« 「前」は、どこにある。 | トップページ | 「食文化」とは。 »

2018/05/26

「焼け野原」に咲く雑草のような食?

きのうの続きのようなことだが。

料理と食事の分野は、すごく面白いことになっている。

江原恵さんが、かつて70年代の中ごろに、「日本料理の未来史はどうあるべきか。(略)結論的にひとことでいうなら、特殊な料理屋料理(とその料理人)を頂点とするピラミッド型の価値体系を御破算にすることである。家庭料理を料理屋料理に隷属させる食事文化の形態を、打ちこわして、根本的に作り変えることである」といって、「生活料理」という概念を提起したころと比べると、「革命的」といってよいほど変わったし、変わりつつある。

あのころは「古色蒼然」としていた、と、懐かしく思い出すぐらいだ。

ということをおれが話すと、食の分野だけは「民主化」がすすんだわけですね、といわれた。

そんな感じもする。ピラミッド型の価値体系に従わない、自己の「自由な表現と創造」としての料理と食事が、大衆食あるいは大衆めしあるいは生活料理あるいは日常食といわれる分野で、とても元気だ。外食の分野でも家庭の分野でも惣菜や弁当などの分野でも、新しい動きがどんどん生まれている。

それらを、戦後の「焼け野原」での活力と比較する見方もある。なかなか面白い。現在の「焼け野原」は、戦争の物理的な焼け野原とはちがうが。

これは直接的には、2008年のリーマンショックの影響が残っているなか東日本大震災が起きたことも関係しているようでもある。

ようするに価値観や価値体系のアナーキーなほどの変動だ。

そういう食から、「これから」を考えると、「ローカル」や「民主主義」なども、大変面白いことになっているように見える。

料理本やレシピ本といわれるものも、どんどん変わっている。企画進行中と聞くものにも、楽しみのものが多い。はたして、どのような人たちに、どう受け入れられていくか。

目下、取材したり資料を調べたりしながら、思案中。

| |

« 「前」は、どこにある。 | トップページ | 「食文化」とは。 »