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2018/04/19

土浦+水俣から高円寺、「食」と「開発」と「復興」。

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どんどん日にちがすぎていく。とりあえず、濃い内容の出会いがあった、先週の13日と14日のことを、ちょっとだけメモ。

13日は、土浦へ。18時20分に土浦駅で待ち合わせだったが、ついでに40年ぶりかの土浦をぶらぶらしてみようと早く出かけ、13時半に土浦に着いた。けっこう歩いて一杯やって、待ち合わせ時間に『原発事故と「食」』を出版したばかりの五十嵐泰正さんと合流、『小さくて強い農業をつくる』(晶文社)の著者で久松農園の代表、久松達央さん「主催」の飲み会に参加した。会場は、笹揶、もちろん初めての居酒屋だが、いい居酒屋だった。

おれはひょんなことから五十嵐さんに付いて行ったもので、少し前に久松さんが熊本の水俣を訪ね、そこで知り合った方が久松農園に来園し、この飲み会になったらしいということぐらいしか知らなかった。

水俣からは、水俣食べる通信の諸橋賢一さんと福田農場の福田浩樹さん。久松農園の方のほかに、茨城の有機栽培の農業者、酒蔵の杜氏、茨城の地酒の販売に力を入れている酒屋のサトウさん、都内からコンサルタントやフードコーディネーターの方、などなど13名ほどの多彩な顔ぶれ。

久松さんと五十嵐さんをのぞいて、初対面の方ばかり。いろいろなことを、たくさん話し合い、たくさん飲んだ。

水俣は、あの水俣病から、いまは3代目が中心の時代だとか。水俣病の事件の最中には、生まれてなかった世代だ。「まだ(自分としては)水俣をこえられてない、まず水俣をこえたい」という諸橋さんから、現在の水俣や水俣に移住した自分の生き方について聞きながら、考えることが多かった。原爆事故のあとの道のりは、水俣と比べても、まだ始まったばかりだ。

振り返ってみると、おれが有機栽培や「自然農法」などの方たちと関わりを持ったのは、1980年代の後半の熊本でだった。福田農場の福田さんと話しているうちに、当時のことが思い出された。当時は、かなり特殊な存在だった「有機」は、やがて「オーガニック」といわれ流行現象を担うようになった。言葉も変わったが、農業全体が変化の最中にある。ま、「多様化」といわれたりもするが。その変化についていけてないのが、アンガイ、情報の中心にいるとカンチガイしている都会の消費者であり中央の風をふかしているメディアと、その周辺の人間たちなのだなという感じがした。

久松さんのおかげで、楽しく有意義な時間をすごせた。久松さん、ありがとうございました。

帰りの電車のことがあるので、22時ごろ早退。こんどは久松さんの農園を訪ね、土浦に泊って、土浦の夜をたっぷり過ごしたい。昼間ぶらぶらしたが、土浦のような規模の旧い町は、なかなか面白い。それに、また熊本や水俣にも行きたくなった。

家に帰りついたのは24時過ぎで、翌日14日は、14時30分から高円寺だった。

「車座ディスカッション:震災からの復興とオリンピック後の東京のコミュニティづくりを考える-『復興に抗する』の執筆者と共に-」というトークイベント。

当ブログ2018/04/11「『原発事故と「食」』と『復興に抗する』。」に書いたように、『原発事故と「食」』と『復興に抗する』は、ほぼ同時期に発売になった。

このふたつの本については、車座ディスカッションで、『復興に抗する』の「第四章 「風評被害」の加害者たち」を執筆した原山浩介さんが、いま読んでいるところだがと『原発事故と「食」』を参加者に見せ、「著者の五十嵐さんとはスタンスは違うけど、結論は同じようで、ようするに、こういうことが(ふりかえって)書けるようになったということでしょう」というようなことを言っていたのが、すべてだろうと思う。

ふりかえり、もう一度、おきたことあったことの自分のことだけではなく全体を見直し、自分の考えや行いはどうだったか検討し、これからをどう生きるか、これからのコミュニティづくりを考える。

ディスカッション参加者(*印は『復興に抗する』執筆者)は、

中田英樹*(社会理論・動態研究所所員)/髙村竜平*(秋田大学准教授)/猪瀬浩平*(NPO法人のらんど代表理事)/友澤悠季*(長崎大学准教授)/原山浩介*(国立歴史民俗博物館准教授)

越川道夫(映画監督。震災後の福島を舞台にした「二十六夜待ち」などの作品がある)/冨原祐子(会社員。2012年4月から岩手県陸前高田市でのボランティア活動を開始。2014年9月には同地へ移住して一般社団法人で働くかたわら、「けんか七夕」の運営にも携わった)/柳島かなた(農文協東北支部職員。2014年から東北支部に所属、農村で農家や農協・役場の人々に書籍販売営業の立場で話を聞き、共感したり、反発したり、励まされたりしている)
狩野俊(「本が育てる街・高円寺」代表。「資本主義から知本主義へ」を合い言葉に、本で人々を繋ぐ新しいコミュニティづくりを高円寺で実践している)/永滝稔(『復興に抗する』の版元である有志舎の編集者)

トークが始まってからわかったのだが、この集まりは「本が育てる街・高円寺」も共催で、代表のコクテイルの狩野俊さんが、出席し発言していた。「本が育てる街・高円寺」のことは知らなかった。この活動は、いわゆる「本好き」の趣味のコミュニティとは違うようで、興味が湧いた。

『復興に抗する』は、カバー写真に、友澤悠季さん撮影の陸前高田の復興事業を象徴する、「かさ上げ工事のための土砂を運ぶベルトコンベア」を使用している。その写真を採用するにいたるトークは、生々しく、「第一章 ここはここのやり方しかない 陸前高田市「広田湾問題」をめぐる人びとの記憶」(執筆者、友澤悠季)や、災害と「復興」をめぐり起きていることにたいする理解を深めた。

記憶と記録。

トークは16時半ごろ終わり、コクテイルに移動して、懇親会になった。20人ぐらいの参加だったか。トークのときから、猪瀬浩平さん以外は初対面の方ばかりだった。前日と違うのは、ほとんど「学術系」の方たちだったこと。ただ、フィールドワークの経験が豊富で、本書もそうだが、そこに何があったか、そこに生きる人びとのことを掘り起こしている。というわけで、「コミュニティ」といわれたりする「地域」について、いろいろ考えることが多かった。

面白かったのは、水俣へ行っても、誰の紹介で歩くかによって地域の見え方は違ってくること、震災にしても原発災害にしても、そもそも地域は多様な文脈で成り立っているのだから、どこからどうアプローチするかによって、まったく違って見えることだ。

「反原発」も「原発推進」も地域では単純ではない。「左派」や「右派」といった中央の観念的な分類では、見えないこともある。『復興に抗する』には、そのへんの事情がよく描かれている。

地域に入っていく場合、言葉の使い方ひとつで、地域の人たちに判断され、対応が変わってしまう。といった話もあって、おれも経験していることで『理解フノー』の「「文芸的」問題」にも書いたりしたが、地域とは、なかなか一筋縄ではいかない。なのに、単純に短絡して考えるのが、「中央」なのだ。それで「知った」気になる。

と、大いに飲みながら、コクテイルでは、若い農村社会学者と、「食文化」と「料理文化」、「消費文化」と「生活文化」などについて、けっこう話し込み、前夜の疲れの残りもあり泥酔ヨロヨロ帰宅だった。

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