主義社会とそのシステムに主体的に関わる課題ではないか。

なーんてことを考えながらスーパーで値引きシールのついた商品を探して買ってきたのだった。

このあいだ、何度も高円寺に通っていたとき、JR高円寺駅の改札出口で福島物産展をやっていた。たぶん1週間ぐらいやっていたと思う。野菜が中心で、たくさんの人が買っていた。

本書に書いてある原発事故の風化により、「何となく悪いイメージ」が固定化しそうな中で、人通りの多いところで福島の幟旗を掲げ人だかりをつくることは、「何となく悪いイメージ」の払拭になるような気がした。ま、それは手間のかかることではあるが。

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2018/03/11

3月11日だから、五十嵐泰正著『原発事故と「食」』(中公新書)を読んで考えた。

「大上段に振りかぶった脱原発論でも複雑な科学論議でもなく、安易に「福島の声」を代弁するのでもなく、まずは生活者・消費者として、2011年3月から自分が何かに悩み、憤り、悲しい思いをしてきたのかを振り返ってみること。そのときどきに下した一つひとつの小さな決断が、どういう意味を持っていたのか、あらためて考えてみること。/原子力発電を、肯定するのであれ否定するのであれ、いまこの社会に必要なのは、一人ひとりのこうした省察と、日常的な場でそれを話しあってみることだと、私は強く感じる。結果として出てくる答えは、読者の数だけさまざまであろうが、この本で提示したデータや論点が、その思考の一助となることを願っている」

著者の五十嵐さんは、本書の最後の終章「そして、原発事故の経験をどう捉えなおすか」を、こう締めて終わっている。ちなみに、終章の前は第4章「最後に残る課題」だ。

今日は、2011年3月11日から7年目だ。あれからを振り返るには最適の日だ。だからまあ、まだもっとよく読んでから書くべきかなと思いながら、とりあえず、これだけは今日中に書いておこうか、ということなのだ。

東電原発事故後の食をめぐる混乱は、いまも続いていて、その全貌はつかみにくい。本書の著者は社会学者であり、その混乱をもろに被った千葉県柏市の住民だ。

柏市は都市近郊農業が盛んなところだが、突如「ホットスポットの町」になり、「買い控え」被害にさらされた。生産者と消費者のあいだには不安や不信が広がり、分断が深刻化しつつあったなかで、その克服のために「「安全・安心の柏産柏消」円卓会議」が生まれ成果をあげた。その活動は『みんなで決めた「安心」のかたち』(亜紀書房)にまとまっているが、著者は同じ五十嵐さんで、その活動のリーダーとして活躍した。

その「当事者」としての経験が、本書を書く動機にあると読めるし、またその経験があってこその本書だとも読める。序章「分断された言説空間」は、「ホットスポットとなった柏での経験」から始まる。

その経験のポイントは二つある。

一つは、原発事故以後の問題群を【科学的なリスク判断】【原発事故の責任追及】【一次産業を含めた復興】【エネルギー政策】の4つに分け、それぞれを「切り離し」議論し対策する考えだ。これらは相互に絡みあっているのだが、あえてわける。そして、「「風評」の払拭という【一次産業を含めた復興】についての議論に集中しよう」ということなのだ。

二つめは、マーケティング的アプローチだ。つまり実際に日々、生産したり売ったり買ったりの関係のなかでの解決を図ることだ。売り上げの回復こそが「復興」なのだ。市場の事情と動きは、ものによって異なる、一様ではない。そこを把握し個別に対策し成果をあげるためにもマーケティング的アプローチは有効だ。

国会にならえば、国政レベルのことは何でも討議できる予算委員会ではなく、個別の委員会の一つ、というのが本書の役割だろう。もつれた糸をもつれたまま議論していても、議論で食べている人はいいかもしれないが、実際に日々ものを作ったり売ったり買ったりで成り立っている生活は、不安が増すばかりで見通しが立たない。

とはいえ、柏と福島では、かなり状況がちがう。著者は、そのちがいと類似性を詳細に検討し、ときには個別の食品について対策の提案もする。著者は、柏の経験を生かして福島で復興の活動をしているグループのアドバイザーもしているから、どの話も具体的だ。そのデータは多岐にわたり豊富で、データの整理は学者らしく、さまざまな方法論やモデルを活用している。それだけでも、さまざまな問題解決に有用な知見がたくさんある。

福島県の具体例は、「地域創生」というテーマから見ても、なかなか興味深い。考えてみれば、「復興」は「創生」でもあるのだ。地方の産業は大きな課題を抱えているが、その問題が福島では先鋭的にあらわれている、と見れば、本書の「切り離し」とマーケティング的アプローチは、書かれている以上に多くの教訓やヒントに満ちている。

本文210ページのうち126ページまで、序章「分断された言説空間」、第1章「市場で何が起こっていたのか」、第2章「風化というもう一つの難題」は、マーケティング的アプローチの具体的な話が大部分を占める。

第3章「社会的分断とリスクコミュニケーション」から、様子がちがってくる。つまり「マーケティング的解決から取り残されるもの」に踏みこむのだ。これは「市場」というより「人間」レベル、「社会」と「個人」そして「個人」と「個人」の関係になるだろう。

「リスクコミュニケーション」という言葉は、一般的にはなじみのない言葉だが、よく読むと、ようするにリスクをめぐっても、人としての普通のコミュニーケションを大切にすればよい、ということのようだ。著者は、リスクコミュニケーションの重要性を提唱してきた社会心理学者・木下冨雄のリスコミに関する定義を引用しながら、「ポイントは、「共考」して、「問題解決に導く」という点だ」と指摘する。

共に考える。この姿勢は、コミュニケーションのイロハのイだろう。だけど、それが簡単でない。他者を自分の知見や価値観などに従わせるのがコミュニケーションだという勘違いはざらにある。ちょっと疑問や批判を出しただけで「敵」にされる「友/敵」関係が、けっこうはびこっている。

おれの考えになるが、こういう抑圧的なコミュニケーションは、「食」をめぐっては、とくに頑強な積み重ねがあり、まっとうなコミュニケーションが難しい土壌があるところへ、放射線リスクの問題だった。

「共考」によって信頼関係を築く。それが混乱と分断を固定化させないためにも、混乱と分断をのりこえるためにも必要だ。著者は、チェルノブイリ事故の深刻な影響を受けたノルウェーまで取材し、説得力のある事例を展開する。説得力はあるが、日本のコミュニケーションの実体は、そこからあまりにもかけ離れていることも、実感する。

「どのような意見であっても間違いと決めつけない」「最後まで、きちんと話を聞く」ということが、日本ではどんなに難しいか。「異なる他者への寛容性」など、とっても難しい、絶望的に難しい。だいたい、合理的でない選択についても、ちゃんと耳を傾けなくてはならないのだ。だけど、そこをこえなくてはならないのだなあ。未来のためには。

というわけで、福島については、「いたずらに福島に関わることのハードルを上げるのではなく、さまざまな立場や考えかたの人に広く開かれた復興の道を歩んでほしい」と、著者はいう。

だけどね、ハードルを上げてエラそうにしている人たちが、「食」の分野では少ないのだなあ。それこそマーケティングやブランディングも関わって、ハードルを高くするほどよろしいかのような、そして、そこにハードルをこえられるものとこえられないものの分断も、そろそろ固定化しつつあるようにも見える。

なにはともあれ、日ごろ自ら関わっているコミュニケーションも含めて、2011年3月11日を境に経験した、迷いや屈託や傲慢や無関心や興奮やというレベルから、自分のあれこれを捉えなおすことなのだ。そうして、自ら一つひとつを確認しながら積み重ねるしかない。本書は、その手助けになる。

第4章「最後に残る課題」、終章「そして、原発事故後の経験をどう捉えなおすか」では、著者の「真情」らしいことが控えめだがあらわれる。その「真情」は、著者が柏で当事者としての味わった苦悩や切なさだったのだろうと想像がつく。それは、放射能リスクをめぐって「分断」を真のあたりにした、一人の真摯な社会学者の身が裂かれるような思いだったのではないか、と。

その分断が、福島をめぐって、もっと大規模かつ深刻に表出した。だから、著者はじっとしていられなかったのだろう。

本書は、これほどしちめんどくせえことはない混乱している分野で、議論の場を買って出たようなものだ。よほどのことだ。だけど、無視する人はいるだろう。疑問や批判は、いろいろ出るだろう。

おれの一つの懸念は、本書は「右」でも「左」でもない「中立」の書として読まれる可能性があるし、すでにそういう向きの感想もある。だけど、「右」でも「左」でもない、ではなく、「右」も「左」も包括しうる姿勢であるところに、本書の意義があるのではないかと思う。

差別は排除するが、それ以外は、不合理があっても排除はしない。耳を傾ける。

「食」についていえば、それぞれの選択を無条件に尊重する。「無条件」という言葉を著者は使っていないが。

寛容の試練は、著者だけではなく、共に負うものなのだ。難儀だけどね。

そう何度もあってはならない経験を無駄にしないためにも。いまを生きる一人の人間として、そう思うわけだ。

当ブログ関連
2018/03/06
ものごとは多面的。
2018/02/18
「右と左」。

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2018/03/08

座・高円寺の「座」。

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高円寺に「座・高円寺」という名の施設がある。正式には杉並区立芸術会館。

3月と9月、半年に一回、「座」というフリーペーパーを発行している。

デザインが有山達也さんとアリヤマデザインストアの岩淵恵子さん、写真が齋藤圭吾さんで、文章の担当は各号のテーマによって変わる。

18号まで発行されていて、この3月に発行の19号は「定食」がテーマだというので、おれに声がかかった。

北九州市の『雲のうえ』の食堂とうどんの号の文を担当したとき、有山さんと齋藤さんと一緒に仕事をしている。ま、ほかにもあれやこれやあったが。

去年の11月に最初の打ち合わせが始まった。メンバーには、座・高円寺の広報担当の方が加わっている、というか広報担当の方が責任者だ。

アンケートの候補の中から40数店だったかな?そこから10数店にしぼり、12月にロケハン、最終的に7店になり、1月に取材のほとんどを終え、今日まさに校正が終わるところ。

この「座」が、タブロイド判なのだ。

タテ407ミリ×274ミリ、そこに齋藤圭吾さんの写真がドーンと載る。

「雲のうえ」27号カレー特集と、「座」16号カレー特集を一緒に撮影してみた。「雲のうえ」はB5変形判。

思いっきりグラフィックなやつ。紙が、なんていうのかな?コート紙なのか? チョイとバター臭い渋さが出る。

おれの文は、これまでの延長線上ではあるが、チョイとちがっていると思う。まだまだだが、それなりの文体らしいものになってきたかな、という感じだ。

これ、でも、これまでの延長線をさらにブラシアップしたのだから、いまどきの日本では「売れない方向の文」の典型みたいになったかもしれない。ヤバイことだ。

内容については発行になってからにする。「定食」がテーマなので、大衆食堂の定食だけではなく、いまどきのオシャレ系や意識高い系の定食もある。多面的重層的なのだ。

今月末に発行の予定。

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2018/03/06

ものごとは多面的。

ひさしぶりにネットをウロウロした。ツイッターも昼間からシラフでのぞいた。

その伝手でたどりついたのが、これだ。かなり刺激的な内容。これは、なかなか面白い。

「ジェームス・フェラーロとショッピング モールの美学」のタイトルで、「消費者文化を映し、崩壊するアメリカンドリームのイメージを暴く、電子音楽家との対話」というサブタイトルがついている。文は、 Robert Grunenbergという御方。
https://www.ssense.com/ja-jp/editorial/culture-ja/james-ferraro-and-mall-aesthetics?lang=ja

『欲望と消費』を思い起こさせる。『欲望と消費』のこれから、という感じになるかな。

現代の食文化は、現代の消費文化や資本主義や民主主義と深く関わっている。これからどういうスピードでどう動いていくか。

このあいだから、五十嵐泰正さんの『原発事故と「食」 市場・コミュニケーション・差別』を読んでいる。ゆっくり、よく咀嚼しながら読んでいる。これは、根本的には、日本の「オーガニゼーション」と「コミュニケーション」が抱える問題になると思う。

五十嵐さんの著作は、そこそこ読んでいるけど、あまりにも分析と整理がうまいため、すらすら読めて、簡単に五十嵐さんに同化してしまい、自分は五十嵐さんと同じように「正しい見方」をしているもんね、という感じになってしまうキケンがある。それでは五十嵐さんの労作がむくわれないだろう。そうならないよう、よく咀嚼しなくてはならないのだ。ま、おれの頭のできがよくないこともあるが。

さきほど、ツイッターでエゴサーチなるものをやったら、『大衆めし 激動の戦後史』がヒットした。

先月のツイートだが、ツイッターもあまり見てなかったし、エゴサーチも長いことやってなかった。

この本のことだけではなく、備忘として残しておきたいツイートだったので、ここにまとめておきたい。

ツイートされていたのは、このアカウントの方だ。『食に淫する』は、タイトルだけは知っていたが目にしたことはない。

シャマダマ●
@syamada0504
『食に淫する』の制作に関わっています(モデル・寄稿・アシスタント)。日本文学研究。
http://aoi-monday.hatenablog.com/

この方が、以下のようにツイートしていた。江原恵の『庖丁文化論』にも、おれが好きな作家、津村記久子にもふれている。

とにかく、言及ありがとうございました。


https://twitter.com/syamada0504/status/961238094878998528
シャマダマ●
‏ @syamada0504

2013年に3冊の食に走る力線を浮き彫りにする本が出ている。畑中三応子『ファッションフード、あります。』(3月)、遠藤哲夫『大衆めし 激動の戦後史』(10月)、速水健朗『フード左翼とフード右翼』(12月)。2008年から連載されたこの仕事で、畑中はファッションとして食べてきた
22:59 - 2018年2月7日

シャマダマ●
‏ @syamada0504

1970年代以降の日本人の姿と、何が人々を動かす情報を作り出していたか、を大きく示した。速水が若い書き手として現状分析とマッピングを行うのに対して遠藤は70年ごろからマーケティング業界に身を置いた経験を踏まえて実感的に、また明確な地に足のついた「大衆」という問題意識を持つ。
23:00 - 2018年2月7日

シャマダマ●
‏ @syamada0504

『ファッションフード』がある意味一番「使える」のだけど、佐藤亜沙美(コズフィッシュ、ADに祖父江慎)のデザインも素敵な本としての魅力も兼ね備えている。3月に文庫化されるが、どうなるのだろう……。ちくま文庫から。解説は平松洋子。
23:02 - 2018年2月7日

シャマダマ●
‏ @syamada0504

「帝国のない未来を、もっと想像してみることにしよう」と呼びかける遠藤哲夫『大衆めし 激動の戦後史』は、何も思想的な闘争に誘っているわけではない。あくまでも「野菜炒めをつくり食べながら」。思想に先導/扇動されて食卓を明け渡し、自らの身体を植民地化する食べ方を批判する。
1:50 - 2018年2月11日

シャマダマ●
‏ @syamada0504

「大衆めし」という視点に拠って、日本料理が日本"の"料理ではないこと、食の薀蓄語りの貧しさ、スローフードや食育の言説が弄ぶ欺瞞が照らし出される。思想性やモノの豊富さから、食べるメチエによる豊かさを奪取せよ。「大衆めし」とは大地に接し、食べる身体を拠点化するための批評装置である。

https://twitter.com/syamada0504/status/968089007367192576
シャマダマ●
‏ @syamada0504

「水の月や砧巻は、変革期特有の料理人の類型的なレトリックである。そしてこのレトリックは、産業資本の確立がもたらした変革が、伝統的庖丁文化と交差したところに生まれた、一種のデフォルマシオンであり、料理人のモダニズムでもあった。」(江原恵『庖丁文化論』)

シャマダマ●
‏ @syamada0504

庖丁さばきを貴ぶ日本料理は食物を空疎化し、観念に拝跪せしめる権威主義に堕した。それとともに料理は家庭と料理屋に分断され、料理の概念もどこかに紛れてしまった。そうした情勢に、江原は大地へ向かうよう提起する。割から烹へ。烹のはじまりへ。言葉遣いからも芬々たる詩人による料理批評の奇書。
20:43 - 2018年2月26日

https://twitter.com/syamada0504/status/969214353227505664
シャマダマ●
‏ @syamada0504

津村記久子「粗食インスタグラム」をやっと読んだ。単行本には未収録で、『群像』2015年9月号に掲載。たしか藤原辰史との『ナチスのキッチン』にちなんだ対談で名前が挙がってて、きれいで美味しそうじゃない食べ物をインスタグラムに投稿したら?という発想に興味を惹かれて読みたいと思っていた。
23:14 - 2018年3月1日

シャマダマ●
‏ @syamada0504

しかし一発ネタじゃなかった。一日目の投稿は「クラッカー+水」だけれど、そうなった理由(何を食べればいいか分からなくてスーパーで二時間以上浪費した上、コンビニに行っても選べなくて最終的に無色な「水」に辿り着く)がみっちり書かれてるのがいい。翌日は「ソフトクリーム+コーンスープ」。
23:15 - 2018年3月1日

シャマダマ●
‏ @syamada0504

ネカフェの「食べ放題」に「なんだったら食べなくても良い」オープンさを感じて安心する。「私は、ソフトクリームを慎重に器に出して、コーンスープをマグカップに入れ、オープン席のテーブルの上に置いた。そしておもむろに携帯で撮影した。頭も体も悪そうな感じがしたが、不幸せそうではなった。」
23:16 - 2018年3月1日

シャマダマ●
‏ @syamada0504

書かれているのは食べ物がまわりに溢れて選択できるからこそ下さなければならない「判断」の苦しさ。「私」は「判断」する仕事をしていて、だから「その外では、判断をしたくない」と思う。この情報過多の場所に置かれたときの、選別できない「しんどさ」を書いていて素晴らしかった。
23:16 - 2018年3月1日

以上。

津村記久子「粗食インスタグラム」を読んでみたい。

ほかに、相互フォローの関係なのに気がつかなかった。1年ちょっと前に『大衆めし 激動の戦後史』について言及されていた方がおられた。相互フォローだが、存じ上げない方だ。

https://twitter.com/skyshouk/status/816435485505486848
skyshouk
‏ @skyshouk

『大衆めし 激動の戦後史』は料理につきまとう観念は外した方が良いと教えてくれる。「あるものをおいしく食べる」(p192)というのが食文化で、そこを見すえた方がいいよと。
その他、コールドチェーンが食の流通において世界だけでなく、日本を初めて統合した(p43)などの指摘も興味深い。
9:06 - 2017年1月4日

skyshouk
‏ @skyshouk

skyshoukさんがPost Foodをリツイートしました

前に言及した『大衆めし 激動の戦後史』を読んだ後では、彼女が生活に根ざした料理を作っていたと思しきこと(そしてそれが彼女があまり知られていなかった理由であると示唆されていること)が興味深い。

skyshoukさんが追加
Post Food
認証済みアカウント @WaPoFood
Edna Lewis' classic cookbook zooms up the charts after 'Top Chef' tribute http://wpo.st/829Q2
17:03 - 2017年1月8日

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2018/03/05

東京新聞連載「エンテツさんの大衆食堂ランチ」64回目、東池袋・サン浜名。

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毎月第三金曜日に東京新聞に連載の「エンテツさんの大衆食堂ランチ」、2月16日の掲載は東池袋の「サン浜名」だった。

すでに東京新聞のサイトでご覧いただける。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2018021602000178.html

ここは、わめぞ一味が企画運営する「鬼子母神通り みちくさ市」の打ち上げで、夜は何度か行っていた。

2017/11/22「鬼子母神通りみちくさ市、ノイズとカオスとDIY。」に書いた、ジョッキのチュウハイをかぶったのも、ここ。わめぞ一味と共に、楽しい思いでのあるところ。

貸し切りの飲み会で、飲み放題を思い切り飲めた、いつも大量の料理が出てきた。ここのおやじさんは、大量に作って出すのを楽しんでいるように見えたし、みんながその豪華山盛りに歓喜する姿を、楽しそうに見ていた。

だからランチはどんなアンバイなんだろうと気になっていたのだ。

いやはや、おどろいた、こんなランチは初めてだ。

単なる「デカ盛り」とはちがう。

ただでさえ山盛りのおかずに、「二の膳」がつくのだ。その「二の膳」がこっている。リンゴの小さな一切れがついている。なぜか、うどんとおにぎりまでついている。

この「二の膳」はいつもつくのかとおやじさんに問うと、昼だけのサービスです、と、「どうだ!」という感じなのだ。やっぱり、客にたくさん食わせ、客がよろこんだりおどろいたりする姿を見るのが楽しみにちがいないのだと思った。

おかみさんには、初めて会った。とても気さくで楽しい愉快な人だった。店主夫妻とも、まったく着飾ったところがない。店内も、そう。

客は、いかにも大食いそうな男ばかりが一杯で、おれから2人目ぐらいに入った人は、ごはんが売り切れで断られていた。

サン浜名は、地下鉄東池袋駅そばの高速道路の下にあるのだが、真ん前の東池袋四丁目地域は再開発で以前の姿は空襲にあったように消えてしまった。

かつて1980年代、サンシャインシティの横にはファミリーマートの関東本部があって、仕事でよく行ったし、のちに事務所が東池袋公園の近くにあったことから、東池袋四丁目のへんは好きで、よくウロウロした。

Ikebukuro_asahi大勝軒は、そのころから行列ができる店だった。2度ほど入っただけ。ツケメンは、いまでもそうだが、あまり食う気がしない。都電東池袋四丁目駅そばに、小さな魚屋があって同じ建物で小さな食堂をやっていた。そこは何度か利用した。それから、朝日食堂があって、再開発後も営業していたのだが、どうなったんだろう。サン浜名のほぼ真ん前、東池袋4丁目の方へ入っていく路地の角には、古いインベーダーゲーム付きのテーブルのままの古い喫茶店があって、そこでよく時間をつぶした。そのへんは、まったく景色が変わった。路地だったところまで、もう「路地」とはいえず「道路」だ。

Ikebukuro_higasisyouten_2

東池袋4丁目あたりは、もとは「日の出町」であり、あまり大きくない古い住宅が密集するところで、駄菓子屋などがある日の出町商店街(日の出商店街といったかもしれない)があって、夕方そのあたりを歩いていると、銭湯帰りの人が店の人と立ち話しをしている景色も見られた。

わりといろいろなことが思い出される地域なのだ。

以前このブログにアップした、2006年撮影と思われる、東池袋4丁目の商店街と朝日食堂の写真も載せておこう。

日の出町は、巣鴨刑務所などが建つ東京と池袋の「辺境」だったが、巣鴨刑務所はサンシャインシティとなり、東池袋となり再開発で池袋に飲みこまれたようだ。

サン浜名は高速道路の下にあったおかげか、再開発されることなく、池袋に飲みこまれることなく、そのまま残っている。

小沢信男さんは、東池袋に住んでいたことがあり、よくこの近辺のことを書いていた。

2006/09/23
小沢信男「池袋今昔物語」と白っぽい再開発

2006/11/07
池袋辺境徘徊のち西川口いづみや

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