「食文化」とは。
きょう、大宮のジュンク堂で、思文閣出版のPR誌「鴨東通信」を入手した。
思文閣出版は、伝統の香りの高い、つまりハイカルチャーな日本文化に関する出版が多いようだという、偏ったイメージをおれは持っている。
今回もらった、「鴨東通信」2018年5月「春・夏」号の表紙の目次を見ると、トップのメインの座談会は、「近代数寄空間を煎茶文化でよみとけば」だった。それには、あまり関心がなかったが、江原絢子のエッセイ「ユネスコ無形文化財に登録された「和食」を知るために」があったのでもらってきた。
なんだかんだいっても、江原絢子さんは学術業界に身を置きながら、「食文化」について研究的に語ってきた、数少ない一人だ。
そのエッセイはA5判見開きにおさまっている。
「食文化ということばは比較的新しく、一九六〇年代に使われ始めたが、一般化するのは八〇年代以降といえよう。私が調理学の実験的世界から食生活を歴史的な視点で研究しようと方向転換をした一九七〇年代は、家政系大学ではまだ、食文化という科目はなく、食物史または食生活史の科目名で呼ばれていた」
この話は、おれの体験としてもとてもよくわかる。「食物」も「食生活」も、そして新参の「食文化」も区別がついていない「識者」がほとんどだった。
「それが、今は食文化ということばを知らない人はいないほどになった。二〇〇五年の食育基本法制定により「食文化の継承」などにも使われ、家庭科の教科書でも、また多くのメディアでもしばしば「食文化」は定義のないままではあるが使われて市民権を得た」
市民権を得たが、定義はない。
江原恵(江原絢子とは何の関係もない)は、一九七〇年代から、「食文化研究」を標榜し、とくに「食物史」と「食文化史」の混乱を批判しながら、自分が標榜する「食文化」については、定義していた。
おれのばあい、いちおう、その江原さんの定義のセンを意識しているが、まだ「主観」のうちだという自覚はある。
とにかく、市民権を得たが、定義はないことばは存在する。
「二〇一三年、ユネスコ無形文化財遺産に「和食;日本人の伝統的な食文化――正月を例として」が登録された」というぐあいに。
しかも、「正月を例として」なのに、「和食文化」全体がユネスコ無形文化財遺産に登録されたかのように拡大解釈喧伝され、ラーメンやカレーライスも「和食」であるような話もある。
「正月を例として」というのは、厳密に解釈すれば、「非日常」かつての「ハレ」の食事ではないのか。
さらに困ったことに、「生活」や「日常」についても、国語的解釈はあっても、概念はかなりアイマイだ。
「生活」とか「日常」というのは、そういうものかもしれない。
では、「食文化」は、どこに存在するのだろう。労働者の日常の食生活には食文化はないのか。
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