「高円寺定食物語」の天平。
2018/03/30「座・高円寺の広報紙、フリーマガジン「座・高円寺」19号の特集は「高円寺定食物語」。」に載っている食堂を、ボチボチ紹介していきたい。
ということで、前回は伊久乃食堂を紹介し、日にちがあいてしまったが、今回は天平だ。
「戦後の大衆食堂の源流に位置する「民生食堂」の、その当時の看板と建物のまま営業しているのは、おそらく、ここしかないだろう」「天平は、民生食堂がスタートした1951年の開業だ」
現在の建物や看板は開業から5年後ぐらいに建て替えたもの。よほど手入れがよかったのか、もとの材料もよかったのか、木造の窓枠まで当時のまま残っている。腰板が、板ではなくタイル張りというのも貴重だ。しかし、消えることが決まっている。
店主はおれよりふたつ年上の1941(昭和16)年生まれ。1960年から、ここで働いている。一年ちょっと前、妻に先立たれ、ひとりで続けてきた。元気だが、食堂の仕事は大変だから疲れる。
後継者は、いない。そういえば、伊久乃食堂も、後継者はいない。そういう、高齢者がやっている食堂が多くなった。先日ここに紹介した、『dancyu』5月号「美味下町」特集のはやふね食堂も、おれと同年輩の夫妻がやっているが、後継者はいない。あそこも、ここも、指を折ってみると、けっこうある。
小さいころ戦後の生活を体験し、復興期から高度成長期、その後の大衆の食生活や大衆食堂があるまちを記憶している人たちが、まちから消えて行く。
追い打ちをかけるように、天平は前の道路の拡張工事で建物の取り壊しが決まった。
ま、「座・高円寺」をご覧ください。民生食堂と定食の歴史についても、ふれている。
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2018/04/05
「高円寺定食物語」の伊久乃食堂。
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