地元で「新しい骨董」ボトルキープ。
もう先月になってしまった。30日に、地元の昭和酒場コタツに「新しい骨董」ボトルキープをする飲みをしたのだった。
地元民のチエさんと三平さん、それにサチとおれの4名。おれ以外は勤めの帰りだから、18時半から19時ぐらいまでのあいだにバラバラ集まった。
まずはキンミヤのボトルをとるが、久しぶりなので、話が炸裂。チエさんのハイテンションに引きずられ、あの話この話。
考えてみると、ここ東大宮に引っ越して今年で10年になるが、最初に知り合った地元民がチエさんだった。
三平さんと会うのは今回が初めてだったが、ツイッターではフォローしあっていたし、ちょこっとだがチエさんから話を聞いていたので初めての感じがしない。
とにかく、東日本大震災では三平さんは住んでいた宮城で被災し、骨を何ヶ所か折る重傷を負い、死線をさまよったのち生還した。親戚の方は亡くなったそうだ。
あのときは、チエさんには三平さんという人がいるのを知らなかったから、地震発生の直後からツイッターでチエさんが不可解なツイートと動きをしているので、ナニゴトカと思っていた。ツイートしていることは「狂乱」という感じであり、とにかく交通手段のないなか、北へ向かっているということはわかった。そして、何日かして、重体だった誰かが死地はこえたことがツイートでわかり、とにかくよかったと思った。
話は自然に、震災や原発事故をめぐることになった。知り合い関係には移住した人たちが、けっこういる。放射能問題だけではなく、震災や原発事故から、これからの人生を考え直して移住した人もいる。埼玉には、被災地から避難してきていたが、そのまま定住する人もいる。
おれの知り合いでは、東京から南相馬に移住した直後に原発事故にあい、とりあえず彼の新潟の実家へ避難、その後南相馬にもどったのだが、まもなく突然亡くなった。ほかにも家族と西へ移住した後に亡くなった知人もいる。直線の因果関係は不明でも、大災害は、思わぬ負荷をあちこちにばらまく。それを個人で背負わなくてはならない。
負荷にも大小があって、とかく大きな負荷ばかり話題になりやすいが、大災害がおよぼす影響は、小さなトゲが一人一人の小指の先に刺さったような状態でも続いていることがある。大災害にかぎらず、とかく難儀が多い。
大上段にかまえることなく、そういうことを話し合いながら、トゲをとったりもみほぐしたりする場が、なかなかない。
今回は「新しい骨董」のボトルキープをしようと集まったのだが、そんなことがいいキッカケになったりするのだ。
いいねえ、このボトルキープ。「新しい骨董」のボトルは、誰でも飲めるけど、空けた人は必ず新しいボトルを入れてつなげること。それが新しい可能性につながる。
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2018/03/22
「新しい骨董」ボトルキープ100本記念飲み会@浦和ねぎ。
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