バラバラ。
近頃の諸々の現象を眺めていると、「BARABARA」が頭でプカプカする。
「バラバラ」は向井豊昭の、とてつもなくアナーキーで面白い小説のタイトルだ。「BARABARA」と表記し、1999年に四谷ラウンドから出版された本では、「BARABARA」のそれぞれの文字はバラバラ勝手な方向を向いている。タイトルの見た目からしてアナーキーだ。
バキッ、ゴキッ、あらゆる規範が抜け殻になっていく。いま時代はアナーキーへ。
そのことではない。
最近、チラッと見たツイッターに「クックパッドはレシピではない」というのがあって、気になったので検索してみたら、どうやら、このへんのことらしい。リツイートも多く、いろいろなコメントがぶらさがっていた。
https://twitter.com/showchikubai/status/999999785569431552
松5/27閃華6号館A ヒ15a
? @showchikubai
料理できない人へのアドバイスは
・レシピを見ろ。クックパッドはレシピとは呼ばない。栗原はるみ、土井善晴、小林カツ代は神
・火は弱く。強火でさっとは弱火でゆっくりやっても効果は同じ
・自分自身を信じるなレシピを見ろ
・念のためとかいらない自分自身を信じるな
22:05 - 2018年5月25日
ツイッターでは、こういう断定的な言い方が受ける傾向があるようだが、「栗原はるみ、土井善晴、小林カツ代は神」とするならば、クックパッドはクソみたいなものだというリクツはわからなくはない。
2018/05/26「「焼け野原」に咲く雑草のような食?」に「料理本やレシピ本といわれるものも、どんどん変わっている。企画進行中と聞くものにも、楽しみのものが多い。はたして、どのような人たちに、どう受け入れられていくか。」と書いた。
これらは、神でもないし、クックパッドでもない。これまで主流だった、いわゆる「料理家」とか「料理研究家」とは、まったくちがう流れなのだ。
ついでに、料理本やレシピ本を大別してみているのだが、いろいろ相関関係があって、なかなか難しい。
大きな権威的な流れとしては、近代以前からの、いわゆる「伝統的」な流派料理人と、彼らが腕をふるう料理店の系統がある。
明治以後に家政学や栄養学の系統が加わる。家政学や栄養学は料理学ではなく、料理的には、流派の系統の影響を強く受けている。流派の系統の人たちが、時代の変化を読んで家政学や栄養学と関係を深くする動きもあった。ま、抱き合う関係といえるか。
これらは、料理学校業界や学校教育業界あたりで混ざりあい、大きな権威として成長する。
レシピの著者は、たいがい、料理業界や学校業界に基盤がある人たちで、肩書もその所属や職階を示すものがほとんどだった。
1980年前後から目立つようになった「料理家」や「料理研究家」は、学校の先生ではなくプロの料理人でもなく、雑誌やテレビなどのメディアの力で「料理の先生」になった人が多い。出版社やテレビなどメディアによって育成された人たちだ。
以前から料理の先生として活躍していた人の弟子筋のほかに、メディアの周辺で仕事をしていたか、メディアの周辺で仕事をしている縁故者がいて、編集者などに見出された人たちといえる。
料理の先生とメディアは持ちつ持たれつの関係であり、そこに食品メーカーや関連企業が深く関わっていることも少なくなかった。
それぞれの先生の個性や特徴がありながらも、レシピについては、あるていど基本となる、はずしてはならない著述の仕方が見られる。
読者も含めた、支配的な規範が機能していて、それは人びとの生活観や価値観と結びついていた。と、みることができそうだ。
ところが、2000年頃から、その流れと構造に大きな変化が生まれた。
クックパッド現象も、その一つ。ほかにも、もっといろいろある。例えば、「時短料理」「時短レシピ」といわれるもの。あるいは、生きた方を提案する、哲学書のようなレシピ本など。ようするに食事や料理に関する概念の変化につながること。
そうだ、やっぱり、これまでの規範は、バラバラになってきたのだ。これは味覚にまで及んでいる。
いま世界を動かしているのは、なんだ。
とか、バクゼンと、思考している。
バラバラは、バラバラと、どこへ行く。
そしてまた今日もめしを食べる。
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