ラーメンはカルチャーではなくなった。
昨日のHanakoさんの冒険、特集タイトル「食堂ラプソディ」の大扉にあるリード文について、書き忘れていた。
「近頃、街を歩いていると、「食堂」と名のついた店を目にすることがよくありませんか?/少し前ならカフェと呼ぶようなお店も、今、あえて「食堂」と名付けていたりするんです」
そういえば、街に「食堂」の文字が増えているなあと思ったが、まずすぐ頭に浮かんだのは、日高屋の「中華食堂」の看板だった。ただの中華屋のチェーン店が、考えてみれば、あれは斬新で先進だったのだなあ。
斬新といえば、料理本のタイトルに「食堂」を使った、長尾智子の『長尾食堂』がある。あれは、料理本の棚で目立っていたし、鮮明に記憶に残った。『長尾食堂』は1999年の発行。あの頃は、街にも本のタイトルにも「食堂」の文字は少なかった。
日高屋が「中華食堂」の看板を掲げ始めたのはいつのことか。日高屋のサイトの沿革には、とくに明記されていないが、「平成14年 6月 現在の主力業態である「日高屋」の展開を開始。第1号店を「日高屋新宿東口店」として開店。」とあるから、この頃からだろう。
平成14年は、えーと、20002年だ。
記憶しておこう。この2000年前後というのは、いろいろ踊り場のような変化があるようだ。
ところで、大扉のリード文は、まだ続きがあって、「そこにはまるで映画や小説のような、カウンター越しにきびきびと働く店主の姿が。器やインテリアにもこだわりが窺え、心づくしのやさしい料理にも身も心もほどけます。/レストランのように豪華じゃないけど、居心地よくおおらかで、自由で個性的。」というぐあいなのだ。
「身も心もほどけます」や「居心地よくおおらかで、自由で個性的」はいいけど、「まるで映画や小説のような、カウンター越しにきびきびと働く店主の姿が。器やインテリアにもこだわりが窺え」なんて、吹き出したよ。
そういう店もあるだろうけど、そういう見方は価値観の押しつけだろう。こんな客が増えたら、店は客にあわせているうちに、おおらかさや個性を失うことになる。残るのは、Hanakoさんたちがよろこびそうな店ばかり。Hanakoさんたちは、そうやって街をつまらなくしてきたのではなかったか。そうでなければいいけどね。とか、思ったのだった。
Hanakoさんたちは、食堂へ、何しに行くんだ。めし食いに行くのじゃないんか。映画や小説を鑑賞するのと同じつもりで行くのか。生身の人間が仕事をしているというのに。
人様の働き方を評論するような態度をとる前に、以前から街にあった「大衆食堂」の看板にビビッとこなかった、自分のセンスを反省すべきじゃないの。
Hanakoさんたちが街をつまらなくするだけではなく、近頃のラーメンもねえ。ある人が「ラーメンはもうカルチャーじゃなくなった」といって、そこのところまだよく理解できていないのだが、なんとなく感じている。
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